日本国債の固定相場制はいずれ崩壊する。ニクソンショックならぬ日銀ショックに備える時か
現在の日本では長期金利(日本国債の10年新発債の利回り)が固定相場制のような状態となっている。12月20日に日銀は長期金利の変動幅を従来の±0.25%程度から±0.50%程度に拡大するとした。
本来、長期金利は市場で決められるものである。経済や物価動向、米国などの海外の国債の動き、そして国債の需給動向などを睨みながら、市場参加者の思惑なとも絡んで、適正な国債利回りが形成される。時には異常な動きを見せることはあっても、それが異常なものであれば市場で修正される。
現在の経済金融に関する教科書の記述はどうなっているのであろうか。
長期金利は日銀が会議室で適切に決定するとでも記述されているのであろうか。20日にはあろうことか、2年、5年、20年、30年、40年の指し値オペも準備し、自分でイールドカーブまでも描こうとしている。それでは日本の債券市場などいらないといっているのと同じではないのか。
このような固定相場制のようなものは、それがファンタメンタルズや海外の金利情勢などと適合している状況下では一見、機能しているかにみえるかもしれない。しかし、そこに乖離が生じるとなれば当然ながら無理が生じる。
固定相場の崩壊例としては、例えば1969年のニクソンショックの事例がある。ドル円は常に360円であったものが、306円となり、その後、市場に委ねられた。日銀はこのようなショックを引き起こしかねない政策を取り続けているということにもなる。
1969年1月に米国で成立したニクソン政権は大幅な財政拡大政策を取り、連邦予算は1969年の30億ドルの黒字から、1971年には230億ドルの赤字を出すまでに膨張した。1971年春には猛烈な投機により外国中央銀行にはドルが溢れ、米国の金準備は大量に外国に流出した。
その年の8月15日、リチャード・ニクソン大統領は、テレビとラジオで全米に向けて声明を発表した。主な要点は、税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入などであった。
この中で特に注目されたのが「金とドルの交換停止」。これによって第二次大戦後の通貨の枠組みであったブレトン・ウッズ体制が崩壊し、為替市場は新たな展開を迎えた。これにより人類の歴史上、長く続いた金を中心とした貴金属と通貨の関係が完全に切り離され、通貨は通貨間の相対価値が基準になるという現在に続く変動相場制へと移行するきっかけとなる。このニクソン大統領による声明は世界に大きなショックを与え、ニクソンショックやドルショックと呼ばれた。