Media Watch2017.04.24

熊本日日新聞、河北新報、神戸新聞が語る「震災」(上) 「死ぬか生きるか」記者が感じた危機感、デマへの対応、会員サイト開放の決断――地元紙だからできること

インターネット元年と言われた1995年に起きた阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震――。
インターネットの状況はそれぞれまったく異なりますが、被災者が確かな情報を必要とする状況は変わりません。地元の新聞社が災害時にできる情報発信の可能性とは。熊本地震から1年を迎える熊本市内で、熊本日日新聞社、河北新報社、神戸新聞社の皆さんにお話いただきました。

木村圭一郎さん
熊本日日新聞社 総合メディア局デジタルセンター長
1983年入社 社会部、政経部など編集局記者を経て、総合メディア局でデジタル部門を担当して6年。
黒木照之さん
熊本日日新聞社 総合メディア局デジタルセンター次長
1992年入社 制作局を経て、99年から情報開発局(現:総合メディア局)でウェブ事業に従事。
大泉大介さん
河北新報社 防災・教育室主任 兼 論説委員会委員 兼 営業局営業部主任
1995年入社 報道部、特報部などを経て、11年6月にデジタル部門に。16年から現職。
東日本大震災前は防災担当、震災後は宮城県南三陸町の取材を担当した。
河合一成さん
神戸新聞社 編集局ネクスト編集部次長
1992年入社 社会部記者、整理部デスクなどを経て06年からデジタルメディア担当。
阪神・淡路大震災当時は入社3年目の記者。震災翌日に但馬総局から神戸に入り、3カ月間現場を取材した。

対談翌日の2017年4月8日の熊本城・戌亥櫓

必要とされた情報発信は

――熊本地震では、被災者にどんな情報が必要とされていると感じましたか

熊日・木村さん
新聞はその日にあったニュースを次の日の朝刊、夕刊に出すのが仕事。地震があって、今どこにいけば求めるものがあるのか、それを事前に紙面でお知らせするのは難しい。ウェブファーストで「今日はここに行けば銭湯入れるよ」「今日この避難所にいけば○○が手に入る」という未来の情報が必要だと感じました。
熊日・黒木さん
SNSでもニュースサイトでも、生活情報はよく読まれていました。廃棄ゴミの処理など、住民が復旧へ頑張るために必要な情報はすごくリーチが大きく、求められていました。

――ニュースサイトはどう展開しましたか

熊日・黒木さん
熊本日日新聞のニュースサイト「くまにちコム」では、熊本地震のコーナーで紙面に掲載された生活情報やライフライン情報を掲載しました。 もともとは会員制でしたが、本震(2016年4月16日)直後に木村の一声で全て開放。サイトも生活情報を大きく含めた形で再編しました。
電力があり通信ネットワークも生きていたので、避難所でもスマホを使う方がすごく多かった。ウェブでの情報取得は過去の震災よりも、被災者の間で有効な手段として捉えられていたと思います。
熊日・木村さん
熊日では、電話取材で生活情報を集めることにも力を入れていました。その情報をもっと早く伝えたいのと、県外の出身者やゆかりのある人たちの間で「熊本がどうなってるのか知りたい」というニーズがあるとも感じ、すぐにオープンにしました。アクセス数も普段の約8倍になりました。

2016年4月18日、熊本県益城町の避難所で(写真:アフロ)

――サイトは半年間無料開放して、紙面のPDFファイルも掲載したそうですね

熊日・木村さん
PDFは、最初は販売局からのオーダーでした。配達困難地域もありましたし、届けに行っても新聞が届かない状況だったので、電子版として公開しようと。それが意外と県外からも見られていましたね。
九州と沖縄の新聞社の協議会「プレス9」など同業他社のニュースサイトにも記事を取り上げてもらいました。

2016年4月14日の前震後、熊本日日新聞社の渡り廊下は通行禁止に(熊本日日新聞社提供)

