1250年の歴史を持つ地名 北上川の「赤石」が語る「紫波町」の地名の由来と変遷 岩手県
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岩手県紫波町に広がる豊かな自然が生み出した「紫の波」。1250年の歴史を持つ「紫波(しわ)」という地名には、川との深い関わりが隠されている。 「紫波」という呼び名がどのように生まれ変遷してきたのか。その由来には複数の興味深い説が存在する。 紫波町は、奥羽山脈と北上山地の間に位置する自然豊かな地域だ。 「紫波(しわ)」という地名は、今から約1250年前から使われており、その由来には川との深い関わりがあるという。 岩手県文化財保護指導員・奥州市文化財保護調査員を務め、地名に関する著書を出版している宍戸敦さんは、紫波という地名の範囲について興味深い見解を示す。 「紫波は現在の紫波ではなくて、さらに盛岡の雫石川の南のあたりまで紫波のエリアだった。(平安時代)志波城があるので地名由来のひとつに雫石川が関連しているのではないかと」と語る。 紫波という地名の由来については、いくつかの説がある。宍戸さんは雫石川との関連性を指摘する。 宍戸さんによると「紫波という地名は、『し』→いし(石)、『わ』→は(端)に言葉を分解すると、石は雫石川の河原のこと、端は(川の流れによってできた)河岸段丘・自然堤防の端や崖の部分を表していると考える」という。 さらに、雫石川の特性が地名の由来に関係しているという説もある。 「雫石川が暴れ川だということで、その川の流れの変遷で人間の肌のシワみたいな感じの様子が地形として現れたのが由来ではないか」と宍戸さんは推測する。 紫波という地名は、時代によって様々な漢字が使われてきた。 志波→奈良~平安時代 子波→奈良~平安時代 斯波→平安~鎌倉・室町時代 志和→安土桃山~江戸時代(一部で現在も使用) 紫波→江戸時代~現在 同じ読みでこれほど漢字が変化するのは珍しいことだという。 様々な漢字表記がある中で、「紫波=紫の波」にまつわる伝説が残されている。 この伝説は、志賀理和氣神社(しかりわけじんじゃ)の境内に祀られている赤い石と北上川に関係している。 志賀理和氣神社の宮司である田村寛仁さんは、この伝説について詳しく説明してくれた。 「北上川が当神社の後ろを流れているが、(この赤い石は)北上川に元々は沈んでいて、川の波が赤い石に打ち付ける様子を、当時、この地を納めていた高水寺城の城主・斯波孫三郎詮直公が句に詠んだことが、この紫の波=紫波の地名の発祥となったと伝わっている」 1576年、北上川に沈んでいた赤い石を見た当時の領主・斯波孫三郎詮直公は次のような歌を詠んだという。 『けふ(今日)よりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て』 志賀理和氣神社 宮司 田村寛仁さん 「(赤い石に青い川の水が合わさって)それが紫に光り輝いて見えたから紫の波と改めた。紫色に輝いて見えたから吉兆を得たということ。この赤い石が神様のしらせだとして(北上川から引き上げ)赤石大明神としてお祀りした」 江戸時代中期に書かれた「武奥増補行程記」という絵図には、赤石と当時の志賀理和氣神社、そして今も場所が変わっていないという「石柱」が登場している。 志賀理和氣神社 宮司 田村寛仁さん 「実は奥に元々あったが、北上川がすぐ後ろを流れ、近頃の大水(洪水)も頻発していたので境内を3年前に全面移転した」 田村宮司は、「地名の発祥ですし地元の方々から非常に親しまれている。これからもこの歴史を紡いでいく必要があると責任を感じている」と、神社の役割と責任について語った。 豊かな自然が生み出した紫の波(紫波)、移り変わった漢字表記からも歴史を感じ取ることができる。
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