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高校時代のダルビッシュ、両軍32三振の極上投手戦

楊順行スポーツライター
写真は2007年(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

2003年8月19日 第85回全国高校野球選手権大会 3回戦

平 安(京都) 0=000 000 000 00

東 北(宮城) 1=000 000 000 01

 ダルビッシュ有(現パドレス)が東北2年だった2003年夏。珠玉の投手戦が展開された。相手は、平安(現龍谷大平安)。日大三(西東京)、明徳義塾(高知)と強豪を下してきた原動力は、2年生左腕・服部大輔の力投だった。服部はまず、01年覇者の日大三を8安打6三振で1失点完投。前年に初優勝を飾った明徳も、8安打8三振でやはり1失点完投だ。

 この日も快調。5回までに11もの三振を積み上げた。ダルビッシュも5回を1安打8三振と負けていない。9回を終わった時点では、ダルビッシュが2安打14三振、服部5安打16三振でいずれも無失点と、一歩も譲らない。

 だが試合は延長11回、2死一、二塁から東北がサヨナラ勝ち。ダルビッシュが15三振、服部が17三振を奪う緊迫の投手戦だった。この試合について、服部に話を聞いたことがある。

「勝っていけば3回戦で東北と当たる、ということは意識していました。前の年の秋、神宮大会で対戦したときも投げ合って負けています(●0-2)し、今度は負けないという思いだけでしたね。チームも強豪に勝ってきたので、負けることはないやろ……と思っていました。

 ボーイズ時代(京都ファイターズ)も、ダルとは何回か投げ合っているんです。そのときの同期の采尾(浩二)が東北に行ったこともあり、話はいろいろ聞いていましたが、実際に対戦してみたら、すべてのボールがやばかった(笑)。速いし、変化球はキレキレで、前年の秋とは比べものになりません。ヒット2本でしょう。そのうちの1本を打った西野(隆雅)さんにしてもどん詰まりで、"すごい"といっていました」

孫にまで自慢できるっぺ! 

「対策としては、ピッチャーを1メートル前から投げさせたりもしていたんですが、やっぱり身長が違いますから角度が違う。それと同じピッチャーとして感じたのは、ピンチになればなるほどいいタマがくるのがダルビッシュのすごさ。ここ一番では、浮くということがなかったですね。僕自身も、得点圏に走者を置いて2三振、バント以外は3三振。とても当たる気がせず、バットに当たったのはファウル1本くらいでしたかね。

 自分のピッチングは、この夏で一番よかった。まっすぐと2種類のカーブだけなんですが、右バッターは膝もとに落ちるボールになるカーブをことごとく振ってくれました。17三振ですか……神宮のときは、それほど取っていないと思うんです。冬場にプールトレーニングや走り込みで、下半身が安定したことがあるんでしょう。絶対に先に点をやらないつもりだったんですが、延長11回、二死三塁からのデッドボールが痛かったですね。それと、加藤(政義・元日本ハム)のサヨナラ打も、2ストライクから投げ急いで三振を狙ったボール。もしやり直せるとしたら、そこかなぁ」

 話を聞いた当時には、2人の子どもがまだ小さく、「大きくなったら"お父さんはダルビッシュと投げ合ったんだよ"と、この試合のビデオを見せたい」と語っていた。そういえば、東北との決勝前夜のミーティングで、常総学院(茨城)・木内幸男監督は、「ダルビッシュは、将来必ず1億円プレーヤーになる選手。もしヒットを打てば、孫にまで自慢できるっぺ」と話したという。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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