ポーランドの独立メディア「ガゼタ・ヴィボルチャ」を訪ねる その始まりと今
2月末に開始されたロシアによるウクライナへの侵攻で、欧州を中心とした世界情勢は激変した。軍事・政治的な地図が塗り替えられたばかりか、エネルギー価格や物価にも影響が及び、冬を迎える欧州では「ガスを使うために食事を抜く」選択をする人、無料で生活物資を入手できる「フードバンク」に向かう人が増えている。
ポーランドの立ち位置
侵攻開始直後から、ウクライナ支援の先頭に立ったのが隣国ポーランドだった。大量のウクライナ難民を受け入れ、国内のあちこちに支援センターを設置した。
昨年末、旧ソ連圏のベラルーシから欧州連合(EU)加盟国ポーランドに入ろうとする難民・移民たちに対して治安部隊を動員し、放水装置や催涙スプレーなどを使って流入を阻止させた時とは様変わりだった。2015年、数百万人の難民が欧州にやってきたいわゆる「難民危機」の際も、ポーランドは受け入れに頑なな態度を取った。
カトリック教の伝統に根差した愛国主義を唱える右派政党「法と正義(PiS)」による政権運営の下、国民やメディアへの統制を強めるポーランドに対し、EUは権力の乱用を法で縛る「法の支配」を順守していないとして対立した。
ところが、ポーランドがウクライナ支援で活躍する姿を見せ、EUの対決姿勢はどこかに消えた。ウクライナ問題を巡って、ポーランドは欧州内でも一目置かれる存在となった。
しかし、国内のメディア統制は依然続いている。
「金のペン賞」受賞の新聞
特に政府から厳しい対応を受けているのが、リベラル系大手紙「ガゼタ・ヴィボルチャ」(「選挙新聞」を指す)(発行元:アゴラ社)である。
9月末、同紙とその財団は、世界ニュース発行者協会(WAN-IFRA)から、報道の自由に寄与したジャーナリストや団体に贈られる「自由のための金のペン賞」を受賞した。
ガゼタ・ヴィボルチャ紙は、1989年5月、「連帯なしに自由はない」というモットーの下、自主管理労組「連帯」の機関誌として創刊された。政府の支配下に置かれていない、初の合法な新聞の誕生だった。同年6月の総選挙後、9月、旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が生まれた。
同紙の始まりは質素だった。最初のオフィスは元保育所。編集会議を砂場で行うこともあったし、記者は幼児が使っていた小さな椅子に腰かけて記事を書いていたという(アダム・ミシュニク編集長の回想。2019年発行の冊子「連帯なくして自由はない ーガゼタ・ヴィボルチャ紙の30年」より)。
創刊から33年となった今、ガゼタ・ヴィボルチャ紙は紙版約6万部を発行し、電子版購読者が約30万人。EU諸国の中でも電子版購読者の数においてトップクラスに入る。
同紙を巡る政治状況は厳しい。2015年から政権を担当する与党PiSはメディア統制・支配を強化しており、政権に批判的なメディアや独立系メディアは突然の閉鎖、政府寄りの新興財閥の所有者による編集権の介入、公的情報へのアクセス制限などに直面する。鋭い政権批判で知られるガゼタ・ヴィボルチャ紙は、政府から100を超える案件で訴えられている。
司法やメディアへの支配を強め、LGBT(性的少数者)の権利拡大に反対する強権政治が続く。法の支配を重んじるEUはポーランドに対し繰り返し警告を発してきた。
半世紀以上続いた社会主義政権の終了後、民主的で自由な社会を築くはずのポーランドが、なぜこのような状態になっているのだろうか。民主化の旗印となったガゼタ・ヴィボルチャ紙がなぜ今、政府から厳しい扱いを受けているのか?
10月末、筆者はガゼタ・ヴィボルチャ紙のワルシャワ本社を訪ね、ジャーナリストたちに現状を聞いた(つづく)。
ポーランド・メモ
面積:日本の面積の約5分の4
人口:約3,800万人
首都:ワルシャワ
民族・言語・宗教:約97%がポーランド人・ポーランド語・約88%がカトリック教徒
戦後の歴史:第2次大戦ではソ連とドイツに分割占領された。大戦での犠牲者は、総人口の5分の1で世界最高の比率。大戦後は、ソ連圏に組み込まれたが、「連帯」運動(1980年代)など自由化運動が活発で、東欧諸国の民主化運動をリード。1989年9月、旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が発足した。「欧州への回帰」を目標に、1999年3月に北大西洋条約機構(NATO)加盟、2004年5月、EU加盟。(外務省「ポーランド基礎データ」より)