北川とわが揺さぶり起こすプログレという“寝た子”
残念ながらジャズよりも先に
プログレッシヴ・ロックは「死んだ」
と言わざるをえない21世紀の今日、
その本来の意味である
“プログレッシヴ”=“先進的”“発展的”
であることを機能させている音楽が
ジャスにこそ息づいていた事実を
目の当たりにするのが
北川とわの作品であり、
ライヴであったりしたことを
2017年の記録として書き留めて
おこうと思います。
そもそもが
Something Newを
第一義とするジャズにおいて
Progressiveであることを
殊更に言い立てるのは
野暮というもの。
“プログレッシヴ・ジャズ”という
言い方はだからクールじゃなくなる
わけなのですが、
明らかに1960〜70年代の
ブリティッシュ・ロックや
ヨーロピアン・ロックが備えていた
要素、つまりメロディアスかつ
超絶技巧的かつ組曲的な高い構築性
などなどの軸となる要素を
感じさせながら、
コピーやノスタルジーではない文脈で
独自性を発揮しているプレイヤーが
ジャズにはいるという事実を
ふまえると、どうしてもこんな
回りくどい言い回しになるのですな。
でも、北川とわの登場が、
そうした回りくどさを排してまで
書き留めておきたいと思わせる
情動を引き起こしたわけです。
5月に行なわれたセカンド・アルバム
『アウェイク』の発売記念ライヴは
そんな情動を、
2016年に彼女のファースト・アルバム
『イントゥー・ア・ミラージュ』で
味わったときよりもさらに
高めてくれました。
高まった原因としては、
変拍子やコードの使い方といった
北川とわならではの
個性に慣れてきたこと、
彼女が(それをふまえて)
進化していること
などを挙げることが
できるでしょう。
“北川とわならではの個性”とは
すなわち音楽に中毒性を醸す
大きな要因のひとつである
“訛り”につながるもの。
つまり“北川とわの毒”は
セカンド・アルバムで
確実に濃く、効果を増していた
というわけです。
「シビれちゃった…」というのは、
こういうときにつかう言葉
だったんですね。