J-POPがK-POPの後塵を拝し続ける理由の一端か。「心の中の文化的鎖国」とは? #専門家のまとめ
先月日本中を騒然とさせた、ミセス・グリーンアップルのMV事件。人種差別的に「見えてしまう」映像について交わされた多くの議論から、「結局は、ガラパゴス的な世界認識が問題だったのでは」との論考が浮上。「日本のポップ音楽は、そもそも『日本人に聞かれること』しか想定していない」という問題点と通底するものだ。つまり「K-POPのように」世界で成功することは難しいという、まさに宿痾の存在だ。
ココがポイント
▼SNSの普及などで文化的な国境がどんどん消滅している時代における「人権リスク」について、多様な例を用いて説明されている
・ミセスのMV公開停止が浮き彫りにした、コンテンツのグローバル化に抜け落ちている視点(JBpress)
▼他方、K-POPのメソッドを用いた「グローバルな」グループがデビュー。HYBEと米メジャーのGeffenが手を組んでいる
・HYBEのオーディション番組から誕生したKATSEYE、デビュー曲「Debut」MV公開!(スポニチ)
▼上記の前段階として、すでに「韓国人以外」にK-POPメソッドを適用させるビジネスは過熱の一途を辿っていた
・韓国人のいないKグループ…K-POPからKを外す時代(中央日報)
エキスパートの補足・見解
ひるがえってみて、たとえば「J-POPのメソッドを『日本人以外』へと拡大していく」ビジネスや方法論なんて、ちょっと僕には想像がつかない。しかし一方で、日本国内において「アンダーグラウンド」領域にある音楽のうち、何十年も前から国際的な「同好の士」のあいだで、高い評価を受けているものは多い(ノイズ/前衛音楽、オルタナティヴ・ロック/ポップ、ダンス音楽といったあたりだ)。この領域と「メジャー」の分裂も、ひとつ日本らしい病だ。つまり日本の「メジャー」は「自らの心の中にある障壁」のせいで、グローバル・スタンダードから「置いてけぼり」をくらっている……のだとしたら、悲しすぎる。まずは「徹底的な点検」の季節なのではないか。