月曜ジャズ通信 スタンダード総集編vol.2
月曜ジャズ通信で連載している「今週のスタンダード」<総集編>シリーズの第2回です。
2ヵ月分ぐらいをまとめながらと思っていたのですが、1回のアップの文字量に制限があるので、4回分ぐらいずつをまとめて<総集編>としてお送りしていこうと思います。
その理由は執筆後記で。
♪ラインナップ
オール・ザ・シングス・ユー・アー
アローン・トゥゲザー
エンジェル・アイズ
エイプリル・イン・パリ
※<月曜ジャズ通信>アップ以降にリンク切れなどで読み込めなくなった動画は差し替えるようにしています。
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♪オール・ザ・シングス・ユー・アー
この曲は、1939年に上演されたミュージカル「5月にしては暖かい」の挿入曲として書かれたものです。
作曲はジェローム・カーン、作詞はオスカー・ハマースタインII世。この2人、ブロードウェイの音楽関係会社が集まっていたティン・パン・アレイを代表するコンビとして活躍し、彼らが手がけた1927年の「ショウ・ボート」などは“ブロードウェイのミュージカルを変えた”とまで言われています。
とはいえ、ミュージカル「5月にしては暖かい」でお披露目された「オール・ザ・シングス・ユー・アー」は、複雑で歌いにくかったこともあってヒットとならず、ミュージカル自体も不発に終わってしまいました。
しかし、作詞を手がけたオスカー・ハマースタインII世には自信があったようで、自分も脚本に関わって「5月にしては暖かい」を手直しした映画「ブロードウェイ・リズム」を製作する際、この「オール・ザ・シングス・ユー・アー」を再び挿入曲として使用したことで注目されるようになり、1945年のコメディ映画にも使われ、ヒットにつながりました。
一方のジャズ・シーンでは、“複雑で歌いにくい”ことが逆にジャズ・ミュージシャンたちの興味を惹き、ヒット曲だからという理由とは別の動機で愛されるようになったのですから、曲の構成だけでなく背景にも複雑なところがある曲だったのです。
♪"All the Things You Are" Frank Sinatra
人気を誇っていたフランク・シナトラが取り上げていることからも、ジワジワとこの曲に注目が集まっていたことがわかります。テンポ感が薄いこの曲を、甘い歌声にうまくのせて表現しているところはさすがです。
♪All The Things You Are : Keith Jarrett
現代インプロヴィゼーション・ミュージックの最高峰に位置すると言われるピアニスト、キース・ジャレットもこの曲の“複雑で歌いにくい”という魔力に取り憑かれてしまったひとりでしょう。
♪Pat Metheny & Jim Hall
ジム・ホールを師と仰ぐパット・メセニーは、念願叶って1999年にギター・デュオ・アルバム『ジム・ホール&パット・メセニー』を制作します。
モダン・ジャズのなかでギターの地位を築き上げたジム・ホールと、フュージョンからコンテンポラリーの時代に頂点を極めたパット・メセニーが、まるで一本の糸のようにこの複雑な曲を織り上げていく瞬間を見逃さないでください。
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♪アローン・トゥゲザー
この曲は、1932年に上演されたミュージカル「フライング・カラーズ」のために書かれたものです。このミュージカル、成功を収めた前作「バンド・ワゴン」(1931年)とは異なり、二番煎じという評価であまり興行成績はよくなかったとか。ちなみに、「バンド・ワゴン」は舞台同様フレッド・アステア主演でミュージカル映画として1953年に公開されています。
舞台のほうは不振だったものの、「アローン・トゥゲザー」は1932年にレオ・ライズマン楽団によってレコーディングされるとすぐにヒットしました。作曲はアーサー・シュワルツ、作詞はハワード・ディーツ。この2人もまた、多くのジャズ・スタンダードを生み出した名コンビです。
ジャズ界で最初にこの曲を取り上げたのは1939年のアーティ・ショウ楽団。
アーティ・ショウは、アメリカでベニー・グッドマンと並ぶジャズ・クラリネット奏者として知られ、ビリー・ホリディを自己楽団の専属歌手に迎えたことで“最初に黒人女性ヴォーカリストを採用した白人バンド・リーダー”というエポックも残しています。
alone togetherという言葉自体は“2人っきり”という意味で、“一緒でも孤独”というニュアンスを含んでいます。この歌詞は、そんな孤独な世の中でも2人なら強く生きていくことができる、だから一緒に人生を歩まないか――という、なんとも回りくどい“求婚の歌”だったんですね。
