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にしゃんた

社会学者•タレント(羽衣国際大学教授)

にしゃんた

セイロン(現スリランカ)世界遺産キャンディ生まれ。高校生だった87年にボーイスカウトとして初来日。一度帰国し、翌年に留学のため7万円を握りしめ片道切符で再来日。新聞奨学生をしながら大学で学び、学部総代で卒業。在学中、全日本空手道連盟公認四段・全国空手道連盟公認指導員を取得し、多数の弁論大会に出場し全てに優勝。経済学博士。日本国籍。現在、羽衣国際大学で教授として務める傍ら、メディア出演、講演会や執筆活動を行う。著書『ブッダと歩く神秘の国 スリランカ』『日本で知った幸せの値段』『留学生が愛した国・日本』『日本的経営は国を越えられたか⁉︎』など。

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      客観的に日本の実態を国民が知る上で貴重な調査結果である。外国人なき、日本は考えられない。にもかかわらず、彼らに対する差別が日本にあるなら、目の前で人を傷つけていることの問題もさることながら、その蓄積が子や孫世代の未来日本社会に及んで起こしかねない負の連鎖にも思いを馳せる必要がある。例えば、フランスでホーム グロウン・テロが問題となっているが、移民に対する差別が元になっている。日本にも外国人居住者に対する差別はあるならこの国もフランスのようになり得る可能性を秘めているということにもなる。目の前の人を差別することが社会全体を不幸にする種蒔きであることを忘れてはならない。色眼鏡を掛けず、目の前の人が仮に外国出身者であれ、人間として向き合える人間力を身につけることが我々一人一人が負わされている義務である。

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      全くの詭弁である。弱者などに思いを馳せることのない自民党らしい案とも言える。日本は、タバコに対する現状の治外法権または中途半端な分煙の状況を改善せず、マナー任せとこのまま前進しようとしている。来たるオリンピックが日本社会にもたらそうとしている、成長するためのせっかくの良いチャンスを無駄にしようとしている。受動喫煙を伴う喫煙を正当化している日本の常識は、世界の非常識の代表格でもある。喫煙は幸福を追求する権利であるというが、受動喫煙をせず、きれいな空気を吸い、健康的な生き方をする追求する権利は日本憲法はでは保証されないというのか。受動喫煙は多大なる精神的、肉体的被害を伴う「暴力」である。受動喫煙を伴わない環境を確保せずした現状の喫煙環境の正当化はありえない。一部の人間の害を伴う幸福の追求のために子供や妊婦なども含む大勢が我慢を強いられている国民の立場をこそ本来ならば代議士たる者は語るべきである

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      日本。元々から男女格差がある所に、幼稚園建設反対、ベビーカー反対、泣き声が煩いなどなどネットメディアの発展と共に日本社会の「不寛容さ」が露呈されてきている。ここにきて「授乳は困る」となってくるとこの現象はもはや「不寛容」では扱いきれず、「日本人の未熟化」や「人間退化」というような言葉も持ち出さなくてはならなくなってくる。アジアなどに旅に出ると、場所を構わず堂々と授乳している微笑ましい姿をよく見かける。豊かなアジア文化の流れ着いた終着点として開花した日本。仮に法律で保護しないといけない段階にまで至るようなことが起これば、この国は、アジアらしさなども忘れた取り柄のない国に成り下がってしまう。人間教育が急がれる。

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      日本。民主主義や多数決ならとっくに法整備も進み、灰皿撤去も終わっているはず。そうならないのは少数派煙草吸いのバックに大企業と行政が付いていて、多数派非喫煙者が無力という歪な構造になっているためである。これはいわゆる共生を望まない排除論とは訳が違う。一先ず現在、使われる「愛煙家」と「嫌煙家」の言葉を変えてみてはどうか。「愛煙家」を→「空気を汚す人」や「(自他共に)健康を害する人」に。「嫌煙家」を→「綺麗な空気を愛する人」や「(自他共に)健康を愛する人」に。共生を望むなら両者とも笑える関係が絶対的条件となる。有害煙を分かち合った共生はあり得ない。「綺麗な空気を愛す人」と「汚す人」の共生は最大限に譲渡され「完全なすみ分け(喫煙室)」しかあり得ない。よって完全なすみ分けではなく、健康を愛する者にまで有害煙を吸うよう強要されている現状のコンビニ前の喫煙所の設置は最初から、発想としてもあり得ない。

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      この事件は、単なるモスクにおける乱射事件ではなく、共生を望む世界の全ての人間社会に対する冒涜である。今回、米国の新大統領就任に伴い米国とカナダという2つの国の首脳が示した国のアイデンティティとしての「排斥路線」と「寛容路線」。今回の事件を受けて多文化共生を諦めては、犠牲者も浮かばれない。違いに対し、多数派本位による排斥、同化や住み分けが行われた場合、社会が内側から崩壊することが時間の問題である。よって国家や地域の平和的、持続可能性の観点において寛容しか答えがない。そのため絶えず社会において「違い」との共生を求め続ける必要がある。米国における新大統領就任直後からはじまっている混乱と未来に向けての憎しみの種まきに伴い今後待ち構えているのリスクこそが本当の問題である。

