CEO射殺犯は裕福で優秀。犯行に手製銃を使用か 「ヒーロー」と盛り上がる腐敗した米保険システムの闇
医療保険会社のCEOが訪問先のニューヨーク中心部の路上で突然射殺されるという衝撃的な事件から5日、容疑者の男が逮捕された。
何が起こった?
米医療保険大手ユナイテッドヘルスケアのCEO、ブライアン・トンプソン(Brian Thompson)さんは4日早朝、投資家との会合に出席するためマンハッタンの歩道を歩いていたところ、突然男に銃で撃たれ死亡した。
防犯カメラ映像によると、男はトンプソンさんの背後から近づき、落ち着いた様子でトンプソンさんに向け発砲している。すぐ側には目撃者もいたが男に動じる様子は見られず、1発目の後によろけたトンプソンさんに向け、2発目、3発目が放たれた。
発砲のたびに弾が中で詰まったようだが、男は冷静に詰まりに対処し、発砲を続ける様子が確認された。CNNは「まるで経験豊富な狙撃手のようだ」と報じた。
BBCによると、アメリカのトップクラスの企業の幹部は護衛に数百万ドルを費やしているのが普通だというが、トンプソンさんは事件発生時、護衛スタッフがいなかった。
男は犯行後、自転車とタクシーを使ってバスターミナルまで移動し、他州へ逃亡したと見られていた。
事件発生後、NY市警によって滞在していたホステルの防犯カメラや、逃走中に乗ったタクシーの防犯カメラに撮影された顔写真が一斉公開された。情報提供者への報奨金はNY市警により1万ドル(約150万円)、FBIにより5万ドル(約760万円)と発表されていた。
「最近NYに行ったか?」と職務質問された男は震え出し...
事件から5日後の9日朝、容疑者はニューヨーク州の隣、ペンシルベニア州のマクドナルドでスタッフによって通報され、地元警察に拘束された。
同州の警察当局の発表によると、現場に駆けつけた警察に「最近ニューヨークに行ったことはあるか?」と尋ねられた男は明らかに冷静さを欠き、突然震え出したという。
拘束後、男の身元が明かされた。名前はLuigi Nicholas Mangione(ルイジ・ニコラス・マンジオーニ/ニック・マンジオーニ、26歳)。
報道によると、マンジオーニ容疑者は拘束時、ゴーストガン(追跡がほぼ不可能な自家製の銃)、消音器、偽造された身分証明書(ニューヨーク滞在中にホステルで使用されたものと同じ)、そして医療業界を批判する文章を所持していた。
容疑者は裕福な家庭の出身で、一代で財を成した亡き祖父によりメリーランド州ボルチモアでカントリークラブ、老人ホーム、ラジオ局などの事業が営まれているという。優等生でもあったのだろう、名門私立男子高に通い、卒業生代表者として堂々とスピーチする様子がSNSにアップされている。大学はアイビーリーグのペンシルベニア大学でコンピューターサイエンスを学び、卒業後はIT業界でデータエンジニアなどをしていたようだ。
だが容疑者は、ユナイテッドヘルスケアや医療業界に恨みを抱いていた可能性がある。
以前はハワイでコーリビング(共同生活)スタイルで働きながらサーフィンをする生活をしていたようだ。だが背中の怪我や痛みが悪化し、サーフィンから離れていったという情報も。手術を受けたようで、本人のXアカウントのプロフィールには、医療器具が埋め込まれたようなX線写真が掲載されている。
(いわゆる“殺人者”のイメージから程遠いような)健康的で明るい笑顔の写真がいくつも公開されている。Xのプロフィール写真もこう言ってはなんだが、とても良い表情だ。しかし手術後の体の不調で精神を病んだのだろうか。家族や友人と連絡を断ち、家族から行方不明者として届けが出されていた。10月には容疑者のXに、知人とされる人物により(容疑者と)何ヵ月も連絡が取れないことを心配するメッセージが投稿されている。
殺人者がヒーローと持て囃される医療システムの闇
筆者はこの事件を追う中で、非常に気になり看過できない点がある。
人が一人、あまりにも残忍な方法で命を奪われているのに(アメリカではExecution=処刑という言葉でも表現されている)、SNSを中心に決して少なくない数の人々が、この事件をまるで「歓迎」したり容疑者を「擁護」したりしているかのような動きがあるのだ。
事件から2日後、ユナイテッドヘルスケアはSNS上でCEOを追悼したのだが、人々のリアクションはあまりにも辛辣で冷酷だった。驚くことに「笑顔」の絵文字が大半を占めたのだ(同社によりコメント欄は制限)。「9万人以上が絵文字で嘲笑」とも報じられた(数字は6日時点)。
リアクションの中には、健康不安に陥っている患者を同社がいかに残酷に取り扱ってきたかという憎悪のコメントや、医療保険請求を却下されたがん患者の悲痛な叫びがある。そしてこの殺人事件への人々の反応は「医療保険制度がいかに最悪か」と嘆くものや「銃撃犯はイケてる」と殺人者を囃し立てるものも。
中にはこの容疑者を「ヒーロー」と呼ぶ向きまであるのだ(ペンシルベニア州警察当局ははっきりと否定、「真のヒーローは警察への通報者だ」と発表)。
SNSだけではない。米ワイドショーの中には一般人は決して笑えないジョークを交え、この事件を取り扱う信じられない番組と司会者までいる始末 ──。
アメリカの医療費は高額でシステムは複雑だ。これまで同社のミネソタ本社前では、治療を拒否されたり医療保険請求が却下されたりして路頭に迷う人々による抗議活動が起こってきた。殺されたトンプソンCEOの妻は、同氏が脅迫を受けてきたと証言している。
人々の一連のリアクションは、現在この国で医療保険制度が崩壊し、憎悪がくすぶり、怒りが渦巻いていることの表れだろう。
CNNが報じたある調査によると、保険に加入している成人の約5人に1人が12ヵ月間に請求の却下を経験しているという。会社の福利厚生で加入した保険またはオバマケアの保険の加入者は、低所得者向けのメディケアやメディケイドの加入者に比べて約2倍の頻度で却下されているという。
司法機関によって容疑者の犯行の動機が解明されていくことだろう。しかし抜本的な改革がない限りは、この国に渦巻く医療保険制度の問題は今後も蓄積され続けていきそうだ。
(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止