IDでもっと便利に新規取得

ログイン

写真と図解でたどる 東日本大震災10年

写真で見る10年

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から、10年がたちました。この間、被災地はどう変わってきたのでしょうか。写真や図解でたどりました。
(このページは、毎日新聞とYahoo!ニュースの共同連携企画です。写真と図解は毎日新聞が撮影・制作)

大津波の爪痕

左:宮城県名取市から岩沼市にかけての沿岸一帯をのみ込みながら内陸へと進む大津波。手前右は仙台空港=2011年3月11日
右:名取市(手前)から岩沼市(奥)にかけての沿岸部。縦に流れているのは「貞山堀」=2021年2月8日

左:大津波と大規模な火災で壊滅的な被害が出た岩手県大槌町=2011年3月12日
右:住宅地が広がる中心部=2021年1月26日

左:大津波に襲われた直後の宮城県山元町立中浜小学校周辺=2011年3月11日
右:震災遺構の中浜小を見学し、当時の様子など語るガイドの話に耳を傾ける人たち=2021年2月17日

左:宮城県石巻市の市街地(南側から北向きに撮影)。震災から1日経っても火災の白煙があがっていた=2011年3月12日
右:右は石巻南浜津波復興祈念公園=2021年2月8日

左:海岸線一帯が水没し、火災が発生した福島県相馬市の住宅街=2011年3月11日
右:現在の市沿岸部。奥の入り江は松川浦=2021年2月8日

左:路線バスが流され市街地で大破したまま放置されていた岩手県釜石市の大渡町商店街=2011年3月12日
右:約10年が経過した大渡町商店街。奥は釜石市民ホール「TETTO」=2021年2月10日

左:全国的にも有名だった巨大防潮堤をも越えて襲ってきた大津波によって甚大な被害が出た岩手県宮古市田老地区=2011年3月21日
右:左下から延びるのは新しい防潮堤=2021年1月26日

左:大津波に襲われたにもかかわらず残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」=2011年4月29日
右:手前に「奇跡の一本松」。中央は国営追悼・祈念施設が整備された高田松原津波復興祈念公園。奥はかさ上げして造成された新市街地=2021年1月26日

左:大津波と火災で焼け野原になった岩手県山田町中心部=2011年3月14日
右:町中心部は今、住宅などが再建された=2021年1月26日

左:岩手県大船渡市の大船渡駅前を流れる須崎川に浮かぶがれき=2011年3月16日
右:震災から9年半が過ぎた須崎川=2020年11月12日

左:震災2日後の岩手県釜石市片岸町の鵜住居川河口付近=2011年3月13日
右:上はラグビーW杯会場になった釜石鵜住居復興スタジアム。右は三陸鉄道の鵜住居駅や釜石祈りのパーク=2021年1月26日

左:多数の児童と教諭が津波の犠牲となった宮城県石巻市の大川小=2011年4月17日
右:今年2月の大川小=2021年2月8日

左:避難所として使用された宮城県南三陸町の「ベイサイドアリーナ」の廊下で避難生活を送る住民ら=2011年4月15日
右:震災当時、被災者が生活した廊下を通る新成人たち=2021年1月10日

左:沿岸一帯が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の市街地=2011年3月12日
右:中央はかさ上げして造成された新市街地=2021年1月26日

左:被災者が救助を待つ宮城県南三陸町の志津川高校の校庭にはSOSの文字があった=2011年3月12日
右:奥は震災復興祈念公園、右上は震災遺構の高野会館、手前は志津川高校=2021年1月26日

左:大津波にのまれ、多くの職員が亡くなった岩手県の大槌町役場=2011年4月20日
右:大槌町役場の跡地に残された地蔵の前で手を合わせる町民ら=2021年2月10日

左:右に宮城県南三陸町志津川地区の防災対策庁舎が見える=2011年3月13日
右:まもなく震災から10年を迎える街並み。志津川中学校の校門付近から南をのぞむ=2021年2月14日

左:鉄筋の骨組みとがれきだけが残る宮城県南三陸町役場の防災対策庁舎。大津波は3階屋上まで押し寄せた=2011年3月28日
右:震災復興祈念公園に震災遺構として展示されている旧防災対策庁舎=2021年2月10日

