スターチャンプの息子が11連勝
2000年11月、WBAスーパーウエルター級チャンピオンのフェリックス・TITO・トリニダードとの統一戦を控えたIBF同級王者のフェルナンド・バルガスを、カリフォルニア州ビッグベアーレイクで取材した。
1998年12月12日、15戦全勝オールノックアウトでIBF、154パウンドのタイトルを戴冠したバルガスは、同じメキシコ系アメリカンのオスカー・デラホーヤを猛追しており、新時代の旗手となりそうな勢いだった。
そして5度の防衛に成功後、トリニダードを迎えたのだ。
インタビュー時、バルガスは「俺が人生で、最も幸せを感じたのは息子が生まれた時だ」と語った。
1977年12月7日生まれのバルガスは18歳で父親となっていた。長男が誕生する数か月前にアトランタ五輪に出場、その後プロ入りし連勝街道を驀進していた。
しかし、百戦錬磨のトリニダードにはおよばず、最終12ラウンドにKO負けを喰らう。このファイト以降、バルガスは頻繁に倒れるようになる。ボクシング界の隠語である“壊れ”てしまったのだ。
トリニダード戦の4カ月ほど前、バルガスに第2子が誕生した。
「子供たちは、俺よりもデカい男になってほしい。ボクシングは勧めない。医者とか弁護士とか、そんな道に進んで成功してほしい」
IBF王者はそう話していたが、その後生を享けた3男を含め、全員がプロボクサーとなった。
2024年7月6日、バルガスの次男、アマドがプロ生活11度目のリングに上がり、6回KO勝ちを収めた。次男の戦績は目下11戦全勝5KO。父親が自ら指導している。
勝利した後、アマドは言った。
「長いトレーニングキャンプをこなし、勝利のための準備は万端でした。今、バルガス王朝が築かれつつあります。これが僕の仕事。ラスベガスで力のある選手たちとスパーリングをして、この試合に向けて調整しました。苦労が実りましたね。
コンディショニングは非常に良かったです。間違いなく、父とチーム全員のおかげですね。もう、自分は若手じゃありません。経験を積んでいます」
あの時の赤子がこんなに成長したのかと、微笑ましくなる。今後、バルガスファミリーは、どこまで存在感を示すか。