ダレノガレ明美さんの愛馬になり亡くなったウイングランツ 一生懸命な2005年ダイヤモンドS優勝馬
6月5日、タレントのダレノガレ明美さんのインスタグラムが更新され、愛馬が亡くなったことが知らされた。その文中、愛馬の名が「ウイングランツ」と書かれていた。2005年のダイヤモンドS(GⅢ)優勝馬と同じ名前だった。
生まれた日と写真などで同名の重賞勝ち馬だと特定
乗馬になると競走馬時代と名前が変わることはよくある。しかし、"ウイン"という冠名がついているから、同じ馬かもしれない。
真相はどうだろう、と経緯を見守っていたところ、6日、ダレノガレ明美さんのTwitterにその馬のプロフィールの書かれたプレートが載っていた。2000年4月8日生まれの鹿毛。そして、となりの写真に額の流星が特徴的なその顔があった。高市厩舎にいた、2005年のダイヤモンドS勝ち馬のウイングランツだとわかった。
重賞勝ち馬でも行方知れずになってしまう馬もいるが、ウイングランツは幸い、消息を最後まで知ることができた上にダレノガレ明美さんのような素敵なパートナーに愛され最後まで乗馬として頑張っていたことを知り、温かい気持ちになった。
51キロの軽ハンデで格上挑戦!10番人気で人馬初の重賞制覇
競走馬時代のウイングランツは美浦・高市厩舎に所属し、2003年にデビュー。1勝目をあげるまで6戦を要し、その後も2004年までは条件戦をクラス慣れしながらゆっくりと勝ってきた条件馬の1頭だった。
ウイングランツに転機が訪れたのは2005年。1月に1000万下の条件戦である箱根特別を後方から追い込んで2着にきた。勝ち馬と同じ上がりタイムで光るものを見せたが勝つには至らず、次走も同じ条件戦を予定していたが除外により出走が叶わなかったため、軽いハンデ51キロで重賞へ格上挑戦することになったのだ。
2005年2月13日、東京競馬場。11レースのダイヤモンドS(GⅢ、芝3400m)。ウイングランツは14頭中の10番人気。鞍上はまだ成人式を迎えたばかりの松岡正海騎手だ。長距離戦は騎手の腕が試される。デビュー2年目の松岡騎手が乗りこなせるのか、と不安を抱くファンもいた。
しかし、少し前に成人式を迎えたばかりの若武者は実に冷静だった。高市師の「1周目はゆっくり、4コーナー手前で前方を射程圏に入れて直線で勝負」という指示を見事にこなした。
ウイングランツは長距離戦のラストで、苦しくなったのだろう。何度も内にもたれた。しかし、松岡騎手はそんなウイングランツにレースを諦めさせることなく、必死に導いた。
「勝ったー!!」
レース後、顔を紅潮させて溢れる喜びを抑えられない鞍上がマラソンレースを無事いちばんに走り終えた相棒を称えていた。人馬ともに初の重賞勝ち。ウイングランツは、普段は素直でおっとりとしているが、勝負になるとスイッチが切り替わり気の強い面を出す。松岡騎手は、そんなウイングランツの気の強さを最後の最後まで持たせ続けたのだ。
晴れて重賞ウイナーになったウイングランツは、この後の春から夏にかけて重賞やオープン特別を戦った。伝統ある目黒記念(GⅡ)で2着にくるなど善戦もし、夢はGⅠ制覇!と陣営の期待も高かった。しかし…、右前球節に強い不安を抱えるようになる。これまで3歳のデビュー戦から条件戦を休むことなく走ってきたウイングランツだったが、同年9月の札幌日経オープンから約1年半の休養を強いられることになる。
2007年、天皇賞(春)に出走した後、古傷に再び違和感が発症。競走生活に別れを告げた。
乗馬となったウイングランツは、いくつかの乗馬クラブを移動しながら、現在の場所へたどり着いた。ダレノガレ明美さんのインスタグラムを拝見したところ、ウイングランツは初めて乗った馬だそうだ。そんな"思い出の1頭"との今生の別れが辛くないわけがない。
競馬と関われば、多くの馬たちと出会いと別れを経験する。しかし、その思い出や過ごした一瞬は、一時忘れても、またレースの記録を見るたびに鮮やかに思い出す。
今回、ウイングランツの訃報を聞き、人馬初重賞制覇の初々しい姿を思い出した競馬ファンは私だけではないはずだ。
ウイングランツ号、23歳。競走馬としても乗馬としても、本当にお疲れ様でした。合掌。