「ひとり」にならざるを得なかった…ひきこもり当事者が恐れた「金銭問題」

最終更新:2017/12/29 19:36

写真・画像PIXTA

 フリーランスなど、様々な場面で「ひとり」を選ぶ人が増えています。でも、ひとりにならざるを得なかった人もいます。「ひきこもり」の人たちです。高校生の時、ひきこもりになった男性が切実に感じたのはお金の問題でした。こまめに電気を消し、お風呂にも入らず節約をする日々。運良く仕事を見つけることができた今「寿命が1日でも延びることを考えていた」と当時を振り返ります。男性をサポートしたのは、ひきこもり当事者らで作る全国でも珍しい会社でした。(朝日新聞記者・野口みな子)

高校ではトップクラスの成績

 平野立樹さん(34)は高校生のときから、断続的にひきこもりを経験している当事者です。

 当時、中高一貫の進学校でトップクラスの成績を修め、学校側からも期待される存在でした。一方、「東大に○人合格」という目標を掲げる学校の雰囲気に、プレッシャーを感じていたといいます。

 担任の先生は「打倒平野」と競争を意識させ、同級生の間では定期試験の順位予想が過熱していました。

 「私はもともと勉強が好きでした。成績が良かったのも、好きでやっていることが伸びて、たまたまそうなったと思っています」(平野さん)

 成績という結果が重視される学校生活。平野さんは、次第に違和感を覚えていったそうです。

 「受験は志望大学に合格することが目的なのに…。それが必要以上の競争や、東大の合格人数にすり替えられた途端、私はやりにくくなった」(平野さん)

 高校1年生の時、母親を病気で亡くし、父親と暮らしていた平野さん。当時、親子の仲があまり良くなかったそうです。そんな中、取り柄のはずだった勉強がプレッシャーになり、学校にも家にも居場所がなくなっていました。

進学校からひきこもり生活に入ってしまった平野さん

きっかけはある日

 ひきこもりになるきっかけは高校2年生、2学期のある日、学校に登校しようとした時でした。

 「いつも普通に登校している通学路なんですが、気持ちが悪くなって電車に乗れませんでした。風邪かなと思って休んだのですが、翌日も最寄り駅にたどり着くことすらできませんでした」(平野さん)

 普段、問題なく上れる階段で、まるで重りがついているように体が動かなかったといいます。内科にかかっても体調不良の原因はわからず、精神科を受診した結果、精神的な不調からくる症状であることがわかりました。

内閣府が発表した「広義のひきこもり」推計数

 高校は3年まで進めましたが出席日数が足りなくなり留年、そして、中退しました。

 その後、大検を取得し、入学試験のない専門学校、また大学にも入りましたが、通い続けることはできませんでした。出てはひきこもることを繰り返し、昼夜逆転の生活を送っていました。

「自分の寿命が1日でも延びるような…」

 「自分がこのまま外に出て生活することができず、親が死んだ後もこの先ひとりで生きていくとしたら、どれくらいお金がいるのだろう、と考えていました」(平野さん)

 ひきこもりの人は、様々な悩みを抱えながら、動き出せない日々を過ごしています。その中でも、平野さんが特に心配していたのが、金銭に対する焦りでした。

 「できる限りお金を使わないように、電気をまめに消したりとか、お風呂に1週間入らなかったりしたこともありました。今考えれば数円しか変わらないところに当時はとても執着していました。そうすることで、自分の寿命が1日でも延びるような気がしていました」(平野さん)

平野さんを追い詰めたのはお金に対する焦りだった(写真はイメージです)=写真はPIXTA

 かろうじて、うまくいったのが通信制の大学。レポートの締め切りさえ守っていれば、昼夜逆転の生活でも好きなときに勉強できる。このシステムが平野さんにマッチしましたが、企業で働く上では通用しないことを感じていました。

 社会が用意している枠にうまく折り合いがつけられない。そんな「社会復帰」のしづらさを痛感していました。

「ひきこもり」×「IT」の試み

 ひきこもり当事者の悩みは、事情を知らない人から見ると、我慢するべき苦労から逃げていると思われるかもしれません。でも、一度、入り込んでしまった困難な状況から、自分ができる範囲で、何とか抜け出そうとしている当事者がいるのも事実です。

 平野さんは、ひきこもり当事者や支援者などの交流の場として隔月で開催されている、ひきこもりフューチャーセッション「庵−IORI−」に参加し始めました。

 今年4月、平野さんは、そこで佐藤啓さんに出会いました。佐藤さんは「1日速習」講座などのビジネス研修を手がけるIT企業、フロンティアリンク株式会社を経営していました。

 ひきこもりの方の就労について考えたいと思い「庵」に参加していたという佐藤さん。日々の仕事で感じていたのはIT業界の人手不足でした。

ひきこもり当事者のための会社を立ち上げた佐藤さん。自身にもひきこもり状態にあるいとこが2人いたという

 「エンジニアを雇おうと思っても、なかなか人が集まらない。それなら育てるしかないと思っていましたが、ある程度の素養がないと難しいところもあります」(佐藤さん)

