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世界を巡る元NSCジュニアのエンターテイナーが見た吉本の今と昔 講師と塾生に温度差

南龍太記者
(写真:アフロ)

吉本興業の「闇営業」を巡る混乱が続く中、「こども芸人」育成塾のNSCジュニア第1期生でピースなどと同じ舞台に立った経験も持つ、「世界を旅するエンターテイナー」の中村鷹人さん(25)がインタビューに応じ、当時の塾の様子や吉本への思いを語った。「NSCは会社のようで、学校のようでもありました」といい、舞台に立つ機会が多かったのは吉本の大きな利点だと振り返る。路上パフォーマンスなどで生計を立てる今は、日本人相手に吉本の看板で漫才をできていた頃のありがたみを実感している日々。一方で当時、指導しているつもりの講師陣や先輩と、指導をパワハラのように受け止める塾生との間で温度差があるなどのほころびも目立ち、「従来の吉本のやり方が時代に合わなくなり始めている」と感じていた。

2005年から約7年間、18歳まで吉本興業にお世話になったという中村さん。日本を離れ、吉本を離れた今だから抱く心情を吐露した。

NSCジュニア1期生、「合宿は楽しかった」

中村さんは幼少期、両親とは別に施設で暮らし、誰にも必要とされていないとの絶望感や疎外感を抱きながら生きていたという。

転機は小学1年の時。給食の牛乳をこぼして慌て、椅子から転げ落ちたところ、クラスは爆笑の渦に包まれた。大勢の視線を一身に受け、注目されていたその瞬間、「あ、生きてる! 生きてていいんだ」と世界が変わった。人を笑わせることに快感を覚え、笑いの道を志した。

2005年、吉本興業が手掛ける「こども芸人」育成塾のNSCジュニアが東京に開校し、縁を感じて飛び込んだ。1期生だった。NSCではお笑いのいろはのほか、緊張に慣れるトレーニングやダンスのレッスンなどもあった。7年間通う中で、タレントのラッキィ池田さんらが講師となり、さまざまな吉本のお笑いタレントの指導を受けた。

「死亡しても責任を負わない」といった内容の誓約書が問題となっているNSCの合宿にも毎年参加したが、「合宿はかなり遊びのような感覚で、クジを引いて当たった人とコンビを組んで最終日に発表。楽しかった」といい、「死の危険」を感じることはなかったそうだ。

吉本興業は、他の芸能事務所に比べてギャラが安いといった噂も耳にしていたが、子どもだったこともあり、「お金を稼ぐよりは有名になりたい」という気持ちが強かった。他社より舞台に立てる機会が多く、売れる確率を高められるのは吉本の利点だと強調する。

ニューヨークでパフォーマンスする中村さん、本人提供
ニューヨークでパフォーマンスする中村さん、本人提供

同期生に違和感も

NSCジュニアではむしろ同時期に入った塾生たちに違和感を覚えたという。「基本的に『自分はおもろい』って自意識過剰な人が多いんです。『時代が俺についてきてない』と態度がでかくて」。そういう塾生は上から目を付けられた。ある日、塾生が先輩の芸人にきちんとあいさつをしなかったところ、どつかれてその拍子によろけ、螺旋階段を転げ落ちたという。

それは極端な例としても、塾生は日々、講師陣や先輩芸人から漫才のダメ出しをされた。中村さんは「(同世代の塾生らは)それが許せないらしく、嫌になって辞めていく人も多くいました。そういう人たちが辞めた後に『2ちゃんねる』とかで『だれだれはおもろないのに偉そう』とかめちゃくちゃに叩くわけです」と話す。

その構図は今の教育現場と一緒だといい、先生に相当する講師陣から気に障ることをされた塾生はすぐ、「親に言う」、「ネットに書き込む」のだという。今はスマートフォンが普及し、中村さんが塾に在籍していた頃より一層、「笑いを教える側が委縮しかねません」との懸念も口にする。

吉本には古くから「先輩にご飯に誘われたら断らない」とか「ご飯は芸歴の長い先輩が後輩におごる」といった風潮があるというが、「本当に売れたかったら先輩の話の中から何か1つでも得ようと思う。尊敬する上司の仕事術を知りたいと、飲み会についていく部下と一緒、会社と一緒ですね」と笑う。ただ、そうした考え方が時代に合わなくなりつつあるとも、中村さんは指摘した。

戻りたい吉本に

中村さんは入塾後、「ファニーコンプレックス」という男性コンビを組んで活動していた。最終的に高校生のお笑いコンテストで優勝するなどの実績も残し、漫才日本一を決める「M-1グランプリ」の予選を勝ち上がりもした。

ただその頃から、吉本などの芸能プロダクションに属さない、いわゆるフリーの芸人が、M-1では年々目立つようになってきたと実感していた。会社を通さずに笑いを提供する生き方に感化もされた。

中村さんは大学に進むと決め、高校3年を最後にコンビは解散した。大学卒業後は単身オーストラリアに渡り、英語力を磨きつつ、自分の笑いが世界に通用するかを試した。「何とかやっていけてます」と、今は黄色い鳥の格好をしてバケツをドラムのように叩く「ダックマン」を演じ、道行く人々を楽しませている。

コンビを組んでいた頃は、マネージャーが付いていた。ただ、「1人のマネージャーが5組も同時に担当していたので、何かお願いしたい時に『今別の子らを見てるから無理』って断られたりもしましたけど」と苦笑いする。

「今はネット、スマホが発達しているので、2010年前後にマネージャーがやってくれていたオーディションへの申し込みやスケジュール管理なんかは全部自分でできています。別に苦ではありません」と語る。翻って、マネージャーがすべき仕事や、芸能事務所がタレントに提供すべきサポートはどんどん変わっていくとみている。

昨年はニューヨーク、今年はカナダで腕前を披露してきた中村さん。この後は英国かドイツに渡ろうと考え、移民のような暮らしを続ける。日本に住まなくなって3年がたつが、「いずれは日本に戻ります。その時にまた入りたいって思える吉本興業であったらいいなと思います」。

中村鷹人さん 1993年、青森県生まれ。2005年から12年までNSCジュニア、男性コンビ「ファニーコンプレックス」で活動。オーストラリア、ニューヨークで路上パフォーマンスを行い、現在カナダ在住。InstagramFacebookTwitterで情報発信中

記者

執筆テーマはAIやBMIのICT、移民・外国人、エネルギー。 未来を探究する学問"未来学"(Futures Studies)の国際NGO世界未来学連盟(WFSF)日本支部創設、現在電気通信大学大学院情報理工学研究科で2050年以降の世界について研究。東京外国語大学ペルシア語学科卒、元共同通信記者。 主著『生成AIの常識』(ソシム)、今年度刊行予定『未来学の世界(仮)』、『エネルギー業界大研究』、『電子部品業界大研究』、『AI・5G・IC業界大研究』(産学社)、訳書『Futures Thinking Playbook』。新潟出身。ryuta373rm[at]yahoo.co.jp

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