氷川きよしの師匠が見出した“やまびこボイス”二見颯一、2歳にして伝説作った!?
“演歌第7世代”の1人である二見颯一(ふたみ・そういち)さん。子どもの頃から民謡の全国大会で優勝を重ね、氷川きよしらを育てた作曲家・水森英夫氏に見出されてデビューした、令和の時代に活躍する注目の歌手です。デビュー前に経験した驚きのシンクロエピソードや、ファン層の若返り現象まで、現在の演歌界の話をじっくり聞きました。
—デビューのきっかけは?
2017年に「日本クラウン 演歌・歌謡曲 新人歌手オーディション」のグランプリに選ばれたことです。故郷の宮崎県から上京して半年、18歳の大学1年生でした。
僕は言葉が早くて、生後10ヵ月くらいから話し始めたうえに、音楽に乗ってリズムを取っていた子どもだったそうです。初めて人前で歌ったのが、2歳の時。地元の神社のお祭りで、大泉逸郎さんの『孫』を歌いました。それが地元で語り継がれ、人の勧めで5歳から民謡を始めたんです。
小学生の頃には、九州と東北でちょっとした民謡ブームがありまして、大会に出てトロフィーをたくさんいただきました。
6年生で出場した全国大会では「優勝」の期待も大きく、東京・品川区の会場まで、地元の宮崎県から家族・親戚・教室の先生、総勢30名ほどが応援に来ましたが、僕は本番で咳き込んでしまったんです。大会は、途中で咳き込むと0点になるんです!0点!というわけで、すごい応援にもかかわらず僕は歌い切ることなく終わりました。
翌年から中学生部門になったのですが、「1年生で優勝は難しいだろう」と皆、応援に来なかったんです。結果、初めての日本一を見届けたのは、母・祖母・いとこの3人だけでした(笑)。その後は高校生でも日本一になり、師範の免状もいただきました。
—そして、大学1年生で「日本クラウン」のグランプリを獲得してデビューしたんですよね。
一番ビックリしたのが、(作曲家の)水森英夫先生です。グランプリ獲得後、氷川きよしさんや山内惠介さんを育てられたあの先生のご自宅に行くことになりました。
先生の弾くギターで、オーディションと同じ三橋美智也さんの『達者でナ』を歌いましたが、1番を終えたところで先生のギターがピタッと止まったので「これはもうダメだ…」と思いました。
そうしたら、「二見くんの実家は、ちょっと小高い丘があって、そこに家があって、でもその丘より奥にはもっと高い山があって、小川がちょろちょろ流れていて、周りには田んぼがある。君はそういうところで育っただろう」とおっしゃったんです。僕は出身地さえ伝えてないですよ。先生は資料をご覧にならない方ですし、何もご存じないはずなのに。
「まさしくそこで育ちました」と答えたら、「よし、うちでやろう」となったんです。あまりにビックリして「この人怖い」って思いました(笑)。そこから水森門下生として、2年後のデビューを見据えて修行が始まりました。
—“やまびこボイス”というのは?
クラウンレコードからデビューする人には、“○○ボイス”とキャッチフレーズがつくんです。例えば三山ひろしさんは“ビタミンボイス”でした。
これがまた驚く話でして、氷川きよしさんをプロデュースした方が、「君の声はやまびこみたいだから“やまびこボイス”にしよう」とおっしゃったんです。
確かに僕の実家は、すごい田舎で山の上にあって、街灯もない、夜は真っ暗になるところです。練習し放題なので、先生からは「山に向かって歌って、自分の声が返ってくるように練習しなさい」と言われていました。でも、このエピソードを話す前に“やまびこ”の話は出ていたんです。本当にビックリします。
—「演歌第7世代」も盛り上がっていますね。
お笑いで“第7世代”が流行りましたけど「演歌も第7世代だ!」という感じですね。“第7世代”とは、平成の終わりから令和になったくらいのここ3~4年でデビューした新人のことを言います。
今、僕は“我ら演歌第7世代!”として、同時期にデビューした5人で活動していますが、本当に個性豊かです。
最初にデビューしたのが辰巳ゆうとさん。僕の1つ先輩ですが、濃い1年を送られたんだろうなと思える、とても尊敬している方です。新浜(にいはま)レオンさんは、最年長で周りをよく見てくれますが、いつも皆からイジられています。青山新(しん)さんは、同じ水森門下生で弟みたいな存在です。彩青(りゅうせい)さんは最年少ですけど、落ち着きすぎていて“師匠”と呼ばれています。彼も民謡の全国大会で優勝していて、民謡トークは尽きないです。
—ファン層は?
