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未完成品であったコロナ迅速抗体検査〜現状の分析と今後の見通し

小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師
英国最大の研究所であるフランシス・クリック研究所もコロナ検査センターとなった

英国の対コロナ戦略において、数理モデルを駆使した科学的な封鎖計画と抗体検査による免疫状態の評価は戦略の2大柱といってよい。英政府は、コロナウイルスに対する免疫がついたかどうかを確認する、いわば「免疫成立証明書」を発行し、免疫のついた人から優先的に封鎖から復帰していくことを表明している。

実際、抗体検査は(正確ならば)病院においてコロナ患者と接する必要性のある医療者の合理的な人員配置計画を可能にすると見込まれる。これができれば現在の大流行中において病院への負担を減らせるだろう。また大流行収束後、免疫を持った人から優先的に復職することで出口戦略に活用できるであろう。英政府はそのような計画である。

ところが現在流通している迅速抗体検査は使いものにならないことが明らかになってきており、対コロナ戦に暗雲が立ち込めている。本記事では、急速に展開する現状の分析と今後の見通しを示す。

英政府が抗体検査で目指すもの

英国の在宅抗体検査キット配布によるコロナ戦略については前回の記事で詳説した。前線のNHS医療者を迅速に検査し、安全にコロナ病棟の管理ができる医療者を選別する予定である。さらに検査は一般向けに販売して、自己管理などに使い、さらには免疫のついた人から優先に封鎖から自由になる予定であるようだ。英政府は既に350万キットを購入済みであったという。

コロナウイルス抗体検査の大きな目的のひとつは、ウイルスに感染中のひと、免疫があるひとを見極め、前線の医療者らの人員を確保し、医療機関の疲弊を防ぐことにある。このため迅速にできる抗体検査が使えるようになるのは重要である。

さらに英政府が言うように、抗体検査を使って復職可能な人を選抜し経済活動の再起動を可能にするということまで視野にいれると、相当数の検査が必要になる。

抗体検査の種類

抗体検査には迅速検査と定量検査の2種類があり、対コロナ戦において重要なのは、診療所や在宅で特殊な機器がなくとも簡単・短時間に自己検査できる高性能の迅速検査である。

一方で、免疫状態の正確な把握には、どれだけの量の抗体が血中にあるか(抗体の力価)を測定する検査(定量検査)が必要であり、これもまた人類がコロナウイルスに対する集団免疫獲得が可能かどうか、どの程度可能なのか、という重要な問題に答えを出す上で必須の検査である。

抗体検査がどのようなものかというと、ウイルス感染早期に血中にあらわれる抗体である免疫グロブリンM(IgM)ならびに、感染の中期から血中に増加して治癒後も血中にとどまる免疫グロブリンG(IgG)の2種類の抗体を測定する検査である。検査結果は4つのパターンになり、それぞれコロナウイルスに対する感染状態を次のように知ることができる。

IgM陰性・IgG陰性 ー ウイルス未感染

IgM陽性・IgG陰性 ー 感染初期

IgM陽性・IgG陽性 ー 感染中〜後期

IgM陰性・IgG陽性 ー 治癒後(免疫状態)

このように抗体検査は非常に有用な情報を与えてくれるため、期待が高まっていたが、結論を先に書くと、現在、英国や日本で手に入る迅速検査は性能が非常に低く(1)、現時点では検査しないほうが安全であると考えられる。この理由について以下書いていく。

粗悪検査の落とし穴

迅速検査は少量の血液から検査可能な試験(2)がよく使われる。抗体の「有無」しか判定できないが、少量の血液で迅速に結果がでるゆえ自己検査も可能であり、英政府が大規模に配布しようとしているものである。

当然、免疫状態を知ることは、個人の行動を変えることになる。もし、検査をうけて免疫状態にあると診断されたならば、その人はもう感染しないように真剣に注意して行動することはなくなるだろう。感染状態だと言われた人も、治癒後には同様に、安心してしまうが、その安心は偽物で、逆にあなたを危険に陥れる。

ところが、今週、英国政府は、350万セット購入したというコロナウイルス迅速抗体検査の性能が低いことを明らかにした。スペイン政府も、中国から購入した迅速抗体検査が表示通りに機能しないため返品したと報じられている。

一方で、アメリカのアメリカ食品医薬品局(FDA)が、米企業が開発したコロナウイルスの迅速検査を承認したという報道が最近なされた。ごく一部のデータは供覧できるが、この検査試薬にどの程度の正確さがあるかについては、日本を含め各国で性能評価する必要性があろう。

急がば回れ

実のところ、今回の迅速抗体検査の沈没は懸念されていた事態であった。というのは、コロナウイルスに対する免疫がどのようなものかまだ研究の途中だからである。

上に書いた抗体の検査結果と免疫状態の対応は、実のところ勝手にできあがるものではない。地道に多くのコロナウイルス患者から採血した検体を使って、彼らの感染・免疫状態を知りながら検査を改善していき、臨床で使い物になる有用で正確な検査を誰かが開発するのである(3)。

ここは焦らず、まず抗体量を精密に評価できる定量検査(ELISA=酵素結合免疫吸着法)を確立し、これを基盤にしてELISAの結果と臨床結果を参照しつつ迅速検査(免疫クロマト法)で性能のよいのを作るべきではないかと思う。

