【熊本地震連載】「ゼロの阿蘇」発信続ける写真家

最終更新:2016/10/13 21:54

写真・画像Yahoo! JAPAN

キーポイント

  • 「地震によってすべてがゼロに戻ってしまった」との思いで地元・南阿蘇村を撮り続けている写真家がいます。
  • 半年たっても復旧が進まない地域の現実を訴えたいと、いろいろな手段で発信を続けています。
  • 復興の陰で置き去りにされないよう、訴え続けることが「地元写真家としての義務」と考えています。

熊本地震(前震)の発生から10月14日で半年。南阿蘇村在住の写真家・長野良市さん(59歳)は、本震が起きた4月16日以降、ずっと焦りを感じていました。「被災した風景が(復旧によって)なくなる前に記録しておかなければ」。しかし、南阿蘇村には、今も地震発生後と変わらない風景があちこちに残っています。「傷ついた阿蘇をこれ以上見たくない」。そうつぶやく声も届く中で、次の世代に伝えなければとシャッターを切り続ける長野さんの思いに迫ります。(Yahoo! JAPAN北九州編集室)

※2016年4月に起きた熊本地震のその後を伝えるYahoo! JAPANの連載企画です。毎月14日にお届けしています。

損壊家屋、手つかずのまま

南阿蘇村は農業と観光の村。実りの季節を迎え、観光客はのどかな時間を過ごしています。

【10月12日】南阿蘇村を撮り続ける長野さん

しかし地域によっては、震災のつめ跡がそのまま残っています。「ここは阿蘇山が崩れて土砂が民家に迫った場所。土のうでかろうじて被害の拡大を食い止めています」。長野さんは、土のうのすぐ近くの建物にカメラを向けました。「撤去されず、手つかずのまま。震災後から変わっていないんです」。唯一、崩れた土砂に生えた雑草が半年という時間を物語っています。

道路寸断で報道が少なかった南阿蘇

益城町で震度7の地震を観測した翌日の4月15日、長野さんは益城町に入り、町の被災状況を撮影しました。撮影を終え、阿蘇大橋を通って南阿蘇村に戻ったその夜に本震で阿蘇大橋が崩落。これにより南阿蘇村はほぼ交通が寸断されました。

【8月16日】阿蘇大橋のある立野地区の上空(長野良市さん撮影)

益城町の被災状況を伝える報道に比べ、南阿蘇村の被災状況を伝える報道は当初、非常に少なかったといいます。長野さんは「阿蘇の自然や人々の暮らしを撮り続けてきた写真家としての義務」と考え、家財が散乱する自宅をそのままに連日、南阿蘇村の状況を写真で記録しました。

被写体は、被災家屋にとどまりません。阿蘇を代表する老舗温泉地の地獄・垂玉(たるたま)温泉、トロッコ列車が人気の南阿蘇鉄道(現在は一部区間運行)……人気の観光施設もダメージを受けました。村内を歩き回る中で長野さんは「現状が伝わっていない」という思いを強めました。

【9月4日】南阿蘇鉄道の線路で流木の除去と草取り。学生ボランティアが復旧を支援(長野良市さん撮影)

発信はネットと紙の2本柱で

そこで撮影した写真をFacebookで発信する傍ら、長野さんは5月に小冊子を発行しました。タイトルは「ゼロの阿蘇」。台風や豪雨による水害、阿蘇山の噴火といった自然災害がある中でも、今回の地震ではこれまでの経験などすべてがゼロになった気がしてならない - という思いでつけました。

「ゼロの阿蘇」は全カラー12ページ。第4号を準備中

ネットと紙。2通りの手段を使って写真を掲載するのは、広く届けるにはどうするかを考えた結果です。携帯端末の使い方をめぐって3世代が共存すると長野さんはみています。携帯端末を通話だけに使う世代、自在に駆使して情報を入手できる世代、そして子供や高齢者などのまったく使わない世代。「私はアナログとデジタルのはざまにいる人間」という長野さんは、インターネットでの発信は、同居する三男・梢人さん(28歳)の協力を受けています。

長野さんと三男・梢人さん(右)

長野さんの事務所に訪問600人

ネットを介した発信で人のつながりが広がりました。南阿蘇の最新の状況が知りたいと、長野さんの事務所を訪れた人は半年足らずで600人を超え、写真展や講演の依頼も来ています。

県内外に出かける傍ら、大事にしていることは写真を撮り続けることです。「ひより見的ではいけない、継続性が大事。一回インパクトある画像を流してしまえばいいのではなく、情報を発信し続けることがインターネットの時代を生きる写真家の役割なんです」

置き去りにされないように発信し続ける

懸念は、阿蘇の情報が流れなくなり、忘れられていくことです。

「震災後に取材に入るマスコミはいずれいなくなるもの。ボランティアも同じですが、それは仕方ないこと。人がどっと来てどっと去った後のフォローこそが、フリーランスの写真家の重要な役割。つまり忘れられないために、置き去りにされないために、役割を果たさなければいけない」

【9月22日】高野台団地。損壊した建物は震災後とほぼ変わらない姿です(長野良市さん撮影)

「半年もたつと、もう嫌だ、こんな傷ついた阿蘇の姿をもう見たくないと言う人がいる。人間はそれが普通です。復旧復興が進んでいるという話をみんな求めてるんです。でもそこで『分かりました、(撮影を)やめますとは』言えないんです。だって変わらない現実が残っているんだもの。置き去りになってる現実はどうなるの。誰が伝えるの、という話だから」

記録だけでなく記憶にも残す

「地域のお寺に、阿蘇で100年前に起きた地震の記録があるんです。毛筆文字で記録されていましたが、人々の記憶には残されなかった。今の世代はいろいろな手段があります。子の世代、孫の世代に伝えるため記憶を残すことができる」

写真を通じて伝えたい先は今後災害が起きるかもしれない地域であり、子の世代でもあります。「災害はまたどこかで起きる。そのとき経験が生かされないと、これは一体何の意味があったのかわからない」。長野さんはきょうも、阿蘇の写真を撮り発信を続けます。

【10月12日】阿蘇の山々に囲まれた南阿蘇村

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「被災地のことを伝え続ける」意味を被災地の人たちはどう考え、取り組んでいるのか。どうすればみんなの幸せにつながるのか。この1年を通して話を聞き、現地を歩き、答えを探っていきます。

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