野球の実況アナウンサーと寄席の支配人の“二刀流” ABC伊藤史隆氏「お客様に喜んでいただきたい」
■『神戸新開地 喜楽館』での『阪神優勝記念特番』
38年ぶりの阪神タイガース日本一にわく関西の地で、野球にからめて笑いを届けている場所がある。神戸の寄席『神戸新開地 喜楽館』だ。
喜楽館では先週1週間、『プロ野球応援ウィーク 阪神優勝記念特番』と題した公演が行われた。演目にはタイガースをネタにしたトークコーナーがあり、落語では演者が贔屓球団の応援歌を出囃子に登場したり、贔屓球団のロゴ入り着物をまとったりして、プロ野球色を存分に演出していた。
館内も各球団のユニフォーム、世界の盗塁王・福本豊氏のバットやグラブ、プロ野球OB各氏のサイン色紙などが展示され、来場者の中にもユニフォーム姿の人が多く見られた。
トークコーナーで司会を務めていたのがABC(朝日放送)の伊藤史隆アナウンサーだ。プロ野球や高校野球の実況などでおなじみだが、実は喜楽館の支配人でもある。
■人気アナウンサーに支配人のオファー
「アナウンサーで支配人」???
なかなか目にすることのない肩書きだろう。伊藤氏はスポーツ実況を中心にニュース番組のキャスター、ラジオのパーソナリティーや番組の司会などで人気の在阪キー局のアナウンサーだ。その語り口は丁寧でわかりやすく、温かい。
伊藤氏が寄席の支配人とはどういうことなのか。
2018年7月に開館した喜楽館だが、オープン以来ずっと支配人が空席のままだった。昨年6月のことだ。その前年から始まった喜楽館とABCラジオのコラボ『プロ野球ウィーク』で司会を務めていた伊藤氏に、支配人のオファーがきたのだ。
しかし伊藤氏は「側面から応援したりは、なんぼでもお手伝いさせていただきますけど、支配人はできません」と、最初は固辞していた。
「めちゃくちゃ悩みましたよ。アナウンサーの仕事はみんなに準備してもらって、そこに乗っかってやらせてもらっている。でも運営とか、裏方の毎日毎日積み上げていくような仕事は、恥ずかしながらやったことがないから、無理です。これまではお金を管理する仕事でもなかったし、冗談半分に言ったんですよ。『僕、10万円以上の伝票なんて切ったことないですよ』と」。
■やらずに後悔はしたくない
悩みに悩んだ。しかし、あらゆることが追い風になっていた。翌年3月末で定年になり、これまでより時間の融通がきくこと、ABCが副業を認めるようになったこと、大学の先輩にあたる喜楽館のマネージャーが熱心に誘ってくれたこと…。
そしてなにより伊藤氏には、“落語への愛”があった。司会を務めるラジオ番組『日曜落語なみはや亭』は27年目に突入した。愛着のある神戸にできた唯一の落語の小屋が、定着する前にコロナ禍で打撃を受け、集客に苦しんでいる。
「僕も落語が好きで、落語に育ててもらったところがある。アナウンサーとしてはほぼやりたいことはやってきた。この年になったら若い人を応援してあげたい。若い噺家さんが頑張れるように、こういう小屋がなきゃダメだ」。
やらずに後悔するのは嫌だった。逡巡した末、「若い噺家さんの背中を押してあげたい」との思いで半年後、引き受ける決意を固めた。
■すべてが合致したタイミング
会社も諸手を挙げて賛成だった。喜楽館を運営しているのが『新開地まちづくりNPO』で新開地の再生を目指しているが、これがABCグループが掲げる『地域創生』の目標に合致することもあり、「自分の時間を使ってABCの仕事と両立するのであれば、会社としては応援します」と、全国的にも珍しいケースの副業として後押ししてくれた。
「僕が歩んできた道にうまい具合にいろんなことが繋がって、時期的にもちょうど60歳になるタイミングで話が来た」。
すべては偶然ではなく、必然だ。
現在は月に20日がABCのシニアアナウンサー、10日は喜楽館の支配人という時間配分だ。ときに、喜楽館で仕事をしたあとに飛び出しでABCの泊り勤務に向かい、翌日また喜楽館で仕事というハードな日もあり、「体調にはくれぐれも気をつけてくださいね」と会社からは念押しされている。
■子供のころから落語好き、大学で落語研究会に
さて、先述した伊藤氏の『落語への愛』『歩んできた道』だが、伊藤氏と落語の間には深い結びつきがある。伊藤氏の原点に落語があり、その人生は落語によって導かれたともいえるかもしれない。
愛知県出身の伊藤氏だが、幼いころから演芸番組に親しんで育ったという。
「名古屋っておもいしろいエリアで、関西と関東の番組がごっちゃになっていて。だから土曜はお昼ごはんを食べながら吉本新喜劇を見るという暮らしをしてたんですよ。その流れで『道頓堀アワー』とかも見て」。
落語やお笑いが生活の中に当たり前にあった。
神戸大学に進学した伊藤氏は、入学式の日に衝撃的な場面に遭遇する。
「駅から会場へ歩く道すがらで各クラブが勧誘をしている中、地面にゴザを敷いて座布団に座って喋っている人がいた。それが落語研究会で、興味があったので体験入部に行ったら、そのまま…(笑)」。
落研では『拡益亭喜富(かくえきていきっぷ)』と名乗って活動したが、当時すでに喜楽館の『喜』の文字が入っていたのは、何か因縁めいたものを感じる。
■“マリッジブルー”だから憧れの人に“告る”?
