Media Watch2015.01.26

「アルゴリズムか編集者か」「個人か組織か」~ジャーナリズムの未来は?

 1月24日に開催された「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」。会場では、「次世代のジャーナリズムとは?」をテーマに、ゲスト登壇者によるパネルディスカッションも行われました。その様子をお伝えします。(アワード受賞者やイベントの詳細についてはこちらをご覧ください)

【ゲスト登壇者(上の写真左から順に)

  • モデレーター 
    • 境治氏(コピーライター メディア戦略家)
  • パネリスト
    • 藤村厚夫氏(スマートニュース執行役員 メディア事業開発担当/シニア・ヴァイス・プレジデント)
    • 小川一氏(毎日新聞社執行役員・東京本社編集編成局長)
    • 福原伸治氏(フジテレビジョン報道局局次長)

「組織か個人か、というのはナンセンス」

≪前半は「次世代の担い手」をテーマに議論が交わされました。≫

境治氏(以下、境) まずは「組織か個人か」について。今日のイベントでも、お1人で企画をやっている方もいて。個人だからこそ切り込めることや、あるいは組織じゃないとできないこともあるかと思いますが。

小川一氏(以下、小川) 会社の中では、これからは個人だと言っている。一方、会社の外では新聞社(組織)が大事だという話もしている。調査報道などはお金がかかるんですね。情報公開請求などでも何万通となるとお金がかかる。もうひとつ、記者教育。いったん記事を報道する、となると、必ず、相手を傷つけたり訴訟の問題があったりと、色々な問題がある。そこを乗り越えて報道するためには、組織の中で教育しないと厳しい。

福原伸治氏(以下、福原) 小川さんのおっしゃるとおり、組織でしか出来ないところというのはあるが、「組織か個人か」というのはナンセンス。個人でしかできないこともある。個人あるいは少人数で影響力を持っている方もいる。個人の身軽さでできること、才能でできること、それがマスメディアと並列になるくらいまできている。「OR」でなくて「AND」。組織と個人がうまくマッチングしてコネクトしていくかが課題。マスメディアとネットの対立という時代はとっくに終わって、今後は(そういった課題を)どうやっていくか、というのがキーになる。

藤村厚夫氏(以下、藤村) こういう場ではいいにくい言葉だが、昨年問題になった新聞社の報道インシデントなどがあって、僕はいったん、組織ジャーナリズムは終焉したんだと思わないとだめだ、と思っている。組織ジャーナリズムが何かを指導するという時代が終わった、というところから、どんな新しいことができるか、ということを考え始めることが健全だと思っている。そういう意味では個人の時代だと思う。とはいえ会社や組織で出来ることも残っているが、もう意義が変わってくる。

小川 色々批判もされますが、全国紙や地方紙などで全国に記者が散っていって、スキルのある人が報道しているという情報空間はやっぱり大切。これは明日も明後日も10年後も続けていって社会に貢献していきたい。フリーランスが5万人全国に張り付いても、やはりひとつのマスメディアという形をもった企業体でないと報じられないこともある。

藤村 小川さんのおっしゃることに反対ではないが、組織がアジェンダを決める時代ではないと僕は思っている。アジェンダが変わるということを理解しなければ、世の中に組織化されて散っている一次情報に触れられる人たちの生き方が変わると思う。その人たちの活かし方が変わると思っている。

「メディアは"区分"じゃない」

 「ネットか紙か」という話について。毎日新聞を取らなくてもネットで見られるようになっている。紙の新聞って必要なんでしょうか?

小川 紙という上でのデバイスは残さなければいけないと思っている。

藤村 僕が考えるメディアというのは、別にフォーマットがどんどん変わっていいと思っている。「何々が大事」という発想自体がある種のアジェンダしばっていくとおもうので、とことん自由になるべき。
 メディアって自立的に生きていく力を持てないものだったとすると、みんなで守っていくことによってとにかく維持するという方向で考えていくと、活力も影響力もなくなっていくので「フォーマットなんていいんじゃないの」という考え。モバイルも形が変わる。スマートフォンにしがみついていたらスマートニュースもあっという間に消えていってしまうかもしれない。フォーマットの変遷を超えて人々の欲求に応えられる力はなんだろう、という風に考えると、正直言って対立軸は生まれて欲しくない。

