3年前に勝った重賞に、再度挑む若い騎手。彼の現状とその心境とは?
騎手の父の下に生まれ、3人兄弟が皆、騎手に
今週末、新潟競馬場で行われるレパードS(G3)。アーモンドアイがデビュー戦で2着に敗れた2017年8月6日のメインレースがこのレパードSだった。勝ったのは畠山吉宏厩舎のローズプリンスダム。騎乗したのは木幡巧也だった。若い彼はレース前「デビュー2年目なので重賞に乗れるだけでもありがたいです」という心境でいた。
木幡巧也が生まれたのは1996年5月9日。騎手である父・初広の下、3人兄弟の次男として育った。兄の初也に次いで騎手デビューしたのは2016年。翌春には弟の育也もデビュー。この当時は家族4人が現役のジョッキーだったが、巧也は言う。
「自分の事で精一杯でした。一緒にレースに乗っている時でも父とか兄弟とか気にしている余裕はありませんでした」
18年には騎手を引退する父に、巧也は幼少時、厳しく育てられた。ゲームやお菓子を食べる事は一切、禁止されていた。しかし、デビュー後の親子関係には変化があった。
「プライベートに関しては何も言われなくなりました。競馬に関しては厳しかったけど、最も相談乗ってくれる存在でもありました。レースビデオを見ながら教えてくれました」
重賞勝ちも成績は低下し反省の日々
ローズプリンスダムは2番枠からスタートした。道中は中団のインを追走。その鞍上で木幡の手は小刻みに動いていた。
「『内枠だし、ある程度位置を取って欲しい』という指示だったのに、思ったより後ろになってしまいました。それで手を動かしていたけど、手応え自体は終始良かったです。ただ、前がなかなか開かなかったので焦りました」
直線へ向く。相変わらず前は壁になっていたが、横に馬がいないのを確認すると、一気に外へ持って行った。
「我武者羅に外に出すと、後は必死に追いました。一気に伸びてくれて、ゴール前では『勝てる!!』と思ったので、『勝っちゃって良いの?』という気持ちで追っていました」
11番人気で単勝66・3倍という低評価をあざ笑うかのような圧勝だった。自身、初めての重賞制覇に父や兄弟の反応はどうだったのか?
「皆『おめでとう』と言って祝ってくれました。乗るだけでも大変な重賞を勝つ事が出来て、本当に嬉しかったです」
こうしてデビュー2年目に早くも重賞初勝利を挙げた木幡。デビュー年には45勝を挙げており、順風満帆かと思えたが、勝負の世界はそう甘くなかった。この2年目は重賞初制覇を含めても勝ち鞍は1年目の半分にも届かない18にとどまった。3年目、4年目も20勝台に終わっている。当然、本人も忸怩たる気持ちはあるだろう。そのあたりを伺うと、彼はこう答えた。
「1年目にあれだけ勝たせてもらったのに、近年の成績が伸びないのは全て僕自身の責任です。焦って周囲を見る事が出来ず、何度も騎乗停止になって、自滅してしまいました。師匠の牧(光二調教師)先生は色々とアドバイスくださったけど、僕自身の焦りが強くて先生にも迷惑ばかりかけてしまいました。当然、父からも叱られたし、反省しかありません」
久々の重賞制覇と現在の心境
確かに彼は多くの制裁を受けた。しかし、人間、誰にでも失敗はある。若ければ尚更で、大切なのは反省し、次に生かす事だ。そんな中、7月25日の新潟の新馬戦では騎乗馬が外ラチ沿いまで大きく斜行。馬は調教再審査となったが、手綱を取った木幡は必死に立て直す努力をして、制裁は勿論、怪我もなくレースを終えた。また、遡ること約5か月、今年の2月にはミライヘノツバサに騎乗してダイヤモンドS(G3)を優勝。レパードS以来となる重賞制覇を飾った。木幡は言う。
「滅多に勝てない重賞を勝たせていただき、その後は僕自身初めてのG1となる天皇賞にも乗せてもらえました。ダイヤモンドSでは最低人気だったけど、乗っている限りチャンスはあるから諦めてはいけないという事を教えてもらった気がしました」
今でも兄弟に気を配るほどの余裕はないと苦笑混じりに語る一方で、勝利へ向けた探究を怠らないと言うのは、このミライヘノツバサでの勝利が無関係ではないだろう。
さて、3年前に制したレパードSで、今年はラブリーエンジェルの手綱を取る。同額の収得賞金で並んでいた22頭のうち、9頭だけが出走可能となった抽せんを潜り抜けて出走権を掴んだ。そんな牝馬について、木幡は言う。
「細くて小柄だけど、素直で乗りやすいのが長所です。前々走で追い込んで勝てたように脚質に幅が出て来たので、楽しみにしています」
おそらく人気はないだろう。しかし、1年目に45勝を挙げ、今春にも単勝325・5倍で重賞を制した木幡巧也がどこまでやってくれるのか。勝ち負けは分からないが「乗っている限り諦めない」という姿勢を、きっと見せてくれる事だろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)