難易度の感じ方はずれる
新しいことを始めると、出来ない、難しいと感じることがたくさんあります。しかし、技能や知識が身につくにつれ、出来ることが増えていきます。その結果、以前は難しいと感じていたことも、簡単に出来るようになっています。そんなときに、自分の成長を実感するものです。
ところが、出来ることが増えると、「難しい」と感じることが新たに見つかります。
認知心理学に「探索視野」という言葉があります。目を動かし、注目を向け、情報を得られる範囲を指す言葉です。技能者を見ていると、初心者と熟達者では、この探索できる範囲に違いがあると感じます。
実際、初心者と熟達者の探索視野を比較した研究では、初心者は目を向けないような場所にも、熟達者は目を向けることが示されています。
「探索視野」自体は具体的な物を対象に想定した概念と思われますが、「難しい」と感じることが新たに見つかるのも、熟達するにつれて、頭の中の探索視野が広がるからかもしれません。
ここまでをまとめると、知識や技能のレベル向上を難易度の視点から考えた場合、取り組む→身に着く→出来ることが増える→以前は難しいと感じていたことが難しくなくなる→より難易度の高い課題に取り組むというサイクルが存在すると思われます。その結果、難易度に対するその人の捉え方も変わっていき、以前は難しくて出来なかったことが、いつの間にか当たり前に出来ることへと変化していくといえます。
こうした難易度の感じ方の変化、言い換えると主観的な難易度の変化は、人に教える立場になると、困る面があります。たとえば、自分にとって「当たり前に出来ること」が、初心者にとってどのくらいの難易度なのか、よくわからなくなったりします。実際、知識や技能を教える立場の方々とお話していると、「このくらい簡単だろう」「このくらい出来るだろう」と思って教えたことを、教える相手が全く出来なかったり、期待をずっと下回るような出来だったりすることがあると伺います。
こんなとき、教えた相手にやる気がないとか、努力が足りないと思うこともありますが、主観的な難易度の点から考えると、それ以外にも理由があるかもしれません。たとえば、ある研究からは、自分が答えを知っている問題は、答えを知らない他人が解く場合も簡単だと予測することが示されています。その一方で、答えを知らない人は、問題を難しいと感じるそうです。
つまり、知っている人や出来る人は、難易度を実際よりも低く評価しやすい傾向があるといえます。
技能の上達には、ある程度の難易度がある、負荷の高い課題が必要と言われていますし、そういった課題に取り組み、出来ることの範囲を広げていくことも必要です。ただし、あまりにも難易度が高く、失敗ばかり重ねると、「どれだけやっても自分はダメだ」と感じ、無力感を学んでしまいます。これは学習性無力感といいますが、こうなるのは避けた方がいいでしょう。
教える側に課題の難易度を調整する裁量がどのくらいあるかで、変わる部分もあるでしょうが、知識や技能が期待ほど伸びないと感じた時や、無力感が高まっていそうな時は、教える側の視点から一度離れ、思い切って学ぶ側の視点で難易度を設定することも、1つの手だと考えています。勇気のいることですけどね。