東北地方
太平洋沖地震が発生
最大震度7、M9.0
日本観測史上最大規模の地震
東日本大震災から11年、被災各地では復興が進み、新たな生活が始まっている。
一方で、忘れてはならないのが、福島第一原発の事故処理の問題だ。
今なにがどこまで進んだのか、被害が及んだ地域の復興は?環境への影響は?
未来のために、必要なことはなにか――
フクシマのこれまでを「知り」、これからについて「考えて」みよう。
※本企画では「東京電力福島第一原子力発電所」を「福島第一原発」と表記しております
出典:資源エネルギー庁ウェブサイト
東北地方
太平洋沖地震が発生
最大震度7、M9.0
日本観測史上最大規模の地震
福島第一原発へ
津波第2波到達
約15メートル
1〜5号機の
全交流電源喪失
東京電力が
原子力災害対策特別措置法10条に
基づき通報
首相が
「冷温停止状態」を
宣言
事故から約9ヶ月後、溶け落ちた燃料の冷却を
継続する必要はあるものの、
周囲への放射性物質の放出が
大幅に抑えられている状態などとして、
事故に対する初期の緊急対応は終了し、
事故処理を含めた廃炉への道のりがスタートする。
1~4号機で立て続けに起きた
深刻な事故は、
大きな2つの課題を生んだ。
ひとつは、出口の見えない福島第一原発の「廃炉」作業だ。原子炉内部の状況さえ正確に把握できないなかで、安全に作業を進めることができるのか。再び事故などが起きれば、周辺地域はもちろん、私たちが住む街の環境や暮らしにも影響を及ぼしかねない。
もうひとつは、
原発周辺地域の「復興」である。
原発事故により、放射性物質が拡散された。避難指示区域に指定された地域では、多くの住民が慣れ親しんだ土地を離れなければならなかった。その後、除染が進み、徐々に避難指示が解除される一方で、いまも住むことができない地域がある。
「廃炉」が進めば、自動的に「復興」が実現するわけではなく、安定した廃炉作業が続くことが土台になり、町に必要な社会の営みを取り戻すこと。それは産業であり、教育の場であり、地域コミュニティーであり、人々の暮らしが豊かに続けられることである。
「廃炉」と「復興」――この2つの課題について、詳しく見ていこう。
出典:資源エネルギー庁ウェブサイト
福島第一原発の廃炉は、水素爆発の影響により通常の廃炉とは難しさの次元が異なる。
廃炉に向けた前処理として行われる使用済み核燃料の取り出しですら、ガレキの撤去、取り出しのための建屋の構築など、難易度も桁違いだ。燃料デブリ(溶け落ちた燃料等)はいまだ取り出せておらず、毎日新たに大量の汚染水が発生する中での作業という、これまでに前例のない作業が続く。
運転期間を超えた原発は廃炉に向けて、使用済み核燃料(過去に使った燃料)を搬出し、内部の汚染状況の調査と除染を行う。その後、原子炉周辺設備と原子炉本体を解体し、最終的に建屋も解体して廃棄される。
しかし、福島第一原発では最終的に建屋などをどこまで解体するか、敷地をどのような状態にするかは未定のまま、「廃炉のゴール」は決まっていない。
では、具体的に福島第一原発の廃炉作業の4つのポイントを見ていこう。
1つ目は「使用済み核燃料(過去に使った燃料)の取り出し」
現在、損傷した建屋から、「使用済み核燃料(過去に使った燃料)」を燃料プールからすべて取り出して敷地内の「共用プール」に移す作業が進められている。
福島第一原発では水素爆発で生まれた大量のがれき処理や放射性物質による汚染への対処が加わり、作業が困難になっている。
大量の核燃料が保管され、燃料プールの損傷が危険視されてきた4号機、そしてメルトダウンを起こした建屋からの初の搬出となった3号機では、すでに使用済み核燃料の取り出し作業が完了している。
2つ目は「燃料デブリ(溶け落ちた燃料等)の取り出し」
1~3号機では、溶け落ちた燃料やそれを覆っていた金属の被覆などが冷えて固まっている。これを「燃料デブリ」と呼ぶ。
同じくメルトダウン(炉心溶融が進み、原子炉中の燃料集合体が棒状の形を失い、溶融すること)となった旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、コンクリート製の「石棺」で原子炉を封じ込め、取り出し作業は行われなかった。米国のスリーマイル島原発事故では取り出しが行われたが、ほとんどが圧力容器内にとどまっていたとされる。
福島第一原発では、人が近づけない放射線量のものが形状不明で多く存在し、量もスリーマイル島の5倍以上あるとされ、廃炉の最難関となっている。
3つ目は 「汚染水の処理」
燃料デブリを常に冷却し続けるために水を注入しているが、水が燃料デブリに触れることで汚染水となる。