♪Paul Desmond- Jim Hall- Alone Together
ジャズの大ヒット曲「テイク・ファイヴ」を作曲したポール・デスモンドが、「テイク・ファイヴ」収録のアルバム『タイム・アウト』(1959年)の続編として1963年に制作した『テイク・テン』に収録されている「アローン・トゥゲザー」です。ウエスト・コースト・ジャズを代表する名演と言っていいでしょう。
♪Eric Dolphy- Alone Together
エリック・ドルフィーのバス・クラリネットとリチャード・デイヴィスのベースによる1963年収録のデュオ演奏です。アブストラクトなインプロヴィゼーションから次第にテーマが姿を現わすというスリリングな展開にグッときてしまいます。
♪Tierney Sutton- Alone Together
1963年生まれの50歳、円熟期を迎えている女性ジャズ・ヴォーカリスト、ティエニー・サットンが2002年にリリースした『サムシング・クール』に収録されている「アローン・トゥゲザー」です。回りくどい歌詞のせいか、なかなかこの曲でいいと思う女性ヴォーカリストがいなかったのですが、ティエニー・サットンのドライな歌い方がベスト・マッチしているんじゃないでしょうか。
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♪エンジェル・アイズ
この曲は、弾き語りの名手と謳われたマット・デニスが1946年に作曲し(作詞はアール・ブレント)、彼が特別出演した1953年製作の映画「ジェニファー」のなかで歌い、注目されるようになりました。
マット・デニスは1914年米ワシントン州シアトル生まれのシンガー&ピアニストで、アレンジや作曲も多く手がけた才人です。1940年に作・編曲家として雇われたトミー・ドーシー楽団では多くのヒット・ナンバーに関わり、なかでも「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」はフランク・シナトラをブレイクに導いた曲として知られています。
「ジェニファー」はミステリー映画で、Wikipediaによれば、ついていない女性主人公が南カリフォルニアのとある所有者不在の土地を管理するために雇われるのですが、そこで“失踪”したとされる前任者ジェニファーの日記を発見。次第に“失踪の謎”を解くことに夢中になっていく――というものでしたが、映画は当たらず。
映画公開前に、エラ・フィッツジェラルドやナット・キング・コールによるレコーディングの記録が残っていますが、ヒットしたのは1955年収録のフォー・フレッシュメンのヴァージョンです。
フォー・フレッシュメンは1948年に結成されたアカペラのコーラス・グループで、米インディアナ州インディアナポリスのバトラー大学に入学したばかりの学生で構成されました。新入生=フレッシュメンということだったんですね。
彼らが織りなすハーモニーはすぐに人々を魅了し、旅公演のオファーが殺到したことによって、2年に進級することなくプロに転向します。“ジャズのビッグ・バンドをそのままコーラスに置き換えた”と評されたそのパフォーマンスによって、1950年代には数々のミリオン・ヒットを放ち、現在もメンバーを変えて活動を続けています。
この曲のタイトル“天使の瞳”とは愛する女性を意味し、ステキな彼女に別れを告げられてしまった“僕”が酒場に入り浸ってデロデロになり、あたりかまわず絡んで未練がましく過ごしている、という内容。
母性本能をくすぐるというのか、男子なら誰もが経験している“脛に傷”というのか、とにかく共感できる歌詞と哀愁漂う曲調がウケて、歌い継がせる魅力となっているようです。
♪Matt Dennis- Angel Eyes
作曲者マット・デニスが1957年にリリースしたセルフ・カヴァー集『プレイズ・アンド・シングス・マット・デニス』収録のヴァージョンです。
♪Four Freshmen in Japan 1964 Part 5- Angel Eyes, Route 66, Polkadots and Moonbeams
フォー・フレッシュメンの1964年来日時の映像です。日本人のトロンボーン奏者5人による伴奏という珍しい編成ですが、これは彼らの代表作である『フォア・フレッシュメン&ファイヴ・トロンボーンズ』(1955年)に倣ったものでしょう。
彼らのコーラス・アンサンブルの斬新さは当時の日本ではすぐには受け容れられず、フォー・フレッシュメン・スタイルのコーラス・グループが出現するまでに10年ほどの年月を待たなければなりませんでした。その代表は昨年結成45周年を迎えたタイムファイヴ。リーダーの田井康夫さんにインタビュー取材をしたとき、フォー・フレッシュメンを聴いた衝撃が結成の動機になったこと、それが当時の日本のポピュラー・コーラス・シーン(たとえばダーク・ダックスやデューク・エイセス)とは一線を画するものだったことなどを伺いました。