左:南三陸町の防災対策庁舎(中央)周辺=2011年3月13日
右:右は南三陸さんさん商店街、左は震災復興祈念公園、中央は震災遺構の旧防災対策庁舎=2021年1月26日

左:大津波に襲われた翌日、上部が骨組みだけとなっている福島第1原発の1号機原子炉建屋(左端)=2011年3月12日
右:原発事故からまもなく10年となる(左から)1~4号機=2021年2月13日

復旧する「地域の足」

左:岩手県宮古市の線路上に流された屋根=2011年3月14日
右:田老駅に到着する三陸鉄道の車両=2021年2月19日

左:大型漁船「第18共徳丸」が流れ着き、大規模な火災が起きた宮城県気仙沼市の鹿折地区=2011年3月17日
右:震災から10年となる鹿折地区。現在は鹿折唐桑駅のロータリーとして整備されている=2021年2月10日

左:仙台市宮城野区で、流された数多くの車の間をぬうように歩く被災者たち=2011年3月13日
右:震災からまもなく10年を迎える宮城野区。道路を多くの車が行き交う=2021年2月9日

左:大津波で浸水した宮城県塩釜市の国道45号=2011年3月13日
右:多くの車が行き交う国道45号=2021年2月9日

左:大津波で大きな被害を受けた福島県いわき市久ノ浜地区=2011年4月2日
右:奥には再建した家屋や商店などが広がる=2021年2月9日

左:壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の鹿折地区=2011年3月12日
右:復興工事や住宅再建が進んだ鹿折地区=2021年1月7日

左:大型漁船「第18共徳丸」(中央)が打ちあげれた気仙沼市の鹿折地区=2011年3月26日
右:JR大船渡線の線路跡地がバス専用道路として利用されている=2021年2月19日

暮らしの再建

左:壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町の中心部の夜景。車のライトの光跡だけが写った=2011年3月31日
右:町中心部の夜景。再建した家屋などが並ぶ=2021年2月9日

左:大津波と大規模火災で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町の中心部=2011年3月16日
右:震災から約10年が経過し、再建が進む住宅地=2021年2月9日

左:街が流された宮城県女川町の旧JR女川駅(右)周辺=2011年3月19日
右:中央は「シーパルピア女川」。手前はJR石巻線の女川駅=2021年2月8日

左:大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市の鍬ケ崎地区。左は打ち上げられた観光船=2011年3月31日
右:住宅などが再建されている鍬ケ崎地区=2020年11月19日

左:東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制された警戒区域(半径20km圏)の福島県浪江町で一時帰宅が行われた。沿岸部の避難住民が参加し、防護服を着て原発事故後初の「帰宅」となった=2011年5月26日
右:請戸地区では、請戸漁港周辺を工事するトラックなどが行き交う=2021年1月20日

左:子供のはしゃぐ声が聞こえなくなりひっそりとしている遊具がならぶ福島県大熊町の幼稚園の園庭=2011年6月4日
右:園庭に雑草が生い茂った幼稚園=2021年2月18日

左:JR広野駅前で放射線量を測定する人たち。原発半径20km圏外で緊急時避難準備区域に指定された広野町では、多くの住民が自主避難した=2011年5月17日
右:2011年10月に広野駅と久ノ浜駅で運転を再開。JR常磐線は20年3月に全線が再開した=2021年2月18日

左:岩手県の大槌小学校前に散乱するがれきや車両=2011年3月23日
右:旧大槌小学校(右)は大槌町役場になり、広範囲で火災が発生した場所には、住宅が並ぶ(左奥)=2021年2月9日

日常への歩み

左:身元不明者などを知らせる紙が貼られた宮城県南三陸町の「ベイサイドアリーナ」の入り口=2011年3月23日
右:「ベイサイドアリーナ」の入り口で記念撮影する新成人ら。今年、町では109人が新成人となった=2021年1月10日

左:原発事故で立ち入りが規制された警戒区域(半径20km圏)の福島県浪江町で一時帰宅が行われ、防護服を着て焼香し合掌する避難住民ら。沿岸部の避難住民が参加し、原発事故後初の「帰宅」となった=2011年5月26日
右:震災10年を迎える浪江町の請戸地区=2021年1月20日

左:「原子力明るい未来のエネルギー」と記された看板がかかる福島県双葉町の目抜き通り=2012年3月2日
右:原子力PR看板が撤去された双葉町の目抜き通り。現在は双葉駅周辺地域の避難指示が解除され、宿泊はできないが、自由に立ち入りが可能になった=2021年2月18日

