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中学2年の日韓戦。次代を担う“2000年組”U-14日本選抜が臨んだアウェイマッチ

川端暁彦サッカーライター/編集者
日韓のU-14メンバーがそろって記念写真

韓国南西の港町で、14歳の日韓戦

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9月30日、木浦(モッポ)国際フットボールセンターを訪れた。木浦市は韓国の西南端に位置し、黄海(中国と朝鮮半島の間の海)に面する港町である。アジア大会の取材で韓国を訪れていたが、男子サッカー日本代表が準々決勝で敗れてしまったために空いてしまった準決勝の予定を、この地への遠征で埋めることとした。

旅の目的は韓国遠征中のU-14日本選抜を取材することだ。元横浜FM監督の木村浩吉氏率いる“木村ジャパン”は、木浦でU-14韓国代表と交流試合を行う予定となっていた。その目撃者となっておこうというわけである。U-16でもU-21でも敗れた国を向こうに回したとき、ではU-14では何が見えるのか。3年後のU-17ワールドカップを目指す世代(2000年~2001年生まれ)の選手たちを観ておきたいという気持ちもあっての遠征だった。

木浦にはソウル南の要所・龍山(ヨンサン)駅からKTX(韓国版新幹線)湖南線で揺られること4時間弱で到着した。そこからタクシーへと乗り換え、フットボールセンターへ向かうこととなる。ソウル近郊にしか行ったことがなかったので、今回のアジア大会で初めて韓国の地方都市の空気を吸うことになったのだが、地方都市ではとにかく英語が通じない。片言での簡単な意思疎通も難しいので、韓国語の単語を適当に繋げていくしかない。これはこれでいい経験だった。そして痛感したのは、「飯は明洞(ミョンドン)で食うな!」ということ。圧倒的に地方のほうが美味いし、何より断然安かった。

木浦国際フットボールセンターは5面半の芝グラウンドに加えて宿泊施設も完備しており、日本のJヴィレッジに近い施設だ。この日はU-14代表以外にも障害者の韓国代表と思われるチームなどが合宿を張っているようだった。韓国には各地にこうした施設が整備されているという。センター内には過去の写真なども展示されており、日韓戦で点を決められて呆然とする勝矢寿延さんの写真なんかもさらされていた(苦笑)。もちろん、その写真の主役は決めた韓国人選手のほうなのだが、日本人としてはどうしても勝矢さんに目がいってしまう。

日本チームの木村監督や旧知の星原隆昭コーチらに挨拶し、メインスタジアムへと移動する。立派な屋根付きの客席も備えたこのスタジアムの収容人員は8,000人くらいだろうか。公式戦も開催されているそうである。

序盤から日本が圧倒する展開になるが……

中盤でクレバーなプレーを見せた平川(左) 写真撮影=六川則夫
中盤でクレバーなプレーを見せた平川(左) 写真撮影=六川則夫

日本のスターティングイレブンは下記のとおり。

U-14日本選抜[4-2-3-1]

GK

谷晃生(ガンバ大阪)

DF

喜田陽(セレッソ大阪)

瀬古歩夢(セレッソ大阪)

監物拓歩(清水エスパルス)

徳永悠大(ジュビロ磐田)

MF

平川怜(FC東京むさし)

田村祐二朗(JFAアカデミー福島)

桂陸人(サンフレッチェ広島)

粟野健翔(ベガルタ仙台)

鈴木冬一(セレッソ大阪)

FW

中村敬斗(三菱養和巣鴨)

体格的には総じて韓国が上だが、GKの谷晃生(ガンバ大阪)は184cm、CBの瀬古歩夢(セレッソ大阪)が179cmで監物拓歩(清水エスパルス)は182cmと守備中央のサイズ感は見劣りしない。逆に「チビッコだらけでしょう」と木村監督が笑うMF陣は150cm台の選手がズラリと並び、168cmのボランチ平川怜(FC東京むさし)が大型選手に見えるほど。だがこの中盤が、韓国を圧倒した。

「前に行く姿勢はみんな持っている」。そんな木村監督の言葉どおり、序盤から日本が仕掛けていく。3分にセカンドボールを拾っての攻撃でMF粟野健翔(ベガルタ仙台)がミドルシュートを放ったのを皮切りに日本が優勢をキープ。韓国の反攻もファイターの瀬古を中心にキッチリと跳ね返していく。瀬古は普段ボランチをしている選手ということだが、キャプテンマークにふさわしいプレーで韓国FWを潰し続けた。ただ、ゴールは奪えず、スコアレスで1本目(30分×3本)を終了する。

2本目メンバー

GK

谷晃生(ガンバ大阪)

→ 青木心(JFAアカデミー福島)

DF

武眞大(東京ヴェルディ)

瀬古歩夢(セレッソ大阪)

監物拓歩(清水エスパルス)

→ 平川怜(FC東京むさし)