また損傷した原子炉から下部へ流れた汚染水と、地震、水素爆発により損傷している建屋に入り込む雨水や地下水が混ざり合うことで大量の「汚染水」が継続的に生み出されている。
建屋の下部に溜まっている汚染水は、外部に漏らさないように回収し、放射性物質を取り除くための浄化処理を行う。処理された水の一部はふたたび燃料デブリの冷却に使用され、残りは敷地内に設置されたタンクで保管されている。
4つ目は「放射性廃棄物の処理」
原発事故によって生まれた、放射性廃棄物の処理には、まず把握し、分別、保管・管理、処分という工程がある。
事故によって通常の廃炉では生まれない廃棄物が大量に形状も放射線量も様々に存在している。
汚染水とそれを浄化するのに必要な吸着塔等、増え続ける廃棄物もある。
まずは状態の把握が行われ、分類され、減容化(体積を減らす作業)を行い、安定した形で発電所構内に保管される。
発電所構内での保管から先、その後の扱いは決まっていない。
地震や水素爆発による建屋などの破壊状況や、燃料の露出、溶融のプロセスは各号機でまったく異なる。そのため、1~3号機それぞれの状況に合う取り出し方法を「オーダーメード」しなければならず、一律に作業を進めることができない。
発生した汚染水は回収され、放射性物質を可能な限り除去する浄化処理を行う。これまでに敷地内に設置された処理水の保管タンクは1000基以上。汚染水は1日約140トン発生し、2023年春ごろにはタンクが満杯になるとされる。
こうした状況に対処するため、政府は2021年4月、処理水のうちトリチウムを含む放射性物質が安全に関する規制基準値を確実に下回るものについて、2年後をめどに海洋放出する方針を発表。しかし、それに対して国内外から懸念の声が上がっている。
写真:ロイター/アフロ
具体的な問題はなんだろうか?
トリチウムを含む処理水の海洋放出について、以前より不安の声は根強い。特に試験操業を経て、昨年4月から本格操業への移行期間に入った地元の漁業関係者からは風評被害を懸念する声が出ている。
燃料デブリを冷却するための水や、建屋内に浸入した雨水や地下水は放射性物質を含む「汚染水」となり、建屋の下部に溜まる。
こうした汚染水を集めて浄化し、最終的に多核種除去設備(ALPS)などを使って「汚染水」からトリチウム以外の放射性物質を規制基準以下まで取り除いたものを「ALPS処理水」と呼ぶ。
汚染水はまずストロンチウムとセシウムを除去するための吸着装置を通す。その後、多核種除去設備(ALPS)を使って処理される。ALPSは62種類の放射性物質を除去することができる。ただし、トリチウムについては除去できず、ほかの放射性物質についても完全にゼロにすることはできない。
また、過去の浄化装置の不具合や処理量を優先した浄化処理などが原因で、すでにタンクに保管された水の約7割はトリチウム以外にも規制基準値以上の放射性物質が残っていて、放出のためには再処理が必要な状況だ。
なお、じつは世界中の原子力関連施設から、トリチウムを含む水は海洋に排出されている。トリチウムを含む放射性物質が規制基準を下回ることは当然のことながら、加えて、地元関係者の懸念も現状の大きな課題となっている。
廃炉までの道のりは、まだ決まっていないことが多い。東京電力は「30~40年後の廃止措置終了」を掲げているものの、最終的に建屋や原子炉をどうするかまでは、いまの段階では決められないとしている。日本原子力学会は「廃炉の最終形」として、すべての建屋を解体撤去して更地に戻すケースや、地下の構造物は残して土をかぶせて管理するケースなど、100年から数百年の幅で4つのシナリオを提示している。廃炉の先にある地域の未来をどう考えるか、議論を進めていく必要がある。
いま福島第一原発の敷地内の96%のエリアは、一般の作業服で活動できるようになった。毎日約4000人の従事者たちが働いている。
地元雇用率は約65%に及び、多くの原発事故を経験した地元の人たちが、何十年と続く廃炉作業を前進させている。
福島第一原発の事故直後から、原発周辺地域の住民に対して出された「避難指示」は、事故処理や除染作業の進捗とともに、縮小してきた。
今も原発事故による避難区域を多く残しているのは、海側の浜通り地域。地震と津波の被害状況把握もままならないうちに、多くの住民が避難を余儀なくされた。長期化する避難生活は、住民たちの帰還を難しくさせたが、それでも復興の芽が育ちつつある。
3月11日19:03に政府が原子力緊急事態宣言。同20:50に福島県が原発の半径2キロ圏内に避難指示を出し、対象エリアは徐々に拡大。翌日には半径20キロに。15日には20~30キロの範囲に「屋内退避指示」が出され、混乱の中、対象地域および対象地域外の住民も含め多くの方々が避難を余儀なくされた。
