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デルタ株とワクチン集団免疫の夢と現実

小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師
ロンドンのコロナワクチン接種会場。予約なしですぐに接種ができる。(筆者撮影)

ワクチンによるコロナの集団免疫という昔話

今年初めまでの英国型変異株(アルファ株)の流行ではワクチンは流行抑制効果があったと考えられる。イギリスでは今年はじめの大流行のなか、接種が先に行われた80代以上からまず重症化患者が減り出し、やがて流行も収束に向かった。イスラエルの冬の大流行は、同時進行するワクチン接種の広まりと同期して抑制に向かった。

どちらの国もロックダウンによる生活制限は課していたので当然その効果が主体であったが、ワクチン接種は高齢者から順番に行われたため、年代別の解析で、ワクチンをされた世代から先に重症化・新規感染いずれも減少した傾向が見えている。

ただし、これはすでにコロナの昔話となっている。ワクチン接種による流行制御の可能性が検討できたのはアルファ株までである。デルタ株の登場でこの望みは絶たれたといってよい。本稿ではその科学的背景について解説して、ワクチン接種の目的の再定義を行う。

ワクチンだけで集団免疫はできない

デルタ株の問題は、武漢由来の従来株やアルファ株そのほかの変異株に比して、流行を広げる力が格段に高いことにある。従来株は一人の感染者が平均して2.5- 3人に感染を広げると考えられている。これに比べてアルファ株は3割程度多くの人に感染させるため、これが英国の去年の年末以来の大流行を招いた。

しかしながら、デルタ株は従来株より2倍多くの人に感染させる(つまり一人の感染者が平均して5-6人に感染させる)。これゆえに、デルタ株の流行がひろがってしまうと、人から人へ感染をくりかえすうちに、感染者がねずみ算式に積み上がる。これがデルタ株の流行を制御することの難しさである。

さらに、デルタ株は、若干ながら、コロナに対する既存の免疫をすりぬける。免疫の効果が落ちるのは、1−2割程度であるとみつもられているが、デルタ株は2回のワクチン接種を受けた人でも相当程度感染し(註1)、ワクチンを受けたひとがほかの人に感染させ流行を広げることがわかってきている。

これらの数字には大きな意味があり、計算上、デルタ株に対しては、ワクチン接種でコロナに対する免疫をもつか、あるいは自然に感染して一時的な免疫をもって、社会のほとんどの人がコロナにかからない状態にならない限り流行そのものは収まらないことを意味している。

つまり、残念ながら、ワクチンだけでデルタ株に対する集団免疫を達成して流行を自然収束させられる見込みは、いまのところ、ない。

実際、イギリスでは全成人の9割がワクチン第一回接種を終了、75%が2回接種をしているのに、封鎖全解除後に流行は再び増加して、この原稿を書いている8月13日現在、毎日3万人以上の新規感染者が出ている。

デルタ株の性質から実際に予測されていたことではあるが、デルタ株の出現によりワクチン接種によるコロナ流行の自然収束は望めなくなってしまった。これはパンデミックからの出口戦略がより複雑なものになり、人類の新型コロナ感染症に対する対応は長期にわたるものになることを示している。

ワクチンは重症化を相当抑制する(しかし完全ではない)

流行制御について悲観的な材料が揃っている一方で、ワクチン接種が先んじたイギリスやイスラエルなどのデータから、ワクチンは重症化率を大きく下げることが明確になった。

現在の英国のデルタ株大流行は、上に書いたように感染者数はすでに1日に3万人以上で、春の大きな流行のピーク時のすでに半分程度まで達しているが、日々の入院患者数(重症患者発生数)は800人程度であり、春のピーク時よりも5分の1程度である。また、これまでのところ1日あたりの死亡者は百人程度であり、大流行であった去年春の第1波や今年の年頭の第3波にくらべて10分の1ですんでいる。

なお、英国では7月下旬のロックダウン解除直後に新規感染者数の急激な増加があったが、これが不可解なことに一旦急激に下がったあと、ここ最近、入院患者数・死亡数ともに増加傾向にある。

ロックダウン解除直後の一時的増加は7月上旬まで開催されていた欧州サッカー選手権(Euro 2020)の影響が考えられているが、詳細は今後の分析が必要である。

現時点で注意すべきは最近の入院患者数・死亡数の増加傾向のほうである。これは、ワクチンが圧倒的多数に接種されてもなお流行を止めることは困難であることを示す。

英国の流行の行く末が見えるにはまだもう少し時間がかかるが、しかしながら、ワクチンの重症化・死亡抑制の効果は明瞭である。

一方で、2回のワクチン接種で重症化・死亡を完全に防げるわけではないことは強調すべきである。現在のデルタ株大流行中の英国で重症化している患者の内訳はやはり高齢者に多い。このことは、ワクチン接種による免疫の効果が高齢者では若干おちてしまうこと、少し早く減弱してしまうこととの関連が考えられている。

ワクチン接種計画の目的はどこに

ワクチン接種が先行していた英国と異なって、日本はワクチン接種とデルタ株への対応を同時に行わなければならない状況にある点は要注意である。それゆえにデルタ株の特性をふまえて、ワクチン接種の目的を明確にし直す必要があろう。

今週、福島市が、デルタ株による重症化の危険が明瞭になっている40ー50代の接種を遅らせて、20代や10代を優先する方針を発表した。現在20代を中心とした若い世代の感染例が多いことからワクチンで流行を抑制するというのが福島市の理屈である。