福原 対立軸というのは、ナンセンス。ネットや紙、色々な定義があるが、新聞でしかアプローチできない人がいる、ネットでしかアプローチできない人もいる、テレビでしかアプローチできない人もいる、という状況だと思う。今はどこで共存するか、どうやって線をひくか、という段階。
 まだいえないことが多いが、24時間でネットニュースをやろうとしている。おそらく4月くらいから、第一弾としてやろうと思っている。テレビの報道の人間と、さまざまなネットメディアとか色々な人の意見などをあわせて、それを様々なメディアの形にディストリビュートしていく。ニュースの入り口と出口を変えることによって、今まで対立構造になっていたものを縫合していくようなことをしたい。

小川 STAP細胞問題では、最初に論文がおかしいといい始めたのはネットの世界。その後、紙の記事になるとはじめてようやく行政や理研が動き出した。紙と電子と電波が情報空間を作っていく流れがあった。

 ある種、スマートニュースもそういう受け皿?

藤村 そうだと思う。結局フォーマットがあることでコンテンツはリアリティを増すところもあるが、一方で不自由さも生まれる。コンテンツの消費の仕方が自由になることで結果的にジャーナリズムとかコンテンツを作っている方々と、オーディエンス・読者との出会いが多様化する。多面的なコンテンツの発展の仕方の中に、自分たちもモバイルといった利便性などで参画できればすごくいいエコシステムになるのでは。

 メディアは「区分」じゃないね、(「ネット"か"新聞」といった)「か」じゃないねという話だが、新聞社や(テレビ)局の中では、「とはいっても…」(そのような対立軸を持っている)という人もいるのでは。

福原 そういうことをいう人も中にいるが、どう説得して化学反応をおこすのかは大変な作業。そういうことを外でやるのと中でやるのとは大分違う。現状を変えたくないという人も(内部には)少なからずいる。ただ、変えなければいけないと皆わかっているんです。ただ、わかっているがどうやっていいかわからない、まだ大丈夫だ、という人もいる。そういう人たちがいる中で、実際に無理にでも動かしてみるとか、色々なことをしないと変わっていかない。ただそれで変わることができるなら、マスメディアはまだまだポテンシャルはある。今のままでは生き残っていけないかもしれないが、うまく変わっていければ面白いことになると思う。

アルゴリズムか?編集者か?

≪後半は、「技術をどう活かすか」をテーマに議論が進められました。≫

 まずは「アルゴリズムか編集者か」について。アルゴリズム的なキュレーションサービスと、人がアジェンダを選ぶやり方、(それぞれ)どう思うか。

福原 アルゴリズム的なものが有効なジャーナリズムもあるし、あるいは編集者が有効なジャーナリズムもあるし、さっきから言っているが「対立構造」というものではないと思う。まだ過渡期だと思う。

小川 対立軸にしてしまうと、人間の力だという答えになるが、私は、なぜ毎日新聞がスマートニュースの上にあがらないのか、ということを考えるんですよ(笑)。ネットの指標というのはありがたくて、今まで新聞社は読者の反応をつかむ機会がなかった。今は、いいね!やツイートなど、すぐ数字がでる。そういう指標ができたことですごく勉強になっている。

 視聴率の議論のように、「いいね!」主義というか、読者におもねることにもなりかねない?

小川 まだ先の話ですね。今までは全く基準がなかった。(19歳がYoutubeに投稿したことで話題になった)「つまようじ事件」は、極端な話、ネットで受けるためにリアルで犯罪するという、ネットがリアルを支配してしまった究極の姿だと思うが、まだまだ新聞社はウケるために記事を書くという発想はないので大丈夫かと。

福原 テレビだって視聴率至上主義が批判されてきた。ネットの世界でも、PV至上主義が批判されてきている。ただ指標というのは新たなものをつくる永遠のテーマだし、そういうところにアルゴリズムや編集者が関与するヒントがあると思う。

「スマートニュースって○○を沢山取れば載るんですよね」

 藤村さんなりに、アルゴリズムに関して気をつかっている点はある?