大学4年の夏から就職活動が始まったが、すんなりと一流企業への就職が決まった。だが、ここでふと思った。「これで人生決まっていいのかな」と。
何か不満があったわけではない。これを伊藤氏は「マリッジブルーに近い感じ」と表現する。「男女でいうと、一番憧れた人に告白をしてないからや」と思い至り、「いっぺん、何かやろう」と考えた。つまり“告る”という作業で、ほかの職種にチャレンジするということだ。
「いろいろ考えた。噺家…いやいや、あれはすごい技量がいる。やればやるほど自分には無理だとわかった。じゃあ阪神タイガースの入団テストを受けるか。いや、体力に自信はないな」。
ずいぶんと極端である。
そんな思案をしていたところ、学生課の掲示板に求人票が貼りだされているのが目に入った。『朝日放送アナウンス職、若干名』。
「アナウンサーになりたいなんて1ミリも考えたことなかったけど、この仕事がすごい倍率だということくらいは知っていた」。
これは“告る”には申し分ない相手だ。「受けて落ちたら納得いくし、スッキリする」と玉砕覚悟で受けることにした。
ところが「スルスルスルッとね」と、いくつもの面接を次々クリアしていく。養成所に通ってみっちりアナウンスの勉強をしてきた学生ばかりの中、伊藤青年の落研で磨かれた軽妙なトークが冴えていたのだろう。かくして超難関を突破してアナウンサーとして採用された。
後に「すでに2人の優秀なアナウンサーは決まっていたが、夏に欠員ができたからもう1人獲ろう。それなら1人くらい毛色の変わったやつを獲っとこうとなった」との裏話を明かされた。
「『キミは“ドラフト外”だから』って言われて、『ドラフト外、頑張りまーす』なんて言いながら、結局38年やらせていただいて」と笑う。アナウンサー界の秋山幸二だ。
■どうやって喜んでもらうかを考えてきた
38年間、アナウンサー人生を突っ走ってきた。
「僕は常にお客様の一番近いところに居続けた。昔でいうブラウン管を通して、ラジオを通して、お客様にどうやって喜んでいただくかってことを、ずっと考え続けてきた。それはすごく楽しいこと。野球中継は甲子園にいるような気持ちになって聴いていただけるようにとやってきたし、ニュースもラジオのパーソナリティも聴いてらっしゃる方のお部屋にお邪魔するような感覚でと思ってやってきた」。
姿は見えないながらも、聴いている人を喜ばせたいという思いでマイクの前に座ってきた。これは喜楽館の支配人とも重なる部分だという。「お客様と常に密接に向き合ってきたし、今もそう」と、今は“顔の見えるお客様”にも喜んでもらえていることが、伊藤氏自身の喜びになっている。
■支配人の仕事とは
さて喜楽館だが、昼席は1年365日休みなく公演があり、日によっては朝席や夜席も楽しめる。現在2月まで『番組』は作られている。
「支配人の仕事って何をするかというと、番組を作ることが一番。あと、お客様も演者さんもここに来たら心地いいっていう空気作り、これが2大仕事かな」。
そのためには“集客”は非常に重要だ。オープン当初こそ注目を集めたが、定着する前にコロナ禍に襲撃されたため、今はなんとか人を集めようと、あの手この手で企画を立てている。
『阪神優勝記念特番』は大人気で、団体客も何組かあり、ほぼ満員だった。会場内には笑いが満ち溢れ、客はみな笑顔を貼りつけたまま帰っていった。「お客様がたくさん入っていると、すごくいい空気になる」という言葉に納得した。
伊藤氏は開場時、並ぶ客が通行人の邪魔にならないよう表で“交通整理”をし、笑顔で客を出迎える。気さくに会話や握手を交わし、開演前にいい雰囲気づくりをしている。
また仲入りでは、自ら客席を回ってクイズの解答用紙を回収していた。