悪貨は良貨を駆逐する

ELISAという抗体検査については、昔は研究室で自作するのが当たり前だった実験方法である。実際に、ELISAをつかったコロナウイルス抗体の定量検査はすでに報告されている。ただし、筆者が論文を読んだ限りは、多くの報告はデータが不十分であり、信頼できるものはごく一部であった。

まだ危うい状態であり、基本をおろそかにしない堅実な研究が望まれる。

この世界的危機において、こうした基本的な検査の確立に先進各国が苦闘している一方で、迅速検査の粗悪品が流通してしまった現状は、科学・医学にまつわる現代社会の深刻な問題を露わにしたと思っている。

過去10年以上にわたりあらゆる先進国が「すぐに臨床応用できる研究」と「金になる研究」を過度に推し進めたことが、良質だが地味な研究を駆逐してしまった。これがために、大学・産業ともども基礎的な技術力が弱ってしまい、第二次大戦後最大の世界的危機に対応が遅れるというのは皮肉なものである。ここでは詳細には立ち入らないが、この問題はよく覚えておき、コロナ戦後に検証が必要と思う。

封鎖の科学的意味と抗体検査

誤解が多いようだが、イタリア・スペインなどで新規患者数がピークに達し、英国もピークが先に見え始めたが、これは集団免疫の成立によるものではなく、封鎖による人と人の接触が減ったことによる一時的な流行の抑制にすぎない。封鎖を解除すると、感染爆発が再燃する危険があり、出口戦略の検討が必要なのである。

これゆえに英国やドイツなどの政府は、免疫成立証明書の発行を検討しているのである。一度感染して免疫が成立した人に抗体検査を行い、その証明をいわば免疫パスポートとして与え、優先的に職場復帰してもらうというわけである。

この戦略を理解するには、現在の欧米における封鎖(ロックダウン)が、人と人の接触を断ち切ることで(免疫がついていない人たちのあいだでの)ウイルスの拡散を防ぐことにあることを理解しなければならない。免疫を持った人はウイルスを拡散しないし、感染した人に接触しても感染しないのが本当ならば、一度感染して免疫さえできれば封鎖の対象外になり外に出られるはずである。

封鎖からの出口戦略と抗体検査~急がば回れ

社会が封鎖から脱却するために、正確な抗体検査は死活戦だといってもよい。

今必要なことは、急がば回れだと思う。正確なコロナウイルス抗体定量検査(ELISA)を今のうちに確実に確立し、それを基盤にして、コロナ患者の免疫状態を調べつつ、本当に免疫ができた人たちを正確に同定できる迅速検査を開発することである。

何をすればよいかというと、生化学者・免疫学者に検体を与えて性能のよい検査試薬を開発させる。そして経験豊富で有能な技官を集めて、多くの患者検体を1、2年にわたって分析してもらう。臨床データと関連しながら調べることで、検査で測定している抗体が本当にコロナウイルス の免疫に効いているかがわかる(4)。

こうしていったん正確な検査が出来上がれば、これを基盤にして、迅速検査の開発を早急にできる。こういう過程を経て作られた迅速検査こそが信頼にたる正確なものになるであろう。

まとめ

粗悪品流通による対コロナ戦の停滞は大きな問題であるが、一方で、当然のことながら、こうした粗悪品の商品化が科学的なアプローチの方向性を変えることはない。それゆえに国家戦略も変わることはないが、政治的・時期的には練り直しが求められる。今回の混乱は、世界的緊急事態において、堅実な研究開発の重要性を示したといえよう。

写真は2年前にロンドンの自然史博物館において行われたイベント「欧州科学者の夜2018」に私の研究室から出品したブースの様子である。ここでは、ウイルスに対する抗体検査がどのようにできるかを、子供でもわかるように実演した。
写真は2年前にロンドンの自然史博物館において行われたイベント「欧州科学者の夜2018」に私の研究室から出品したブースの様子である。ここでは、ウイルスに対する抗体検査がどのようにできるかを、子供でもわかるように実演した。

注釈

1.国立感染症研究所が市販の検査試薬を検証したところ、実用性は低いと思われるデータがでている。これは宮坂昌之教授からの情報で気がついたので謝辞を述べたい。

2.健常者、さらには他のウイルスに罹患した患者検体も必要である。こうしてコロナウイルス 特異的な検査を確立することができる。

3. 免疫クロマト法が代表的

4.定量検査を用いて、個々の患者の血中でコロナウイルス に対する免疫を司る抗体(IgG)がどれだけの期間にわたって維持されるか(数ヶ月なのか、数年なのか)がわかれば、集団免疫が確立するのか、どのように維持されるか、はたしてコロナウイルス の大流行は繰り返されることになるのか、繰り返されるならば、毎年なのか、隔年なのか、といったことが数理的に予測できるようになる。

イギリス在住の免疫学者・医師

免疫学者、医師。免疫学の研究・教育を行う。生体内でのT細胞の動態を解析する測定技術Tocky(とき)の開発者。京都大学医学部・大学院医学研究科卒業。京大・阪大で助教を務めたあと英国に移動。2013年に英国でラボを開き、現在インペリアル・カレッジ・ロンドンで主任研究者、Reader in Immunology。がん・感染症(コロナなど)・自己免疫におけるT細胞のはたらきについて研究する傍ら、大学の免疫・感染症コースで教鞭をとる。著書「免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界」「コロナ後の世界・今この地点から考える」(筑摩書房)、「現代用語の基礎知識」(自由国民社)などに寄稿。

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