――県内と県外でアクセスの割合は

熊日・黒木さん
県内からの利用が圧倒的に多かった。次に福岡、東京の順です。
県内のアクセスが大きくなった入り口としては、TwitterFacebookでも情報を同時配信したことにあります。それまでSNSのユーザー数はなかなか伸びなかったんですが、被災者の間で「熊日でこういうの流れているよ」と拡散され、われわれの手を離れたところですごい伸び率に達した。これはやはりソーシャルの力だと思います。

――県外を意識した記事の出し方はしましたか

熊日・黒木さん
あえて狙ってはいないです。ただ今までは地元向けに出していたので、たとえば「益城町」から始めていた原稿を「熊本県益城町」と変えたり、知事も「熊本県知事」と書き直したり。それは僕らデジタル部門の人間がやっていました。

2016年4月16日の本震後の熊本日日新聞社内(熊本日日新聞社提供)
熊日・黒木さん
熊日では地域に密着した小さい情報も拾って書いていたので、サイトでも地震だけで一日数十本という記事を掲載しました。これまで交流があった県外の自治体からの支援もお伝えしたり。そういう発信がちゃんとできていたことは僕らの中ではすごく大きかったです。

――今までの災害時と比較していかがでしたか

熊日・木村さん
九州は風水害が多く、私もそういう取材には何度も行きました。風水害での災害報道は台風が去ったあとだったので、ライフラインもすぐ復活しましたし、それほどもう困っていないと言いますか…。
今回の地震はいつ終わるか分からない恐怖や被害もあって、皆さん常に最新の情報を欲しがっていた。新聞を避難所に届けた際も、被災者が奪い合うようにして新聞を読むということもあった。新聞が必要なんだと感じる一方で、朝刊と夕刊の間の情報も大事だと実感しましたね。
河北・大泉さん
熊本地震でも一般の方が避難所のリストをマップ上に落とし込んだ例がありましたよね。ネット展開を新聞社が自力でするのは、スキル、リソース的にも弱い。ネット企業と連携して強みを生かした役割分担ができれば、より世の中に貢献できると思います。
熊日・黒木さん
そうですね、我々は出せる情報はどんどん出していくんですが、どれだけ速く出せるかというと、難しいところもある。
熊日・木村さん
私も同じく難しいなと感じたところもあって、役割分担みたいなものは特にこういう災害時には大事だなと実感しました。

どう「デマ」に対応するか

――熊本地震では、SNSにデマを投稿したとして逮捕者が出たことも時代を現す象徴的なできごとの一つだったと感じました

熊日・木村さん
熊日に寄せられた不確実な情報に関しては、一つ一つ取材して全て検証しました。阿蘇大橋も本震直後に落ちたらしいという情報が入り、現場になかなか行けなかったんですがなんとか入って確認しました。ただ、大半の情報は間違いでしたね。
神戸・河合さん
SNS上でデマが広がっていて「どうなっているんだ」と話題になっていたときに、新聞社が裏を取って「違います」と確認したことにも価値があるのでは。新聞は実際に起きたことは出しますが、裏を取って「なかった」情報は出さないじゃないですか。そこを踏み込むか。
熊日・木村さん
基本は出さないですね。しかし「違います」という情報を出すかどうか…難しいですね。
河北・大泉さん
東日本大震災でも「外国人犯罪が増えた」という話が流れたんです。けれど、そういう事実はなかったという記事が今年に入って出ました。否定しないと間違った情報が一人歩きを続けるかもしれない。
神戸・河合さん
神戸連続児童殺傷事件の際にもいろんな情報が流れたんです。
神戸新聞では全部取材して、分からないことは分からない、分かったことは分かったと掲載した。情報の大きさによっては、そういう方法も一つかなと感じました。
熊日・黒木さん
地震直後はたくさん情報が寄せられ、全て対応できなかったのが現実でした。確認してまずは正確な情報をどれだけ早く伝えるかでやりましたが、「不正確でした」というところまで出す余裕は正直なかったという部分もあります。
河北・大泉さん
災害が起きて、足りないと言われるよりもやっぱり地元紙って大事だったねと言われることの方が多かったと僕は思っています。
全体の状況を見て「情報をさばく力」「ニュースの価値判断」。新聞社で長く培われてきた強みを最大限生かしてアピールすることは大事だと思います。