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      米国がはじめている難民や移民が悪いという論法は言わずして極めて間違っている。移民が悪というなら、そういうトランプも移民の末裔である以上自己否定をしていることにもなる。一つポイントとなるのは、受け入れた先(国や地域)において、移民や難民が差別などされずして人間として迎えられる環境があるか否かである。移民や難民が受け入れられないということは「自分の国や地域に差別が存在している」ということを自ら認めることでもある。米国と対照的なカナダのニュースを見て、「さて日本はどんな国?」ってことを考える必要がある。日本は、「外国人」を「違い」をひっくるめて人間として受け入れる自信が各々にあるか否か。むろん外国人に限らず「あらゆる違い」についてこの国はおおらかかどうかということでもある。そのことを考えた時に今の日本の姿が見える。その先に日本の未来が見える。

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      日本にわずか四半世紀程度ではあるが、生活して思うこと多くある。日本は法律やルールは進んでいる。しかしルールの進行と反比例して関係性が薄らぎ、「人間力」が低下している点にも気づく。ルールにせず、とことん「人間力」や関係性に委ねるべきものもある。例えば「シルバーシート」。言わずして公の場における授乳の保護は法律に頼らないといけないところまで日本は成り下がってはならない。法律にせざるものをしないのも日本の特徴である。例えば「受動喫煙」。ここは、児童公園は喫煙所として共有されている珍しい国である。妊婦も乳児も保護されている気配はない。法律にすべきものと教育・啓発による「人間力」に委ねるものを履き違えてはならない。

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      僧侶による仏像の盗難の正当化と所有権の主張を一仏教徒としても呆れた心境で眺めている。「不偸盗戒」は仏教の基本中の基本、「五戒」の一つでもある。ふと思い出すことがある。「憎しみは憎しみによってではなく、愛によってのみ消える」と仏陀の言葉を引用し51年のサンフランシスコ講話会議で日本に対して寛大な演説を行った故J.R.ジャヤワルダナ、元スリランカ大統領である。同演説中に彼は「アジアは仏教でつながっている」とも訴えている。むろんこれは一人間の主観ではなく客観的な事実でもある。世界中で分断や憎しみが蔓延している。少なくともアジアの人々が平和で持続可能な関係性をつくり、保つに当たって「仏教」は最有力の切り札である。仏教の灯火を絶やしてはならない。さらには仏像を盗みを正当化し、憎しみの因をつくる仏僧が表れている末法の時代において、僧侶だけに仏教を任せることなく、全ての仏教徒が教えに目覚める必要がある。

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      「反日」は、定義も曖昧なままネットメディアを中心に飛び交い、便利な言葉と化しているようである。使う人間が増える一方で「反日」と称される対象も拡張しているように感じる。既に「愛国」を翳し、少数者や弱者を苛める者も現れている。「反日」などの言葉がこれ以上広まり、後にネットを飛び出し、実社会の日常において人々が口々にするような日がくることを危惧している。「反日」などの言葉がなくなることを願いこの際、新しい言葉をつくってみた。「半日」である。一応「半日」には「日本」をしか肯定できない、国内外における多様性、特に少数者や弱者を受け入れられない「中途半端な者」という意味をもうけた。仮にいつの日か実社会で人々が「ハンニチ」を口にするような日が到来したとして「どっちのハンニチですか?」「半分の方?」「反対の方?」などの会話が面倒くさくなり、「ハンニチ」は消えて無くなるのではないかと細やかな希望を抱きたい。

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      人道的に見た場合、とても受け止めがたい判決と言えよう。しかし考えようによっては、ウティナン君が一旦、母国日本を離れるようになっても、両親の母国タイでも多くのことを吸収し、次は例えば、留学生(大学生)として日本に帰り、後に国籍取得して日本人になるというようなシナリオも考えられる。「人間万事塞翁が馬」。日本にしか生活したことがない現状よりも長い目で見た場合、ウティナン君にとってそちらの方が良いのではないかとも考えられる。この際、日本の制度的な側面にも気づきたい。世界には国籍が決まる基準が大きく2つ「出生地主義」と「血統主義」がある。日本は後者で両親のどちらかが日本人であった場合のみ日本国籍となる。人々がこれほどまでに国境を越えて流動的で、無国籍の子どもなども現れている現状において制度として出生地主義の方がより普遍的で合理的ような気もする。この前の蓮舫代表のような国籍騒ぎも起きない。

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