織田信長は絶対君主的な性格で、態度が尊大だったのだろうか?
戦国大名の性格などをうかがい知るのは、極めて困難である。織田信長の性格、容姿、声などに関しては、フロイスの『日本史』に記録があるので、確認しておこう。
戦国大名の容姿に関しては、本人を描いた肖像画が残っているケースもあるが、本人の死後(近世以降)に描かれたものならば、はなはだ疑問が残るところである。武田信玄ら武将を描いた肖像画については、本当に本人なのか疑問を持たれている例が多い。
性格についても同様である。そもそも二次史料に書かれたものに関しては、脚色が強く信が置けない。敗者となった武将の性格を記す場合は、貶められるケースが多い。書状などで性格の一端をうかがえることもあるが、たまたま怒っている記録を見て「怒りっぽい」と決めつけるは早計だろう。
その中で、数多くの大名の容姿や性格を記録したのが、宣教師ルイス・フロスの『日本史』である。同書には、信長の容姿や性格が詳しく書かれているので、以下、検証を進めることにしよう。
信長の背丈は中くらいで、華奢な体形で髭が少なく、はなはだ声が快調だったという。背丈が中くらいというのは分かりづらいが、当時の日本人の平均的な身長(155cm前後)だったのだろうか?声に関しては、確かめようがないだろう。
信長は好戦的で軍事的修練を欠かさず、正義に厳格であり、名誉心に富んでいた。侮辱されると懲罰をし、ときに慈愛と人情味を示したという。せっかちな性格で激昂するが、普段(戦時以外)はそうでなかったらしいので、感情の起伏が激しかったようだ。
信長は家臣の忠言にほとんど耳を貸さず、王侯(朝廷の人々)を軽蔑していた。対談の際は無用な前置きを嫌い、身分が低い家来とも親しく接した。また、性格には憂鬱な面があり、困難なことには大胆不敵に取り組み、人々は信長の言葉に服従したという。
「越前国掟」を読むと、信長の絶対君主的な性格がうかがえるので、「なるほど」と思う点が多々あるのも事実である。その一方で先述したとおり、日本側の史料で信長の性格を詳細に知るのは困難なので、そのまま信じるわけにはいかないという論者もいる。
一般論で言えば、現代でも相手やシチュエーションによって態度が変わることがあるので、人の性格を探るのは難しい。信長についても、同じことがいえると思うので、今後さらに検討を要しよう。