藤村 「人間だったら絶対バンザイ」で、「機械だったら許せない」、というのは議論のレンジの中ではない。僕らの問題意識をいうと、PVとかクリック数ではなくて、いくつか試行錯誤がありますが、我々も問題意識は一緒で、コンテンツの品質とか、人に対する影響をどうやって僕らは方程式にしていくのか、ということを常に議論しているわけです。「1人の人間の思いのたけが詰まったコンテンツに揺り動かされる」ということをじゃあどう計測できるのか、ということとか。広告に携わっている人の議論を聞くと、目の前のボタンを押させることだけが問題なのではなくて、やはりブランドに対する信頼感を通じてきちんとした消費者のエンゲージがなかったか、という議論をしている。これは全くコンテンツも一緒だと思っている。
 今申し上げたような広告の、消費者とブランドがエンゲージメントを重ねて理解と信頼を作っていく、という議論が最近のメディアのコンテンツを作る側に無くなってきている。結局、「スマートニュースって○○を沢山取れば載るんですよね」という話が出てきてしまうので、実はアルゴリズムの中を構成している要素を説明しにくくなってきている。そういうことを言えばいうほど、「じゃあそれを集めればいいんですよね」という話になるんですよ。
 編集者がコンテンツを選ぶときには最終的には編集者の倫理に突き当たるわけで、それは我々の場合、アルゴリズムを設計しているエンジニアの倫理に突き当たる。いずれそれを我々も倫理観について説明しなければいけない。ところが他方で、具体的に説明すると「それ集めればいいんですね」という話になってしまうんで。その説明をどういうタイミングでしていくか、というのが自分達の会社での議論のポイントではある。

 (スマートニュースのアルゴリズムは)ソーシャルでたくさん数がついたのが上にくるのかなと思っていたけど…

藤村 それはもう大分違いますね。結局そういうのだと、薄っぺらな議論になってしまって我々が思っている結果と違うので、今も色んなパラメータを見ているが、最終的にはコンテンツの品質を指標化できる方法をどのようにアプローチしていくか、という議論をしている。

福原 スマートニュースには単純なPV至上主義ではなく、どうやってそこに対して新たな何か、微分積分して別の価値体系をつくっていくか期待している。

 大げさにいうと、多数決的な民主主義で決めてきたものに対して、何か新しいものがでてきた?

藤村 民主主義とか多数決という話をこういう場にもってくるとみんな嫌うんですよ。でもこんな重要なことはない。報道インシデントの問題も、人間が「こういう方向だ」とい決めなかったら生じなかった問題。次なる課題は、個人一人ひとりが作り出していく異なる価値観と、社会全体が見なければいけない問題と、どういうところで接点を作り出していくかだと思っている。

 福原さんが取り組もうしているメディアはその辺を意識している?

福原 意識はしている。ただ、時間はかかるし、どうやってやっていくかは合意形成が必要。世の中って革命は起きないが、イノベーションはおきるわけだし、やっぱり動かさなければいけないところはある。藤村さんおっしゃるように民主主義はベストな形態ではない。それ以外の価値を決めることもなければならない。メディアもジャーナリズムも、テレビ自身も変わらなければいけない。

「調査報道そのものだって、疑ったほうがいい」

藤村 今スマートニュースをやってて思うのが、ファクトとか一次情報を軽んじる発想が多い。「一次情報は誰が拾っても一緒だ」という見方を平気でする人もいたり。ジャーナリズムを高みにおいて語られる方の中でも、僕は、調査報道第一主義者の議論は眉につばつけて聞くべきだと思っていて、ViewがあってNewsがあるという議論に結びつきやすいことに恐れがないのではと思っている。「角度をつける」という考え方だと、ニュースをつくる視点では結局Viewが先に立つ。でも調査報道って、調査報道そのもののスタンスを疑わなくていいの?っていう議論はジャーナリストの中から誰も出てこない。多様な視点から疑うところに枠組みを広げていかないと、ジャーナリズムが孤高を極めていて、かつ信用できないという人が沢山いて…という図式を超えられない気がしている。僕は調査報道そのものだって疑ったほうがいい。

 今気になることって、Viewばかりが表に出てきて、パパッと検索して「テレビが悪い」とか(笑)、自分のViewを語る人がでてきて…ちゃんと調べてないなぁと思うものもある。それは企業マスメディアにもあるかもしれませんし。