途中のトークコーナーでは、本業のアナウンサーとして舞台に上がり、桂春蝶さん、桂吉弥さんとともに日本シリーズの“湯浅の1球”の話で盛り上がった。吉弥さんが自身のスマホに録音した伊藤アナの名実況を披露すると、拍手喝采を浴びる。もちろん“オチ”もあり、ドッと笑いが起きていた。
終演後には出口に立って客を見送る。写真撮影を求められることも多く、その都度ダブルピースで応える姿がかわいい。
受付の女性も「伊藤支配人が来られてから、お客様が増えました」と嬉しそうに話していたが、テレビやラジオで見聴きしている『伊藤史隆アナウンサー』と触れ合えることも、喜楽館のプレミアムとなっている。
これが人気アナウンサーに課せられた使命であることは、伊藤氏も重々承知だ。今後さらに集客を伸ばしていくべく、自身にできることについて頭をひねる日々である。
■野球と落語とラジオ
「噺家さんって、野球好きの方が多いんですよ。枕でもよく野球の話をする」と伊藤氏は語る。そして「野球と落語とラジオ、この3つの世界って重なるところが多いんですよ。落語もラジオも想像の世界なんで」と続ける。
「この『プロ野球ウィーク』も3シーズン、6回目。初めて阪神が優勝してくれたので、『優勝特番』と銘打ってできた(笑)。やはりほかの週より集客もいいし、お客様も一緒になって楽しんでおられる。来年以降もやっていきたいですね」。
野球が好きで来た人も、これをきっかけに落語にハマるようだ。
■阪神の試合は5割は負けるが落語は安心
伊藤氏は落語の魅力をこう語る。
「今、世の中ってすごく便利になって、AIでなんでも画像にできたりするんだけど、一方、落語ってめちゃくちゃ不便な芸。たったひとりで何人も演じ分けて、セットも何もない。でも、見てる人の頭の中にはおじさんも出てくりゃ娘さんも出てくる。すごく自由で、どこでも行けちゃう。そして、年を重ねれば重ねるほどおもしろくなってくる。いろいろな経験をして、人生が重なるから。嬉しいこと悲しいことせつないこともあって、最終的にふわっと温かく笑える芸。大人の笑い。でも、そんな格式高いものじゃない。気楽に来て気楽に笑って、ほのぼのと温かい気持ちで帰れる」。
そして、こうも付け加える。
「阪神の試合を見に行ってごらんなさい。今年は優勝したけど、まぁ5割の確率で負けますよ。負けたら腹立って帰るでしょ。落語は必ず気持ちよく帰れる。こんなこと言ったら岡田監督に怒られそうですけどね」。
解説と実況として何試合もコンビを組んできた岡田彰布監督の名前を出して、笑わせる。
『笑う門には福来る』という言葉もあるし、笑うことで免疫力が上がるともいわれている。
「どうぞ安心して来てください。絶対に笑って帰れるから」。
野球がシーズンオフに入った今、落語を楽しむのもいいだろう。
■「会いに行けるアナウンサー」と「喋れる支配人」
今後も伊藤氏はアナウンサーとして、また寄席の支配人として、二足のわらじを履く。
「よく“二刀流”とか言っていただくけど、僕の中ではどちらも繋がっている。お客様に向き合って喜んでいただくっていう意味で」。
アナウンサーとして38年間、もっとも大事にしてきた姿勢は、支配人としてもそのまま生かされている。『会いにいけるアナウンサー』であり、『喋れる支配人』でもあり、そのどちらにも根底にあるのは「お客様に喜んでいただきたい」という思いだ。
伊藤史隆支配人からのメッセージ
新開地は、大阪梅田から電車で乗り換えなしの1本で来られる至便な場所。駅を上がってすぐのところに喜楽館はあります。
新開地のキャッチフレーズは『B面の神戸』。A面は三宮から元町だけど、B面にもええ味おまっせ。それこそB級グルメの安くておいしいお店がいっぱいで、路地を入ればオシャレなカフェもあるし、“ばえる”昭和の商店街も並んでいます。ごはん食べてブラ歩きして落語見て…と半日遊べますよ。
(撮影はすべて筆者)