宗田真悠

【耕論】みんな悪い、の構図――連帯責任のニッポンを考える

2018/10/31(水) 7:24 配信

誰かが問題を起こしたときに、その仲間も責任を問われ、罰を受ける連帯責任。古くから社会に根ざしており、スポーツの現場などで今もよくみられます。全く責任がない個人が不利益を被ってしまうという理不尽さがありますが、組織を良い方向に導くために一定の効果があるという声もあります。その功罪を、改めて見つめ直します。(取材・文=朝日新聞オピニオン編集部/編集=Yahoo!ニュース 特集編集部)

組織の責任を問うほど、管理主義が強まって息苦しい
為末大さん  元陸上選手

効率を上げることもあるし、隠蔽を招く場合もある
菊澤研宗さん 経済学者

古代から見られる制度で、原因究明があいまいになる
本郷和人さん 歴史学者

組織の責任を問うほど、管理主義が強まって息苦しい

為末大さん  元陸上選手

「現役時代に練習拠点を置いた米国では、選手個人と組織の責任との線引きは明確でした」=東京・豊洲で(撮影:飯塚悟)

スポーツの世界では最近、悪質タックル問題で日大アメフト部の今季のリーグ戦への参加が認められなかったことが話題になりましたね。あの騒動を見たスポーツチームの中には「うちは大丈夫か」と管理を強める方向に走るケースもあるだろうな、と思いました。残念ですが、企業でもこうした反応はありがちでしょう。

私は陸上という個人競技の世界にいたので、連帯責任が問われるような場面に遭遇した経験はありません。

為末大(ためすえ・だい)1978年生まれ。陸上男子400メートル障害で世界選手権2度の銅メダル。2012年引退し、講演、著作など幅広く活動=東京・豊洲で(撮影:飯塚悟)

ただ、チーム競技では、集団のために個人があると考えないと成り立ちにくいところがある。一方で個人の価値観としては、受け入れがたいものも出てくるわけで、スポーツはそういうぎりぎりのところを動いているものです。

私が現役時代に練習拠点にした米国では、選手個人と組織の責任の線引きは明確でした。陸上競技では、選手がコーチを雇うという関係性です。指導者も技術的なコーチのほか、トレーナーや栄養面を見る人間と分業化されていて、そこに連帯責任は組み込みにくい。特にプロスポーツであれば、選手のドーピングが発覚しても、コーチは「私もだまされた」といえます。

日本では「君が問題を起こせば、チームのみんなに迷惑をかけるよ」といえば管理しやすくなる。社会を見渡しても、よく統率され、細かいルールを決めなくても協調して動く組織の場合、連帯責任の考え方が利いている分、個人の幸せは相当に減るのだろうなと感じます。

たとえば、公園で禁止されているボール遊びでトラブルが起きても、まず当事者間の話し合いで解決を図ればいいのではないでしょうか。集団や組織の責任を問うほど組織からの管理主義が強まり、社会ががんじがらめになる。息苦しく感じます。

個人の時間に個人が起こした問題も集団の問題だというなら、個人の時間にも組織が介入してくる構造になります。「チームや組織が大きくなれば、いろんなひとがいて問題も起きるよね」と一歩引いて考えてみるべきではないでしょうか。

「スポーツ界も変わりつつあるとは感じています。ソーシャルメディアの存在も大きいですね」=東京・豊洲で(撮影:飯塚悟)

実際、スポーツ界もそういう方向に変わりつつあるとは感じています。変化の理由のひとつは、選手がスポーツの外の世界に触れ、海外スポーツの状況を知ったこと。ソーシャルメディアの存在も大きい。当たり前だと思っていたことが、そうではないと気づいたのです。

ひとつの組織に帰属していた時代に連帯責任は機能しました。しかし、これから肩書が複数になったり、利益相反の関係が複雑になったり、組織の連帯も弱くなっていく時代です。そういう意味では今後、連帯責任を問うことは難しくなっていくと思います。(聞き手・潮智史)

悪質タックル問題を受けた、日大アメフト部前監督らの記者会見。同部は今季のリーグ戦に出場できなくなった=2018年5月(撮影:竹花徹朗)

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