♪Angel Eyes/越智順子
2008年に43歳の若さで亡くなった越智順子の2003年のライヴ音声です。越智さんは上京するようになってからまもなく取材を何回かさせてもらいましたが、その早逝で日本のジャズ・ヴォーカル・シーンが被った損失は大きいと思います。
神戸のジャズ・シーンを陰から支えたピアノの有末佳弘もまた2008年末に逝去。
心に沁み入るデュオです。
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♪エイプリル・イン・パリ
この曲は、1932年のレヴュー「ウォーク・ア・リトル・ファスター」のなかの、パリ・セーヌ川のシーンのために書かれました。
作詞はエドガー・イップ・ハーバーグ、作曲はヴァーノン・デューク。
デュークはロシア帝国下のキエフ(現在はウクライナの首都)で育ち、成人するとアメリカやイギリス、フランスに渡って、ショーやバレエの音楽に携わっていました。1929年、再びアメリカに渡るとジョージ・ガーシュウィンに認められ、レヴューやミュージカルの世界で活躍するようになりました。
ハーバーグはニューヨーク生まれ。ほかにも「オーヴァー・ザ・レインボウ」「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」「オールド・デヴィル・ムーン」といった、広く知られたスタンダード曲の作詞を担当しています。
この曲の作詞にあたって、ハーバーグはパリを訪れたことがなかったので、渡仏経験のあるデュークに話を聞いて創作した、というエピソードが伝わっています。
レビューでイヴリン・ホーイが歌った当時の評判はそれほどでもなかったのですが、すぐに女性シンガーのマリアン・チェイスがレコード化して売りだすと爆発的なヒットとなり、ヴァーノン・デュークを一気にトップ作曲家へと押し上げたという経緯があります。
1952年には、ドリス・デイ主演で「エイプリル・イン・パリ」という映画が作られ、もちろん主題歌として歌われました。
♪Doris Day- April In Paris
映画公開(1952年)に合わせてドリス・デイが収録したヴァージョンです。
♪April in Paris- Count Basie and his Orchestra (1965)
ビッグ・バンド冬の時代と言われた1940年代を経て、1950年代に再結成を果たした名門カウント・ベイシー・オーケストラの代表作になったタイトル曲。ベイシーはこの曲をステージのエンディング・テーマに使っていたそうです。
♪Coleman Hawkins- April in Paris
1920年代から50年代にかけて、ジャズの変遷とともに進化し続けたサックスの巨人、コールマン・ホーキンスによるヴァージョン。彼のモダン・ジャズに対応した情緒あふれる表現方法は、クール・ジャズだけでは完成しなかった“ジャズの多様性”を得るために欠くことのできない要素だったとボクは思っています。
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♪編集後記
スタンダード<総集編>vo.1は「1月号」という表記になっています。
「1月号」とはいうものの、<月曜ジャズ通信>をスタートさせたのは<無料版>の2013年12月16日号からですので、12月と1月の合併号というのが正しい表記。
最初は「1〜2月号」でどーんと出血大サービスにするつもりでまとめ始めたのですが、この「Yahoo!ニュース個人」の配信ではアップできる文字数に上限が設けられているため、いざアップしようとしたらできなくて、急遽半分に分けてアップしたというのが、前号の舞台裏でした。
その際あわてて「1月号」という表記に変えたわけなのですが、考えてみると<総集編>を挟んだ場合に1ヵ月に4回の配信ペースとはならなくなるので、「×月号」という表記ではまとめづらくなるということに気づきました。
<総集編>収録の量を減らして「×月号」にこだわるのもナンセンスなので、4回分ずつの収録を基本にしてスタンダードに親しんでもらおうというのが、今後の方針です。
スタンダード自体はいわゆる“懐メロ”であり、時代背景のなかで語られるべき要件なのですが、ジャズではそのエッセンスを抜き出してまったく別の表現として生まれ変わらせてしまっています。だから同じ土俵に並べてみても新旧の別なく、そのときの演奏の機微を楽しむことができます。
そんな楽しみを少しでも多く見つけていただければと思っています。
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/