藤村 もちろん新しい世界にもあって。

 そういう意味でいうと、「Viewの前に、まず報道ってNewsだよね」ということを藤村さんはおっしゃっていたのかなと思います。

「ツイッターは議論の場ではない」

 最後は「ソーシャルによる双方向性」について。小川さんは早くからツイッターをやられているが、ツイッター同士の議論って議論になるんでしょうか。

小川 ツイッターは議論の場ではない。スルーはぜんぜんありなメディアだと思う。ただ、教えあえるメディアではある。間違ったときは、間違ってますよといわれて、それを直すことができる。記者が何を間違えてユーザーが何を発見したか、リテラシー全体が深まっていく。双方向性はユーザーから教えてもらうと同時に、「新聞記者ってそう世の中で思われているより悪くないよね」という感覚をどれだけ広げられるかだと思う。ソーシャルメディアは新聞にとって武器になると思う。

福原 ソーシャルでも、メディアの大きさや種類で有用であるのとそうでないのがある。新聞とのマッチングがよかったりするところもあるし、まだまだこれからだと思う。リテラシーの問題がまだこれからだと思う。今、ツイッターやFBを使えばハッピーだというよりは、色々やりあって高めていって、試し試しやっていく段階だと思う。

藤村 「あのメディアではこういう意見がでて、こっちのメディアではこういう意見が出て、ブログでは識者のこういう意見がつく」というような分散的な対話がすごく大切。色々なところで情報がでてきて、一つの方法だけではない、同調圧力に屈しない情報の出し方というか、それぞれのジャーナリズムが境地として持たなければいけないのと同時に、それが分散的に成立する仕組みにもっていかなければいけないと思う。その時代に入っていかなければいけないので、単純に仕組みの問題でもないし、特定の媒体の問題でもなくて、ひょっとするとリテラシーみたいなものかもしれない。

「何で報道番組に金髪の人がいるんだ」

 福原 ネットの世界では、自分達は世の中それなりのパートを占めていると思っている。でもいざそれを離れてみると、すごく小さいクラスタかもしれないと思うこともあって。どういうことかというと、きょう(この会場に)いらっしゃっている津田大介さんはスーパーニュースに出演してもらっているのですが、「何で報道番組に金髪の人がいるんだ」と苦情が毎日のように来る(笑)。この中で津田大介を知らない人はいないが、テレビの中ではマジョリティではないんですね。


小川
 双方向というのは決して意見交換だけではなくて。例えばソーシャルメディアの登場で劇的に変わったのは、かつては記者は警察に食い込んでいち早く現場に行って…という取材方法だったが、今は110番の(通報の)前にツイッターに(事件現場の)写真があがっている。その情報をいただいて認証してマスメディアとして発信するという、情報の交換という意味では双方向性はある。

福原 イスラム国の(日本人人質事件の)映像も、マスメディアよりもソーシャルメディアで先にひろがって、マスメディアが追いかける、という構図があった。そういう意味でいうと、いかに対話としての双方向ではなく、情報としてのトリガーとしてどうやって使うのか、ということが重要になってくるのでは。

「コンテンツを大切に」「プロセスが読者と共有できる時代」

会場では、学生やメディア関係者の姿が多くみられた


 最後に、次世代を担う方々にメッセージを。

藤村 コンテンツを大切にしましょう。コンテンツだけは希少性があると僕は信じ込んでいる。それを皆が享受できて価値の高いものを生み出せるサイクルを含めて、そういうところに思いをめぐらせていただける方々が次の時代にも重要だと思う。良いコンテンツは希少。

小川 大変素晴らしい時代が来ている。今は、いくつものタイムラインを1人の人が使いながら色々なアウトプットができる時代。プロセスが読者と共有できるすごい時代にきている。だからもう一回生まれ変わっても記者になりたいと思いますね。

福原 テレビにかかわって30年間近くなるが、色んなテクノロジーやメディアの登場をリアルタイムで体験してきた世代。アナログからデジタルの移り変わりなどを体験してきた最後の世代に近くなってきた。それなりのポジションにいる間に、新しいものを次にどう渡していくか、スムーズに時代を変えていくか、というところは最後の仕事だと思っている。そういう意味で、ここにいる色んな方と今後は一緒にやっていく機会を作っていきたい。

 ひょっとしたらここにいるどなたかと福原さんが何か一緒にやるかもしれないですよね。楽しみです。

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