曽根嵩之(徳島ヴォルティス)

MF

若月輝(アルビレックス新潟)

山保璃空(コンサドーレ札幌)

本間至恩(アルビレックス新潟)

河原淳(日章学園中学校)

成瀬竣平(名古屋グランパス)

FW

池高暢希(SSS)

2本目はセンターバックの2枚とGKを残して総入れ替えとなった。また、GKはちょうど中間の時間で交代。監物も終了間際の29分に腕を骨折してしまう不運な負傷交代となってしまった。なお、瀬古は3本目にも登場し、結局唯一のフル出場となる。木村監督の高い評価と信頼を感じさせる起用だった。こういう試合だと「出場時間の平等」にこだわる指導者も多いが、木村監督は頓着しない。あえて待遇に「差」を付けているのは印象的だった。

その2本目も内容では日本ペース。ただ、立ち上がりの2分にMF成瀬竣平(名古屋グランパス)が、その2分後にMF若月輝(アルビレックス新潟)が絶好機を外してしまうなど、ゴールは遠い。すると22分だった。韓国のサイドからの攻めがラインを割ったかに見えたとき、日本の選手たちは足を止めてしまった。だが旗は上がらず、折り返したボールを冷静にゴールへと流し込まれて、先制を許してしまう。恐らくミスジャッジではあるのだが、DFのセルフジャッジ、特にアウェイ戦でのそれがいかに危険かを14歳の選手たちへ強烈に教え込む、そんなゴールとなった。

3本目メンバー

GK

青木心(JFAアカデミー福島)

DF

山保璃空(コンサドーレ札幌)

瀬古歩夢(セレッソ大阪)

徳永悠大(ジュビロ磐田)

桂陸人(サンフレッチェ広島)

MF

粟野健翔(ベガルタ仙台)

平川怜(FC東京むさし)

若月輝(アルビレックス新潟)

→ 成瀬竣平(名古屋グランパス)

喜田陽(セレッソ大阪)

鈴木冬一(セレッソ大阪)

FW

中村敬斗(三菱養和巣鴨)

→ 池高暢希(SSS)

3本目は1本目のメンバーをベースに2本目で質を見せた選手を付け足したような編成。そしてこの3本目が内容的に最も格差のある、つまり日本が一方的に押し込んでいくハーフコートゲームのような展開となった。14分にMF喜田陽(セレッソ大阪)のシュートがポストを叩き、21分にMF鈴木冬一(セレッソ大阪)がボレーで狙い、22分には桂陸人(サンフレッチェ広島)が抜け出し、23分にはFW池高暢希(SSS)がDFをかわして中央突破からシュートを狙うが、いずれもゴールを割れない。

まさに「決定力不足」という陳腐な言葉が似合ってしまう展開となったが、さらに27分に韓国がこの3本目で唯一と言えるペナルティーエリア内への侵入を狙うと、DFに引っ掛かって倒れ、何とこれがPKの判定。ギリギリでラインの外だったようにも見えたが、これもアウェイのジャッジというものか。このPKを決められて、0-2。このまま試合終了となり、U-14の日韓戦は韓国に軍配が上がることとなった。

“00ジャパン”の戦いが始まる

試合後、選手たちを座らせて語り掛ける木村浩吉監督
試合後、選手たちを座らせて語り掛ける木村浩吉監督

「これで悔しいと思わない奴はサッカーをやめたほうがいいぞ。何ならすぐにチケットを取ってやるから、日本に帰れ」

試合後、木村監督は選手の闘志に火をつけるようにゆっくりと(しかし熱く)話して聞かせていた。内容的にはむしろ満足できる部分もあった試合ではあるのだが、得点を奪えず、届かなかったのは事実。そこは悔恨を持っていてほしいということだろう。

単純なシュート力不足も感じられただけに、それは年齢が上がって筋力が付くことで埋まっていく部分ではある。果敢にシュートへ行く姿勢、前へと仕掛けていくスピリットはあったので、0得点のゲームにありがちなフラストレーションはなかった。「シュートの意識はある。その気持ちは大事なこと」と語る木村監督は、選手に見せた厳しい態度とは裏腹に、一定の手応えを感じているようでもあった。また、守備の強さも見せてくれた。「この世代、センターバックはいるんだよ。今回の二人(瀬古、監物)以外にも良い選手がいるから」と言う指揮官の言葉は、試合内容とも符合するものだ。

2000年度生まれのこの選手たちが、まず目指すことになるのは2017年のU-17ワールドカップである。今年、彼らの二つ上の先輩に当たるU-16日本代表はアジア予選で敗れて世界大会への出場を果たせなかった。連続不出場になっては育成への悪影響も大きくなるだけに、リベンジが期待される。本格的な始動は来年からとなるが、東京五輪世代の最年少世代となる“00ジャパン”の軌跡を追い掛けてみたいと思っている。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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