天皇陛下も見ることが許されない「三種の神器」 タブーを犯した天皇を襲った「恐ろしい現象」とは?
皇位継承儀式に不可欠とされる「三種の神器」。現役の天皇陛下でも目にすることが許されないほどの宝物である。しかし平安時代、数多くの「奇行」で知られる陽成天皇が「勾玉」の箱を開き、「恐ろしい現象」に見舞われている。なにが起きたのか? また、「勾玉」の正体とはどのようなものなのだろうか。 ■冷泉天皇が「勾玉」を見ようとするも、藤原兼家が駆けつけて阻止 現役の天皇陛下でも絶対に見ることができないといわれる「三種の神器」。しかし、その長い歴史の中で、いつから所持者の天皇ですら見ることが許されなくなったのかという記録は存在せず、不明というしかありません。 しかし、平安時代後期、つまり院政期には、すでに神器が「絶対に見てはいけないもの」だったということは逸話から確認できます。たとえば、平安時代後期の鳥羽天皇に仕えた藤原実兼が、『江談抄』という書物に記した内容です。 奇行で知られた平安時代中期の帝・冷泉天皇が「神璽の箱」、つまり「八尺瓊勾玉(やさかのまがたま)」の箱を開こうとしていると、藤原兼家(道長の父)が駆けつけ、天皇の手から箱を奪って実見を阻止した……というのです。 なぜ天皇が「勾玉」をすぐに見ることができなかったのかというと、勾玉の箱は「青色の絹を以て」包まれており、さらに「紫の糸を以てこれを結ぶこと網の如し(以上、順徳天皇『禁秘御抄』)」という状態だったからです。 ■フタを開こうとすると、目がくらみ鼻血が… 「奇行」という点で、冷泉天皇と並び語られる陽成天皇が「邪気に依(よ)りて普通ならず御坐(おわしま)す時」――つまり、尋常ならざる精神状態のときに、「璽(=勾玉)の筥(はこ)」を開いてしまったところ、箱の中から「白雲の起こりければ」、怖くなって放り投げてしまったので、中身を実際に見ることなく終わった……との話もありますね。ちなみに箱は、女官によってふたたび紐で封印されたそうな(『古事談』)。 陽成天皇には「宝剣」の実物を見るだけでなく、鞘から引き抜いたという逸話まであります。しかしこの時、夜なのに御殿が「ひらひらとひらめきひかりければ」――つまり、きらきらと光り輝いたので、天皇が怖くなって投げ捨てた剣はひとりでに鞘に戻りました。 しかし、これらの逸話が収められた『古事談』という書物は、鎌倉時代初期成立の説話集です。説話集とは「本当にあった話」という意味ですが、この書物の信頼度は高いとはいえず、藤原実兼の『江談抄』の焼き直しの創作といえるかもしれません。 有名な「鏡」の箱を開こうとした逸話としては、ほかに『平家物語』の話があります。壇ノ浦の戦いで敗戦した平家が敗残し、「鏡」を持って入水しようとした大納言典侍(だいなごんのすけ)という女官の袴の裾を源氏の武士たちが取り押さえたので、水没は辛くも免れました。 しかし、武士たちが「神鏡」の「御蓋」を開こうとしたとたん、「目くれ鼻血たる」――目がくらんで見えなくなり、鼻血まで出たそうです。