吉野山にサクラを植えた理由と守った山林王
奈良県の吉野山と言えば、一目千本と言われるサクラに覆われた山として有名だ。毎春約3万本のサクラが咲き誇る。ソメイヨシノのヨシノも吉野山にちなんでおり、かつて吉野と言えばサクラの代名詞だった。
だが、吉野山はいつからサクラに覆われたのか。そしてなぜ守られ続けたのか、と調べると、意外な事実が次々と出てくる。一時はサクラを嫌って伐られようとしたこともあるのだ。
まず、よく語られるのは1300年以上前に役の行者がサクラの木で蔵王権現を刻んだことでサクラが神木となったという伝承。だからサクラは守られ、また植樹されたのだとされる。
だが、現実にこの時代よりサクラが多く生えていた記録はない。むしろ後付けとされる。確実なのは豊臣秀吉の「太閤の花見」(1594年)のときだろう。このときに花見をするほどのサクラがあったのは間違いない。そして、その41年前に書かれた三条西公条の日記に、吉野山を詣でるとサクラの苗が売られていたと記されている。願掛けなどのためサクラを植樹する習わしがあった、そのための苗が販売されていたことがわかる。(これは昭和の始めまで続いていたようである。)
サクラの植樹がビジネスに
実際、江戸時代になると、吉野山を訪れた客がサクラの苗を植えるのが流行っていた記録があるので、吉野山がサクラで覆われるようになったのは、参拝客の植樹のためと考えてよいだろう。
吉野山詣でとサクラを植えるのがセットになっていたというのは、吉野山の観光戦略かもしれない。なにやらバレンタインデーにチョコレートをプレゼントしようと呼びかけた菓子業界の戦略と似たような話である。
それが吉野山をサクラの名所とし、サクラ目当ての客を増やしたのだろう。
ところが明治維新時に、一転、吉野山のサクラは伐られた。
理由は、1870年頃から広がった廃仏毀釈の運動である。新政府が神仏分離令を発布したことで、仏教が攻撃されたのだ。役の行者、そして吉野山を中心とする修験道は、まさに神道と仏教を融合させた宗教である。おかげで蔵王堂で知られる金峯山寺なども一時期廃寺となり、仏像も廃棄され神社に衣替えするのだが、そこでサクラも伐られることになった。なぜかサクラを仏教的な代物とされたようである。
そこに大坂の商人が、伐ったサクラを薪にするため買い取りに来た。当時、薪は煮炊きに暖房、そして産業用にも重要なエネルギー源だった。大都市大坂には、四国や九州から薪が大量に運ばれていた。もし大坂に近い吉野から大量の薪を調達できるとなれば、ビジネス的にも美味しい話だったのだろう。
サクラ伐採を止めた山林王
それを止めたのが、同じ吉野でも林業地帯である川上郷大滝の山林王・土倉庄三郎だとされる。
吉野山のサクラを伐った跡にスギやヒノキを植えようと苗木の調達を相談に行ったところ、サクラを残しなさい、と商人から受け取った薪代を返すよう、500円を寄付したという。これは当時の物価から計算すると、現代の2000万円以上に相当する額だ。
もともと土倉家は南朝遺臣を任じており、吉野山の寺院を守る意識が高かった。また「これからは外国人も来るだろう」と語ったとも伝わるが、今風に言えばインバウンドを予言したのかもしれない。
この話の裏付けとする証文などはなく、土倉家に伝わる秘話として残るのみだ。ただ庄三郎は、晩年「吉野山のサクラをみんな買い取った」と笑っていたという。
ともあれ吉野山のサクラの木が全部薪になるのは止められた。
しかし、それで吉野山のサクラが保全されたわけではない。再びサクラを植えて守る運動が始まったのは、1881年に地元民によって設立された芳雲社からだ。寄付金を集めてサクラを植えるほか、名所旧蹟を保存する意図もあったようだ。
「芳雲社規則」の第1条によると、「本社ハ吉野山中ノ桜樹ヲ栽培シ神祠仏宇名勝旧蹟ヲ永世ニ保存セント……」と記されている。そして大阪府(当時、奈良県は大阪府に合併されていた)に桜樹の保護を願い出ている。
その後1894年に奈良県立吉野公園が開設され、さらに1916年には財団法人吉野山保勝会が結成された。サクラの世話をする「桜守」もいる。そして世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)にも指定された。ここに吉野山のサクラを保護する組織や制度は確立されたと言えるだろう。
半数が生育不良?再びのサクラ危機
さて、吉野山保勝会は現在までサクラを守り続けている。ただ、肝心のサクラの衰退が問題となってきた。多くのサクラの樹勢が落ち、サクラの枝にヤドリギが付くほかテング巣病の発生が目立つ。調査した木の48%が生育不良という調査結果も出た。
原因としては、過疎から来る管理不足や花見客増加の悪影響も考えられるが、そもそもサクラを植えすぎており、地質や水分など条件の悪いところにまで植えられていた。そのため山全体の環境改善が必要とされている。
植えたらオシマイ、ではないのである。世に桜花好きは多いが、花だけを愛でていても樹木は安泰ではない。樹木、そして木の生えている地域全体の環境を守る覚悟が求められる。
参考文献:「花をたずねて吉野山」(鳥越皓之著)、「山林王」(田中淳夫著)ほか多数。