「シリアのアル=カーイダ」の攻勢に乗じて「米国の民兵」が南東部から首都ダマスカス方面に進軍を開始
「シリアのアル=カーイダ」として知られるシャーム解放機構(HTS、旧シャームの民のヌスラ戦線)が主導する「攻撃抑止」軍事作戦局が11月27日にシリア北部での一大侵攻作戦を開始してから11日が経った。
ヒムス市制圧:縮小するシリア政府支配地
「攻撃抑止」軍事作戦局は12月7日、テレグラムに設置している専用のアカウントを通じてシリア中部に位置する交通要衝のヒムス市への突入を宣言、8日未明には完全制圧を宣言した。
英国を拠点とする反体制派系サイトのシリア人権監視団などによると、シリア軍はヒムス市の南に隣接するダマスカス郊外県北部のアッサール・ワルド町、ヤブルード市、フライタ村、ナースィリーヤ村、ルハイバ市などから撤退を開始したとされ、「攻撃抑止」軍事作戦局の侵攻を遮るものはないかのようである。
シリア軍はまた、クナイトラ県、ダルアー県、スワイダー県全域からの撤退(シリア国防省の発表によるところの再配置と再展開)を実施、またダマスカス郊外県南部のアルトゥーズ町、ザーキヤ町、ハーン・シャイフ町、サアサア町などからも撤退、これを受けて12月6日にシリア南部の地元武装勢力が結成した南部作戦司令室などが勢力を拡大した。
シリア軍の撤退を受けて、反体制派は首都ダマスカスの北10キロ、南20キロの距離にまで接近したという情報もある。
初めて実名で声明を発信するジャウラーニー
こうしたなか、「攻撃抑止」軍事作戦局は17日午後3時53分と午後8時40分、シャーム解放機構の指導者であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニーの声明を発表した。
声明の内容は以下の通りである。
12月7日午後3時53分の声明
12月7日午後8時40分の声明
二つの声明の内容は特段目新しいものではない。だが、それらは、初めて「アフマド・シャルア」(あるいはアハマド・シャラ)という名義で出された点で注目に値する。
「アフマド・シャルア」とは、ジャウラーニーの実名である。ジャウラーニーはシャーム解放機構の前身であるシャームの民のヌスラ戦線の指導者としての活動を開始した当初から、一貫して実名は用いず、ジャウラーニーを称していた。
だが、ここへ来て実名である「アフマド・シャルア」を名乗ったことは、彼自身がテロリストとしての汚名を払拭し、体制を打倒し、「シリア革命」を成就した功労者として歴史にその名を刻もうとする意志の表れ、あるいはテロリストとしてではなく、1人のシリア人としてシリアの国民、あるいは諸外国との関係を築いていきたいという意思の表れのようにも見て取れる。
事実、ジャウラーニーは12月6日、米CNNの単独インタビューに応じて、シリアの次期国家元首のように未来について語っているが、その振る舞いや言葉遣いは、国際テロ組織の指導者のイメージとは程遠いものだった。
「米国の民兵」の参戦
シリア国内の戦況に目を転じると、12月7日には、新たな反体制派が弱体化著しいシリア政府を追い詰めるかのように首都ダマスカス方面への進軍を開始した。
新たに参戦したのは、「シリア自由軍」(あるいは「自由シリア軍」)である。
「自由シリア軍」という呼称は、シリアに「アラブの春」が波及した2011年以降、体制打倒をめざす武装勢力を総称する呼称として用いられてきた。「自由シリア軍」を名乗る組織としては、トルコの占領下で活動するシリア国民軍、同組織に所属し、シャーム解放機構とともに「決戦」作戦司令室を主導する国民解放戦線などが現在も有力である。だが、単一の組織としての実態を持ったことはこれまでにはない。
「自由シリア軍」はアラビア語で「al-Jaysh al-Suri al-Hurr」(英語に訳すとThe Free Syrian Army)となる。だが、新たに参戦した「シリア自由軍」はアラビア語では「Jaysh Suriya al-Hurra」(英語に訳すとThe Army of Free Syria)を名乗っている。いずれも日本語に訳すと「自由シリア軍」となってしまうが、両者を区別するため、筆者は後者を「シリア自由軍」と訳出している。
この「シリア自由軍」は12月7日、シリア軍がダイル・ザウル県のユーフラテス川東岸、ヒムス県のタドムル市などから部隊を戦略的に撤退させたことを受けて、シリア南東部から首都ダマスカス方面に進軍を開始したのだ。「シリア自由軍」のアフマド・フドル広報局長が反体制派系ニュース・サイトのイナブ・バラディーの取材に対して答えたところによると、同組織は、ガッラーブ山の複数ヵ所、イラクのバグダードと首都ダマスカスを結ぶ街道に設置されている複数の検問所を制圧、シリア軍が蜂起した、戦車、装甲車、重火器などを鹵獲した。
「シリア自由軍」とは?
「シリア自由軍」は米国が作った反体制組織である。
米国は、バラク・オバマ政権時代のシリアの反体制派支援政策の一環として、2015年11月にヨルダン領内で反体制派の戦闘員を教練し、「新シリア軍」という組織を編成、翌2016年3月にイラクとヨルダンとの国境に近いシリア南東部のタンフ国境通行所(ヒムス県)一帯地地域に派遣した。そのメンバーは、シャームの民のヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動といったアル=カーイダ系組織と共闘関係にあったアサーラ・ワ・タンミヤ戦線、殉教者アフマド・アブドゥー軍団といった集団からなっていた。
「新シリア軍」は2016年3月に、米主導の有志連合によるタンフ国境通行所および周辺地域を制圧に参加、その後組織内の対立などを経験、2016年12月に革命特殊任務軍への再編されたのち、2022年12月に「シリア自由軍」に改称した。
有志連合が制圧したタンフ国境通行所一帯地域に関して、米国は2015年10月にシリア領空での偶発的衝突を回避するためにロシアと設置に合意した「非紛争地帯」(de-confliction zone)に含まれると主張、占領を続けた。同地は米国がタンフ通行所から半径55キロの地域が非紛争地帯だと主張したため、「55キロ地帯」(55km zone)と呼ばれるようになった。「シリア自由軍」はこの地域で活動を続け、シリア南東部からの「イランの民兵」による攻撃などに対応していた。
「シリア自由軍」は、そもそもヌスラ戦線などと共闘していた武装勢力を母胎としているが、「攻撃抑止」軍事作戦局の攻勢を利するかたちで北進を始めることで、ヌスラ戦線の後身であるシャーム解放機構との戦略的共闘を再開したことを意味する。シャーム解放機構は、国際テロ組織でありながら、北部でトルコが支援するシリア国民軍、南部で南部作戦司令室に加えて、南東部で「米国の民兵」である「自由シリア軍」の加勢を得ることに成功したのである。