「検証熊本地震」展が開催されるびぷれす熊日会館(熊本市)で対談しました。展示は5月7日まで

もしまた地震が起きたら

――もしあのときと同じ規模の地震がまた起きたら、皆さんどうされますか

河北・大泉さん
僕はやはり起きる前が大事だと思います。災害報道の前に、防災・減災報道。
地元紙として地域で事前に何ができるか、外の業界の人とどれだけつながることができるか。
もしまた起きたら…。突き詰めると自分の命を守る。報道だから何かしなくちゃいけないって意気込む前に、まずはそこが出発点。それが果たせないと何もできないので。
神戸・河合さん
今起きたら…。インフラ情報も事業者が発信するし、民間も情報発信する時代ですが、一つ一つ見るには時間がかかります。さらに正しいか分からない情報も混ざってくる。
いまこれが大事という情報を見極めて速いタイミングで出すのは編集の基本。災害時には特に大事です。情報媒体もどんどん変わるので、ここは常にステップアップしないといけない。
あとは神戸新聞だからできること、できないことの役割分担でしょうか。ネットやテレビ局にできないことをお願いする。メディア全体で共有できたらいいのにな…とも思いますが、意識しながら対応したいです。

――河合さんは記者3年目で阪神・淡路大震災を経験しましたが、全国の地方紙や2紙の若い記者にアドバイスがあれば

神戸・河合さん
うーん、そんな偉そうなことは言えないのですが…(笑)。
無力感も大きかったですし、地震そのものも怖かったですしね。たまたま生きてる、という感覚があるんです。どっちがどうって分からない状況だったから。亡くなられた方に恥じない報道をという思いはずっとありますね。
熊日・木村さん
私も死ぬか生きるかっていうところに立った、生かされているというのは感じました。
神戸・河合さん
それがどこかでまた起きるというのは間違いないんです。災害時は日常の課題があぶり出される。災害弱者は日常時の弱者の延長です。若い人には、日常の社会問題をきっちりと報道し続けて、災害時に後悔しないようにして欲しいです。
熊日・木村さん
次にまた…というのは熊本はまだ現在進行系なので何とも言えないです。
ただ、熊本日日新聞はこれまで、水俣病、ハンセン病などのいろんなテーマを抱えてきて、また熊本地震という大きなテーマを抱えた。これは新聞に関わる人間としてこだわっていかなくてはならない使命や矜持です。忘れ去られないように、防災・減災という意味でも、全国に向けた発信をデジタル部門の人間として考えています。
今年の秋に「くまにちコム」を大刷新します。ニュースだけのサイトじゃなく、新聞社としてもっといろいろな取り組みをアピールして、ユーザーに身近にしてもらいたい。
そして、購読者の専用サイトを閉鎖することにしました。地震のときに「くまにちコム」はよく見られたのですが、購読者専用サイトはほとんど意味がなかった。前から議論はあったんですが、まさに地震をきっかけにやめることになりました。
それと同時に力を集中させるのがSNS系の発信。購読者だけじゃない、ソーシャルに力を入れて、いざというときに対処できるんじゃないかと。地震という大きなきっかけで決断できました。
熊日・黒木さん
地元紙は大きなことが起きた際、地元の人から頼られるというのはよくよく実感しました。どれだけ新しい情報を正確に手元に届けることができるかが求められます。それができなければ地元の人との距離が開いてしまうと思っています。
それは絶対にデジタル部門だけでできることじゃない。編集局との連携をより高めておく。記者も日頃から自治体や関係機関と密接に情報をやりとりできる関係を構築しておくことが必要だった。幸い地震の際は、ある程度うまくできました。 デジタルと編集で壁がある社もあるとは思いますが、こういう事例を聞いてもらって、今後を考える上で連携を高めて欲しいです。常に意識することが大切です。

お問い合わせ先

このブログに関するお問い合わせについてはこちらへお願いいたします。