左:宮城県女川町総合運動場の野球場で建設が進む3階建て仮設住宅=2011年10月8日
右:マウンドの位置を示す目印が打ち込まれた女川町の野球場=2021年1月9日

図解・震災被害

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から、10年がたちました。この間、被災地はどう変わってきたのでしょうか。写真や図解でたどりました。
(このページは、毎日新聞とYahoo!ニュースの共同連携企画です。写真と図解は毎日新聞が撮影・制作)

東日本大震災の被害

死者・行方不明者約1万8000人、関連死3700人超

死者・行方不明者は約1万8000人で、岩手、宮城、福島の3県別では宮城がいずれも最多となった。関連死は3700人を超え、福島でほか2県の倍以上を記録した。

主な津波被害・防潮堤の再建

岩手県

10m超の津波が襲来した宮古市の田老地区では、世界一の規模を誇った「巨大防潮堤」が壊れ、200人近い住民が犠牲に。陸前高田市は市街地全域が壊滅的被害を受けるなか、海沿いの松が1本残り、「奇跡の一本松」と称された。

宮城県

15m超の津波が襲った南三陸町防災対策庁舎は、屋上まで水没。防災無線で避難を呼びかけた職員ら43人が亡くなった。約800人が死亡した名取市閖上では、橋が事故で通行止めになった影響で起きた渋滞が、被害拡大の原因に。

福島県

東京電力福島第1原発が、15mを超す津波により全電源を喪失。炉心溶融などが起こり、放射性物質が放出された。世界最悪レベルの事故は、住民避難や風評被害など、今も多くの課題が残る。

5m以上高くなった主な防潮堤

国は震災後、数十~百数十年に1度程度起こる津波の高さを想定し、防潮堤を湾ごとに設計するよう自治体に通知。震災前に比べ5m以上高くなった所もあり、岩手県釜石市では10m以上高くなった。岩手、宮城、福島3県で約339kmが計画された。

避難者数と仮設・公営住宅

避難者数

震災直後に推定47万人に上った避難者数。その1割にあたる4万人超が依然として避難生活を送っている。被災地では、復興住宅の孤独死や被災者の心のケア、住民の帰還や原発の廃炉など課題は山積している。

仮設住宅の入居戸数、災害公営住宅の完成戸数(累計)

多くの避難者は、最大で10万5000戸超を数えた仮設住宅から退去し、再建した自宅や災害公営住宅に移り住んでいる。災害公営住宅の完成戸数は、およそ3万戸に及ぶ。

社会や産業の復興状況

3県の人口の変化

津波被災地の沿岸部や原発事故に伴う避難指示区域となった自治体では、人口減少が顕著になっている。震災前の2011年3月と比べ、岩手と福島で約4万人、宮城で約1万人、それぞれ減少した。

主な漁港の水揚げ量

水揚げ量は、震災前の水準に戻りつつある。一方で、近年の不漁のため漁港の水揚げ量も減っており、被災地の基幹産業に影響を及ぼしている。相馬原釜など福島県では原発事故が影を落としている。

水稲収穫量(左)、医療施設数(中)、小中高校数(右)の変化

コメ収穫量は、宮城県で震災前の水準近くまで回復してきたが、福島・岩手県では伸び悩む。医療施設数も、福島・岩手県で減少。人口減を反映するように、学校の統廃合も徐々に進む。震災前(10年度)と2019年度の沿岸部の小中高校数を比べると、岩手県で2割、宮城・福島県で1割弱減った。


図解・原発事故

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から、10年がたちました。この間、被災地はどう変わってきたのでしょうか。写真や図解でたどりました。
(このページは、毎日新聞とYahoo!ニュースの共同連携企画です。写真と図解は毎日新聞が撮影・制作)

東京電力福島第1原発事故イメージ

東京電力福島第1原子力発電所は、15.5mの津波襲来を受け、海抜10mの敷地が浸水。非常用の発電機など全ての電源を喪失して原子炉を冷やす機能を失った。頑丈な建屋が吹き飛ばされる水素爆発が相次ぎ、大気中に放射性物質が飛散した。

