道徳の授業はなぜ「特別の教科」なのか
小学校、中学校の道徳教育に変化が起きているのをご存知だろうか。
文科省が2~3月に実施したパブリックコメントでは約6000件もの意見が寄せられており賛否両論ある道徳の「教科化」。
今年小学生になった子どもの授業参観日に「算数」「国語」と並んで「道徳」があったので、道徳の授業を覗いてみることにした。
「教科化」とは何か
道徳が教科に格上げと報じられているが、そもそも「教科化」とは何だろうか。
学習指導要領には第6章まである。
- 第1章 総則
- 第2章 各教科
- 第3章 道徳
- 第4章 外国語活動
- 第5章 総合的な学習の時間
- 第6章 特別活動
通常の「国語」「算数」などは第2章の各教科の中に含められている。リンク先を見ていただくと、目標や内容などがかなり細かく示されているのがわかるだろう。
第3章に「道徳」とある。これまでは、このように「教科」ではなく、独立した「道徳教育」として学習指導要領に目標や各学年ごとの内容が示されていた。
これが、道徳教育をより充実させることを目標に、第3章 特別の教科「道徳」(名称仮)になるという。教科になるということは、教科書ができ、教科書を使った授業をするようになる、ということである。小学校は平成30年度~、中学校は平成31年度~と計画されており、学習指導要領の移行期間は「新しい指導要領に基づいて授業を行っても良い期間」である。現在、その真っ只中というわけだ。
なぜ「教科」ではなく、「特別の教科」なのか
この理由の1つとして道徳の評価は難しいということが挙げられている。
「教科」になると評価をしなければならない。しかし、子どもの心の成長の様子を5,4,3,2,1なんて数値でははかることはできない。だから、教科にはなれず、「特別な教科」になると言われている。
道徳の時間は、絵本やテレビ番組などを通じて、主人公の気持ちを読み取って考えてみることが行われることが多い。我が子のクラスでも、絵本を先生が読み、「印象に残った場面はどこか」「このとき主人公の○○ちゃんはどのような気持ちだったと思うか」「そのときのお母さんの気持ちはどうだったと思うか」といったことを生徒たちが発表していた。
道徳教育の第一人者として全国数多くの学校をご指導なさっている元全国小学校道徳教育研究会会長でいらっしゃる荻原武雄先生は、
「道徳教育は主人公の気持ちになって感じるだけではなく、ねらいに照らして、自分自身の過去の体験や今の思い、そして将来への課題などを見つめる時間である。子ども一人一人が自分の生き方の中の課題について深く考えたりする時間なのである。」
とおっしゃっている。
同じ本を読んでもらった子どもが同じ感想を持つとは限らない。「悲しかったのかな」「主人公は頑張ったんだな」と思う子どももいれば、「今日の主人公の気持ちはあのときの私と一緒だ!」と思う子どももいる。
心の教育の原点は家庭にあり
道徳の授業を充実させるために今回の改訂はあるとされている。しかし、指導要領が変わろうが変わらまいが、人間のもつ心の成長や人への関わりとして必要な基本的事項は今も昔も変わらないのではないだろうか。
道徳の授業参観なんて年に何度もないが、荻原先生は「我が子の学校でどんな授業が行われているかは子どもに聞けばいい。自分の心に残ったことは子どもは親に話したがるものだ。『待つ、聴く、受け止める』これが、家庭における道徳教育の3か条である」とおっしゃっていた。
幼稚園や小学校などの行事によく顔を出していると、よく挨拶をしてくださる親御さんの子どもは挨拶をしてくれることが多いように思う。おじいちゃんおばあちゃんに優しい子は、自分の祖父母以外のお年寄りにも優しいように思う。もちろん、それだけではないかもしれないが、忙しく始まった新学期が1か月過ぎ、あまり子どもとの関わりの時間を取れていなかった私としては、道徳の授業参観を機に家庭での心の教育を見直してみたいと思ったのである。