 実は、佐藤さんには、長期のひきこもり状態にあるいとこが2人いました。いつも、その2人のことが頭のどこかにひっかかっていたといいます。

 「ひきこもりの当事者には、学校の成績が優秀だった方や大学に在籍されていた方も多いと聞いていたので、プログラミングに必要な論理的思考を持っているだろうと感じていました」(佐藤さん)

 人手不足に悩む企業と、スキルのあるひきこもりをつなげられないか。佐藤さんの中で、両者がつながりました。

当事者が身内にいる安心感

 中高でコンピューター部に所属していたという平野さんは、佐藤さんのアイデアを聞いたとき、「千載一遇のチャンス」だと感じたそうです。

 名刺をもらい、その日のうちに佐藤さんにメールしました。

 「何よりもひきこもり当事者が身内にいるということに安心感がありました。身内にいないと理解してもらえないということはないですが、私自身、自分がなってわかったつらさってあったので」(平野さん)

平野さんは佐藤さんのアイデアを聞いたとき「千載一遇のチャンス」と感じたという

 佐藤さんは、今年12月「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで(めちゃコマ)」を立ち上げました。日本初という「ひきこもり当事者・元当事者主体」の株式会社です。

 ITに関する教育事業や制作事業、人材紹介・派遣事業などを軸に、完全在宅勤務の形態をとっています。

 当事者を正社員に採用しても、再度ひきこもってしまう可能性もあるため、「めちゃコマ」ではいきなり採用はしません。お互いにできる範囲を見極めるため、ボランティアから徐々に責任度を上げていく段階的な働き方を提案します。

 ひきこもりに関する情報を得られる「サポーター会員」には、当事者に限らず支援者も登録することができます。

「株式会社」へのこだわり

 会社を立ち上げた佐藤さんがこだわったのが「株式会社」にすることです。

 「ひきこもり当事者の永続的な支援となるかが重要です。労働に対する正当な報酬を支払うことで、働く人にも仕事として責任感を持ってもらいたい。利潤を求めるという目標が見えた方が、取引先の企業にも信頼してもらえます」(佐藤さん)

 社名「ウチらめっちゃ細かいんで」の由来は佐藤さんが感じた「当事者の細かさ」からつけました。

 「重箱の隅をつつくようないやらしい細かさじゃなくて、あくまで本質をついている必要な細かさ。プログラミングに求められている能力だと思いました」(佐藤さん)

「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで」のホームページ

踏み出そうと思っても「選択肢がない」

 佐藤さんは「この事業会社だけがひきこもりの受け皿ではない」と話します。

 「めちゃコマ」の理念に共感した平野さんも、問題は支援の選択肢が少ないことだと指摘します。

 「焦ると考えが悪い方向に行きがちで、自分を責めてしまうこともありますよね。でもそれって本人の問題だけではなく、現状、用意されている支援で本人がマッチするような選択肢がないことも大きいんですよ。その中で自分に合った支援を見つけるって相当運もないと難しい。当事者がいる『めちゃコマ』という選択肢が増えたことはすごく大きい」(平野さん)

 佐藤さんは、今後、ひきこもり当事者のアイデアの実現にも意気込んでいます。

 「『めちゃコマ』では、当事者経験のある方から提案してもらい、事業化することにも取り組みたい。そうやって選択肢を増やしていければいい」(佐藤さん)。

 佐藤さんが大事にしているのは「成功しなかったことは失敗ではなく、学習」ということです。

 「当事者の方は『失敗したらどうしよう』と不安に思われるかもしれませんが、少なくとも『めちゃコマ』に関して失敗は存在しない。そういう環境で一緒に働いてみませんか」と佐藤さんは呼びかけます。

「やっとまっとうな金額がもらえた」

 厚生労働省で12月1日にあった「めちゃコマ」設立の記者会見。創業メンバーとして、高校以来、ひきこもりを続けていた平野さんの姿もありました。

 平野さんは現在、アルバイトとして週に3〜5日、WEBサイトの制作や講座の講師などの仕事を、在宅勤務でしています。

 時間を選んで仕事ができ、人間関係も最低限で不安も少ないと言います。初めての給与が支給されたのは、今年7月のことでした。

 「やっとまっとうな金額がもらえた」

 平野さんが就労を試みたのは、今回が初めてではありませんでした。福祉にかかわるNPOなどの活動で就労訓練を行い、謝金をもらっていたことがあります。でも、当時の自分ができる最大限のスケジュールで働いても、月6万程度が限度。時給換算で100〜200円程度にしかならない活動もありました。

 「『訓練だから』、『自分も自信がないから』、最初はそれでいいと思います。いきなり仕事しろって言われても無理ですから」

 平野さんが、強調するのは「その後」です。

 「生活できるお金をもらうためには、訓練をずっと続けていてはまずい。頑張った分の結果につながらないと、疲弊しただけで終わってしまう。やっぱり安定して、お給料をもらえるということが大きいです。ちょっとつらいことがあっても、ふんばれる」

 働きはじめる前、抗うつ剤を服用していたという平野さん。でも、今は必要なくなりました。そして来年3月には正社員雇用として新たなスタートを切る予定です。

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連載「ソロジャーの時代」

この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。現代社会において、これまでの制度やしきたりと戦いながら道を切り開く「ひとり(ソロジャー)」の生き方をテーマに、12月27日から31日まで計5本公開します。