しかしながら、ワクチンがデルタ株の流行を止められるわけではないこと、感染後の重症化率は10ー20代では低く、40代、50代と年齢があがるにつれて高くなることを考えると、福島市の方針では犠牲者が増える可能性の方が懸念される。

これは目的の欠落・はきちがえによるものであり、日本独特の「職域接種」が抱える問題に通ずる。職域接種では、大企業(おそらく多くの人は自宅勤務ができるひとたち)など安定した立場にある人たちから先に接種が行われた。さらに一部の大学では健康な大学生に接種が先行したという。

諸外国の職業別接種は、社会のインフラ維持のためロックダウン下でも労働する必要があり、感染の危険にさらされている人たち(公共交通機関の従業員など)に対して検討・実施されてきた。これと対比すると、日本の職域接種の歪みは明瞭である。

ただし、英国のワクチン接種においては、職業別接種で行われたのは、診療に従事している第一線の医療従事者と介護従事者のみである。これはもともとは第一義的には施設におけるクラスターの予防という目的であった(もっとも、デルタ株の出現で、ワクチン接種者でも感染して流行を広める例が増えており、この目的は一部崩れていることに注意すべきである)。第二には、医療従事者・介護従事者はコロナ感染者に接する可能性が高いことから彼らを社会的なコロナ弱者として防御する目的もある。

しかしながら、日本では医療従事者の優先接種が行われた一方で、介護従事者の接種はいまなお遅れている

さらに、国から自治体へのワクチン配布が自治体間で不平等であった。東京の港区では、夏休みに子供専用のワクチン接種会場を設けた一方で、札幌などの自治体では8月頭の時点でも65歳以上の高齢者でさえ2回接種は5割にすぎなかった。

そもそも多くの地域ではコロナ感染で重症化の危険がそれなりに高い40代、50代の接種は著しく遅れている。

このように、ワクチン接種計画の目的が何であるかが日本社会で理解を共有されないまま、泥縄式に進めてしまったのが現時点までの日本のワクチン接種であったといえよう。総じて言えば、日本のワクチン配布は、社会における犠牲者の最小化を目指すところからは程遠くなっている。

ワクチン談義の負の側面

ワクチンの目的を履き違えた議論は、アストラゼネカのワクチン導入についてのぎくしゃくとした対応にも表れている。アストラゼネカのワクチンは、ごく少ない数のひとに血栓症を起こしたことが話題として先行した。おそらくここに導入が遅れた経緯があるだろうが、一方で報道が十分になされていないであろう点として、英国では多数はアストラゼネカのワクチンを接種され、副反応が大きな問題にならなかった一方で、大多数にワクチン接種を迅速に行えたおかげで6万人という命が救われたと疫学的に見積もられている

実際、アストラゼネカのワクチンと、ファイザーなどのmRNAワクチンは、いずれも重症化を抑制する働きは同等である。中和抗体の誘導と感染そのものの防止能力はmRNAワクチンのほうが若干高いと見積もられている一方で、アストラゼネカのワクチンはT細胞免疫の誘導効果が高いというデータもある。mRNAワクチンの副反応には、アナフィラキシーと心筋炎(心臓の筋肉の炎症)がある。これらを考えると、「どちらのワクチンがよいか」という議論にあまり意味はない。

デルタ株の大流行に脅かされた現状で、欧米で効果・安全性が十分に確認されているワクチンのなかで、発熱などの軽微な副反応や、小さな感染防御効果の違いをとりあげて、どのワクチンが一番よいかという議論に耽るのは、実のところは退廃であると思う。なぜならば、すでにワクチン接種を受けた、あるいは優先されることが明瞭だったひとたちでなければ、命の危険を前に、そのような小さなことを気にする余裕など実のところないのであるから。

おわりに

今後デルタ株の流行が拡大するにつれて、ワクチンさえしていればおそらく助かったであろう人たちの悲劇が増えていく。日本のワクチン接種が、高齢者、糖尿病や高血圧などコロナに対して弱い基礎疾患をもつ人たちなど医学的弱者から順番になされたならば、それで、健康な人たちは年代順になされていたならば、救えたはずの命があり、後遺症を持たずに済んだ人たちがいたはずである。

コロナの流行はまだおわらない。ワクチン接種も3度目の接種が議論され、パンデミックが長期化するならば、その後も接種は繰り返し続く可能性がある。その中で新たな性質を得た変異株が現れれば、目的から遡って考える必要性が出る可能性もある。将来よりよい対応ができるようになるために、現在までの問題を整理し直す必要があるだろう。

註1)「ブレークスルー感染」とカタカナで不完全な訳語が流布してしまっているが、ワクチンによる防御をすり抜けてしまった感染のこと。ワクチン防御のほころび感染。

• 筆者はいずれの製薬企業とも利益相反はない。

イギリス在住の免疫学者・医師

免疫学者、医師。免疫学の研究・教育を行う。生体内でのT細胞の動態を解析する測定技術Tocky(とき)の開発者。京都大学医学部・大学院医学研究科卒業。京大・阪大で助教を務めたあと英国に移動。2013年に英国でラボを開き、現在インペリアル・カレッジ・ロンドンで主任研究者、Reader in Immunology。がん・感染症(コロナなど)・自己免疫におけるT細胞のはたらきについて研究する傍ら、大学の免疫・感染症コースで教鞭をとる。著書「免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界」「コロナ後の世界・今この地点から考える」(筑摩書房)、「現代用語の基礎知識」(自由国民社)などに寄稿。

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