1〜3号機の現状

福島第1原発の1〜3号機に対し、これまで数回の調査を実施。核燃料が溶けて構造物と混じり合った「燃料デブリ」とみられる物質の場所などを調べている。

事故を巡る強制起訴裁判の経緯

東京電力福島第1原発事故を巡り、東電の旧経営陣3人は2016年、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。東京地裁は19年、3人にいずれも無罪を言い渡した。検察官役の指定弁護士は地裁判決を不服として控訴。

除染・中間貯蔵施設

除染の主な作業

国直轄の除染は、帰還困難区域を除き、避難指示の出た福島県内11市町村で環境省が実施。対象となった住宅では高圧洗浄機で屋根を水洗い、壁の表面の削り取りなどをした。森林では落ち葉、農地では表土を除去。

数字で見る除染

除染は、福島県内では43市町村、それ以外では7県57市町村に及んだ。宅地や住宅は約58万件で、費用は2兆8000億円超。延べ3000万人以上が作業した。

整備が進む中間貯蔵施設

除染土などを処理する中間貯蔵施設は、福島第1原発周辺で整備が進む。受け入れ・分別施設から焼却施設、土壌貯蔵施設などが作られた。

中間貯蔵施設での除染土の処理

除染土の処理は、建屋でふるい機で草木や根、土壌などに分別。土壌貯蔵施設に運ばれ、その先に続く処理施設で浄化や排水が行われている。

廃炉・汚染水の処理

廃炉の一般的なステップ

廃炉では、一般的に更地にするまで大きく4段階を30〜50年ほどをかけて行われる。まずは使用済み核燃料を搬出し、原子炉の周辺設備を解体。その後、原子炉や建屋が順次解体される。

既存の原発と福島第1原発の廃炉工程

福島第1原発では、廃炉工程の第2期を事故から10年以内とし、その後、2号機の燃料デブリ取り出し開始に着手する計画となっている。1〜6号機のプールの核燃料取り出し完了は2031年を想定。

廃炉に向けた最近の動き

廃炉に向けた最近の動きでは、2019年には、1号機の使用済み燃料プール周辺のがれき撤去に向け、建屋開口部の作業が始まった。また、新たな津波の流入防止のため、1〜3号機で建屋の亀裂を塞ぐ作業も。

汚染水処理の流れ

溶融燃料によって汚染された建屋内にたまる汚染水は、セシウムの吸着や、トリチウム以外の62種類を除去する設備「ALPS」などを経て、原発周辺のタンクに貯められ続けている。処分には海洋放出など複数の案が浮上した。

検討されてきた処理水の処分方法

処理水の処分方法を巡っては、有識者らが昨年、「現実的な選択肢」として海洋放出と(蒸発させ)大気放出の2案を提言。政府は海洋放出を軸に処理方法を決める方針だったが、漁業関係者らは風評被害への懸念から反発。処分方法の決定は先送りになっている。

海洋放出した場合のトリチウム拡散予測

東電は、海洋放出の場合、トリチウム濃度が今の海水の水準を超えるのは、福島第1原発から最大で沖合約2km、南に約20km、北に約10kmの範囲と予測する。

原発事故からの避難・生活再建

旧避難指示区域と帰還困難区域

国が福島の11市町村に出した避難指示。範囲は縮小されたものの、「帰還困難区域」は7市町村に計337㎢ある。帰還困難区域では「特定復興再生拠点区域」を設け、除染やインフラ整備を進め2022~23年の避難指示解除を目指す。

避難指示が解除された地域の住民帰還率

原発事故の避難指示が解除された地域の住民の帰還率は、一番早く避難指示が解除された田村市で80%を超えた。帰還困難区域が多く残る浪江、大熊、富岡などほかの自治体では、帰還が進んでいない。

福島第1原発周辺の営農再開状況

福島県内で営農を休止した12市町村の農地のうち、再開面積が5割を超す自治体は原発20km圏外が中心で、圏内はほぼ再開できていない。国は2020年度末までに全体の再開面積6割との目標を掲げたが、達成は難しくなっている。

他国の事故との比較

過去のチェルノブイリ原発やスリーマイル島原発の事故と比較しても、福島第1原発事故による避難者数は最多。福島の事故処理費用が80兆円を上回るという民間試算もあり、被害総額も最多となる可能性がある。


表示地域選択

現在表示されている地域

設定なし(全国の情報を表示しています)

現在地から設定

市区町村名から設定

都道府県選択