放射性物質による被ばく線量を勘案して避難指示区域が3種類に。20キロ圏内は原則立ち入り禁止の「警戒区域」。20キロ圏外のうち、年間被ばく線量が合計20ミリシーベルトに達するエリアは「計画的避難区域」として、国が住民に避難を求めた。また20㎞周辺の地域は「緊急時避難準備区域」が指定された。そして、事故後1年間の積算線量が20ミリシーベルト以上になると予想された区域は「特定避難勧奨地点」とされ、避難が推奨された。
原発事故の状況や、放射性物質の影響に関する調査結果から安全を確認して、「緊急時避難準備区域」が全面的に解除された。
避難指示区域は、2013年8月に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3種類に再編。2014年4月に田村市の避難指示が解除されて以降、解除エリアは徐々に広がっていった。
「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」は順次、解除されたが、「帰還困難区域」はいまだに7市町村にまたがる形で残っている。その面積は約337平方キロメートル。福島県全体の2.4%になっている。
地元の要望などを受けて、帰還困難区域内でも居住可能な「特定復興再生拠点区域」が設定された。「ふるさとに戻る」ための取り組みが続いている。
県内市町村の仮置場などに保管されている、除染により取り除いた土壌や側溝の汚泥、草木、落ち葉などは中間貯蔵施設に搬入される。仮置場等から運ばれた除去土壌等は、ふるいにかけて、可燃物(袋、草木・根など)、金属などの異物を除去。分別した土壌等は、土壌貯蔵施設で運搬、保管。可燃物は、減容化施設(仮設焼却施設・仮設灰処理施設)で、焼却し、減容化や溶融処理され、廃棄物貯蔵施設に貯蔵される。中間貯蔵施設のある場所は、もともと住んでいた人が、「復興のために」と国に提供した土地である。
2014年度から2015年度にかけて、仮置き場から中間貯蔵施設へのパイロット輸送が始まり、現在は約90%が完了している。
「再生利用」という形で、放射性物質の含有量が低い土壌を公共事業などで再生利用しようという試みもある。ただし、再生利用については、県外の多くの人がこの問題を知らない段階にあり、受け入れ地域の住民の同意等、多くの課題が残存している。
除染によって出た除去土壌などを2045年までに福島県外で最終処分することは、国が約束し、法律にも明記された責務である。しかし、このことを知っている人は決して多くない。原発事故によってもたらされた土壌汚染は福島県だけの問題ではなく、この国全体の課題として一人ひとりが向き合い、具体的な解決策を考えていく必要がある。
地震と津波、そして原発事故から11年。福島県の浜通り地域はどのように歩みを進めてきたのか。どこまで復興し、なにが足踏みとなっているのか。等身大の今を見てみよう。
広範囲な「帰還困難区域」を抱える自治体で住民帰還はまだこれからで、双葉郡で最大の人口を抱える浪江町の居住率は一割ほど。そのため、双葉郡全体の居住率も2割台にとどまる。
ただ、避難指示が解除された地域には住民が戻りつつある。全域が解除されている川内村では住民の8割が戻り、帰還した人だけでなく新たに移住した人が2割を占める。
また、2022年6月には双葉町への住民帰還が始まる。
帰還困難区域へ繋がる道に設置されたバリケードは少しずつ撤去されている。富岡町北部の夜ノ森地区では2022年1月26日に「特定復興再生拠点区域」の立ち入り規制緩和で、バリケードが取り払われた。住民たちは、かつての帰還困難区域で生活をとり戻そうとしている。
地元の要望を受けて帰還困難区域内に設定される「特定復興再生拠点区域」。
大熊町のJR常磐線大野駅周辺などでは、解体作業も進む。
また新たな復興拠点を建設するための動きが始まっている。住民が復興拠点内の自宅で寝泊まりする「準備宿泊」も始まった。
福島第一原発のある大熊町で最も活気あるエリア、大川原地区。商業施設「おおくまーと」の店では、特に昼食時には、住民や働く人々でにぎわう。 昨年10月には町が整備した交流施設「linkる大熊」が完成。宿泊温泉施設「ほっと大熊」もあり、町民たちの新たなふれあいの場が生まれた。隣には復興住宅が建ち並び、新しい教育施設「学び舎 ゆめの森」が来年4月、この地区でスタートする。
双葉町の中野地区で整備が進む復興産業拠点(新産業創出ゾーン)では、工場の誘致が始まっている。一方で道を挟んだ一帯には、除染による除去土壌などが運び込まれる中間貯蔵施設が。さらに震災と原発災害を後世に伝える伝承館も隣接し、まさに「過去」と「未来」が同居するエリアになっている。