下は中学生くらいから上は80代まで、幅広いです。やはり60~70代が最も多いですが、今は20代が増えています。同世代がステージに立っているのを見てアイドル的な目線で応援してくれている方もいますし、SNSで身近に感じてくれたり、話す内容に共感してくれたりする方もいます。同世代のファンの方は“共感”を大事にしている感じがします。上の世代の方からは「孫を応援しているみたい」と言われることが多いですね。
—“二見颯一”という名前の由来は?
本名が二見颯(ふたみ・そう)なんです。“颯”は、“立”に“風”と書くのですが、母が「どんな風を受けても立っていられるように」という思いを込めてつけてくれました。
“一”をつけ加えてくれたのが水森先生です。水森先生は人の名前の画数を見るのが好きな方で、本名の23画もすごくいいけど、ちょっと体を弱くしやすい画数だと。“一”をつけ足して“颯一”にすると六大吉数と呼ばれる24画で「もう何もしなくていい、周りの人が全部運んでくれる、一番強運がつく名前だ」ということで“颯一”になりました。
—故郷・宮崎県の良いところは?
宮崎県には「頑張って!」という言葉があまりないんですよね。「まあそのくらいでいいんじゃない?ぼちぼちでいこうよ」みたいな感じが多くて。僕の祖父母世代は「てげてげでいっちゃが」と言うんです。「てげてげ」は、「何となく」とか「適当で」という意味なんですけど、その「てげてげ」な感じが宮崎の良いところかなと思います。
—「てげてげ」なわりに、特技が多いですね。
本業はもちろん歌手ですが、独学で絵を描いていたら『プレバト!!』(TBS系)に呼んでいただき…初出演で特待生になりました。
その時の出演者は、「純烈」小田井涼平さん、「おいでやすこが」こがけんさん、田中道子さん、特待生枠には「野性爆弾」くっきー!さんがいらっしゃいました。小田井さんが「今日昇格戦だけど大丈夫?」と心配してくれまして(笑)、色鉛筆で“アジの切り身”を描いて無事、特待生になれました。ちなみに葉っぱは緑を使っていません。青と黄色で描きました。
あとは、ファンクラブのグッズ、アパレルとコラボしたTシャツやパーカーのデザインもしています。石を彫って落款(らっかん)印を作ったり、創作の習字をしたり。そして、日本大学・法学部で法律を勉強して今年、卒業しました。
—将来の夢は?
歌手としての具体的な目標は、「NHK紅白歌合戦」出場、賞レースに常連として参加できるようになることです。
それと、民謡・演歌は大衆のものなので、皆がそれを楽しめる“きっかけ”を作れる歌手になりたいと思います。僕自身がやっていて楽しいので、その楽しさを皆さんに共有したいです。その活動が広がっていく中で、「紅白」や「レコード大賞」、メディアに出演していける歌手になりたいと思います。
—今後の予定は?
地元・宮崎県をはじめ、各地でのコンサート、第7世代の活動、ミュージカル出演もあります。
あと、大勢での飲み会とかパーティーの経験がないので、いつか1回くらいは行ってみたいです。大学では、未成年はお酒を飲まなくても参加自体が禁止だったので、サークルの飲み会も経験ないですし…20歳からコロナ禍だったので。そんな日が来るといいですね。
【インタビュー後記】
宮崎のきれいな水と空気で育った、天然のピュアさを持った人という印象です。お話を聞いていて、私まで丸ごと洗濯してもらったような清々しさを感じました。独学で何でもできる器用さを持ち合わせ、多くのことに取り組んでいるのに決して焦らない。マイペースを保ちながら、他人のことを思いやる余裕がある、側にいる人を大切にしてくれるだろうと思わせる人でした。
■二見颯一(ふたみ・そういち)
1998年10月26日生まれ、宮崎県出身。2019年、『哀愁峠』でデビュー。5歳から民謡を習い始める。2011年(中学1年生)「民謡民舞少年少女全国大会」中学生の部で優勝。2015年(高校2年生)「正調刈千切唄全国大会」男性の部で優勝。2017年(大学1年生)「日本クラウン 演歌・歌謡曲 新人歌手オーディション」でグランプリを獲得。2019年、日本歌手協会 最優秀新人賞受賞。2021年、第35回日本ゴールドディスク大賞「ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」受賞。9/29「我ら演歌第7世代!スペシャルコンサート」が愛知・日本特殊陶業市民会館にて、10/13「二見颯一やまびこコンサート2022in宮崎」が宮崎・メディキット県民文化センターにて開催。ミュージカル「吾輩は狸である」は東京・CBGKシブゲキ!!にて10/5~9まで行われる。