熊本シティエフエムの17日間。集めたのは被害ではなく生活情報

最終更新:2016/5/11 11:09

写真・画像Yahoo! JAPAN

キーポイント

  • 被害情報は他のメディアに任せ、生活情報に特化しました。
  • リスナーに必要な情報の提供を呼びかけました。
  • 前向きになれるよう地震の情報だけでなく、リクエスト曲をかけました。

阪神大震災をきっかけに、熊本市で発足したコミュニティFM「熊本シティエフエム」。
熊本地震のあった14日から臨時災害放送局としての2週間も含め、ひたすら被害情報ではなく生活情報の提供を続けました。(ヤフー株式会社 Yahoo!ニュース編集部 中上芳子)

熊本シティエフエム。右側の壁は地震で壊れたので修復されている

おらがまちのラジオ

熊本シティエフエムが開局したのは1996年4月1日。
阪神大震災でラジオの役割が見直される中で、当時の熊本市長の発案により全国で30番目のコミュニティエフエムとして開局しました。

「地域密着」「市民が参加する敷居の低い局」「防災」。
この三本柱を大切に、熊本市民に向けて20年間放送を続けてきました。

営業部長の長生修さん

熊本市の第三セクターでもあるので、市と臨時災害放送の協定を結んでいます。市が台風や大雨などで災害本部を設置した時は、必ず24時間放送で防災情報を流してきました。

地震が起きた。そのとき

4月14日午後9時26分 震度7

4月14日の震度7の地震では、午後9時51分には放送を切り替えることができました。
市内はライフラインも交通機関も全て問題がありませんでした。そのため翌15日の朝、一番最初に流したのは「地震で出たゴミの捨て方」情報でした。

4月16日午前1時25分 震度7

14日の地震で、市は災害対策本部を設置。
局も24時間放送に対応をするため、営業部長の長生さん、技術担当の社員、パーソナリティの3人で泊まっていました。

長生さん「その時はCDラックは倒れ、棚も倒れ、すぐ停電したので、グワングワンガシャンと暗闇の中ですごい音がしました。
不思議なことに全員安全なところにいて、怪我もせずに助かった。

ただ、無停電電源装置が地震で働かなかったんです。放送ができなくなりました。」

熊本シティエフエム提供。崩れたCDの山からリクエスト曲を探した。

2015年8月の台風による停電で、局では5時間放送ができなくなるという苦い経験がありました。
その経験から、長生さんは「意地でも放送してやる」と決意。

散乱した荷物をかきわけ、玄関にたまたまあったサッカーの中継用機材と発電機を発見。なんとか直結して、床においたミキサーとマイクで地震から約30分後、放送を再開しました。

「みなさん先ほど大きな地震がありました。命を守る行動をしてください」

熊本シティエフエム提供。4月16日の本震の日、床にミキサーを置いて放送した。

午前4時半ころには電気が戻ったため、スタジオ放送に切り替え、出社した社員たちがひたすら情報を集める体制に入りました。

生活情報をとにかく集めよう

17日朝、局近くのコンビニが営業再開していることに気づいた長生さんは、社員に指示し、市内のスーパー、ホームセンター、コンビニなど全ての店舗に電話して、営業しているかどうかを確認。営業情報を放送しました。

また、局の代表電話を公開。必要な情報を教えてください、メールくださいと呼びかけました。

熊本シティエフエム提供。JA八代の方が、市場が開かず出荷できないいちごをリスナーにと持ってきた。

「こちら熊本災害FMです。FM791です」

臨時災害放送局になっても、やることは変わらなかった

18日 熊本市の要請も受け、総務省から臨時災害放送局として免許の交付を受けました。

長生さん「臨時災害放送局になったからといって、これまでと放送内容は何も変わりませんでした。メリットとしては、スポンサーさんに『ごめんなさい』と謝りやすくなったことですね(笑)」

約4000通のメールや電話があった。

最初はガソリンスタンドの営業状況に関する情報が多かったですが、この日からコインランドリーの営業状況の質問が増えました。
「お米はどこに売ってますか」と呼びかけると、リスナーから「今ラジオば聴きながら散歩しよります。田崎のゆめマートに、お米、山のごて積んであります」と電話がかかってきました。

社員の一人がバイクで市内を回り、スーパーなどの営業情報などを集めました。断水していたので無料開放している温泉や、有料の銭湯の営業情報なども全て電話で確認して放送しました。

長生さん「20年やってきて初めて僕らも、ラジオは双方向のメディアだと実感する場があった。通常、一日10~20件のメールが、400とか500件来ました。」

リクエストで校歌

19日からリスナーを励まそうと情報だけでなくリクエスト曲も受け付けました。パーソナリティも3交代制にしました。

夜になると「車中泊で眠れない」などの電話もかかってくるようになったので、朝と昼は給水や生活情報を中心に。夜は情報も流しつつ、リクエスト曲も多く流しました。
リクエストは昼でも多く、2時間待ちでやっと曲がかかる状態でした。

局が発行する子ども新聞

局では、10年前から小学校区単位でのコミュニティのつながりを大切にしようと番組で呼びかけてきました。
地震が起きる2週間前の4月1日、開局20周年記念で、市内の94小学校の校歌を全て放送していたことから、校歌のリクエストも呼びかけました。

校歌のリクエストは初日から多く集まり、通常の曲と織り交ぜながら、一日30校ほどを放送しました。
21日夜には池上小学校(熊本市西区)の避難所から「避難しているのはほとんど出身者です。ぜひかけてください」とメールがあり、かけると「みんなで大合唱しました」とすぐ反応が返ってきました。

情報は変化する

ある程度落ち着いてからは、大西一史市長の記者会見をノーカットで全て放送しました。
他のメディアは要約したものを伝えますが、あえてノーカットにすることで、市長の生の言葉で熊本市が今なにをやっているかが市民に伝わることが狙いでした。

僕らの仕事はこれから生活していくための情報を出すこと

30日に臨時災害放送局としての放送を終えました。
ここまで長い24時間生放送は局として初めてでした。

熊本シティエフエムの電波を利用して、市の緊急放送を自動的に受信する緊急告知ラジオ。1台2000円

長生さん「確かに被害を受けている方たちはかわいそうでしょうがないです。けれど、そういう被害報道や避難所の状況は他のメディアにお任せして、最初から僕らは生活情報をと意識していました。

これまでの災害で、ラジオが防災袋の中に入れるものという認識が皆さんにあったこと。
SNSが使えない高齢者、車中泊をする人が多かったこと。
家を片付ける時に「ながら聞き」ができることもあって、ラジオがここまで聞いてもらえたのだと思います。

いただいたメールの中には、放送せずに直接返信してお知らせしたり、市役所に『こういうメールがきたので対応してください』と送ったりすることもありました。

うちは有意義な中継点でありたい。
流す情報は状況や場所によって変わる。それを僕らは的確に捕まえて放送してあげたい。

個人的に思うのは、必要な情報というのは、「命を守るため」「元気に暮らすため」「災害から前向きに歩いていくため」の情報。その3つなんだと思うんです。」