復興に向けた象徴的事業として、双葉町と浪江町にまたがる沿岸部で整備が進む復興祈念公園。周辺の避難指示はすでに解除され、2021年1月には公園の予定地内に仮設の見晴台が設置、工事の進捗を眺めることができるようになった。
浪江町の請戸漁港ほか、福島県で水揚げされる魚は「常磐もの」と呼ばれて「新鮮で美味しい」と好まれて取り引きされてきた。特に有名なのはシラウオで、2月から3月がいちばんおいしい季節。2020年4月には9年ぶりに競りが再開し、新鮮な魚が漁港近くの店頭に並べられている。
2021年3月にグランドオープンした浪江町の「道の駅なみえ」には、地元でとれた新鮮な野菜や、お土産が並んでいる。道の駅に商品を出す生産者も徐々に戻ってきており、着実に復興に向けた歩みが続けられている。
行列の絶えない老舗ラーメン店として有名な南相馬市小高区の「双葉食堂」。原発事故による避難指示で5年間、小高を離れたが2016年に営業再開した。震災前から人気の「小高の味」を求めて、今日も多くの客が行列をつくっている。
福島の未来のために、何ができるだろうか。
原発の廃炉と放射性廃棄物の処理は、時間がかかる。同時に、産業を創り、安心して暮らすための「復興」も重要。2つのポイントについて、一人一人ができることを考えなければならない。
福島の復興を語るうえで「廃炉」の課題が大きく語られてきたが、戻る住民も増え、現在は生活や産業など「復興」の位置づけが大きくなってきた。原発事故を二度と起こしてはいけないという「教訓」として後世に伝え、最終的には廃炉が完了して、「復興」という言葉も消えるほど当たり前の「日常」が続いていく状態になることが理想かもしれない。
廃炉
原発の「廃炉」で最大の課題は、どういう形で完了となるのか「廃炉の最終形」が決まっていないこと。世代をまたぐほど長期にわたる対応が必要なことも課題だ。廃炉完了の「ゴール」はどういう形がいいのか。私たち一人一人が関心を持ち、また次の若い世代とともに考える必要がある。
復興
漁港近くにあった浪江町の鈴木酒造店は、津波で酒蔵が流され、山形県に避難していた。2021年に浪江町で酒造りを再開し、新たな商品づくりが始まる。
富岡町では「新たなブランド」を目指す浜鶏ラーメンが食べられる。もともと食堂や給食業務だった会社が、白河・喜多方など有名ラーメン地域のある福島県で、浜通りのラーメンブランドづくりに力を入れる。
復興
浜通りの若者の起業を支援する「HAMADOORIフェニックスプロジェクト」では、4人の20代の起業家が誕生した。カフェ経営やまちづくりで産業を創り、復興につなげる。
早ければ6月に避難指示解除が始まる双葉町出身の男性が企画したクラフトジンが、今年発売を始めた。福島県の酒蔵の粕取り焼酎が原酒。双葉町の「特産第1号」を目指している。
答えは「関係人口」。民間調査会社の2021年3月の調査によると、その都道府県を「応援したい」と思っている「関係人口」は、福島県が圧倒的な「日本一」となった。県民人口の6.8倍にあたる。
ボランティアや寄付、産品購入などの意欲のある人が多いという。
現地に行き、現地との交流から学ぶことで、関係は深まる。
そして現地に関わる機会が多くない人でも、福島県産品の購入や寄付など、自分たちがどこにいてもできることは、さまざまある。
最初は「応援したい」地域だった福島に対して、さまざまな「関わり方」を見出すことができれば、それは私たち自身の新たな発見になる。
まだ「最終形」は決まっていない。国や地元、私たちがみな関心を持ち、合意形成を目指す必要がある。
普通の生活が戻った地域もあり、これから始まる地域もある。除染で発生した土壌等や放射性廃棄物の問題が残っている。
事実を知らないことは、憶測や間違った印象を抱き、風評被害を生む可能性もある。まずは「知る」ことで関心を持った分野について、気軽に訪問したり福島産品を購入したり、寄付で支援するなど、できることはいつでもたくさんある。
地震と津波に加えて原発事故という「複合災害」にあった福島は、被災や地域条件によって復興状況が多様。
震災前の生活がほぼ戻った地域があれば、いまようやく復興へのスタートについた地域があり、まだ当面自宅に戻れない地域もある。
私たちがこれからもできること。
それは、
「知る」こと、「#知り続ける」こと。
企画・構成:Yahoo! JAPAN
監修:関谷 直也(東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター准教授)/吉川 彰浩(一般社団法人 AFW 代表理事)
文:THE POWER NEWS
デザイン:KAZAK, Inc.