2006年から2007年にかけての日銀の利上げ局面を振り返る
日銀は2023年3月の金融政策決定会合でマイナス金利政策を解除し、政策金利を日銀の当座預金の付利から無担保コール翌日物金利に戻し、それを0から0.1%程度で推移するよう促すとした(賛成7反対2、反対は中村委員、野口委員)。さらに長期金利コントロールも解除した。
その後、同年7月に政策金利である無担保コール翌日物金利を0.25%に引き上げた賛成7反対2、反対は中村委員、野口委員。
前回の日銀による利上げは2006年から2007年にかけて行われた。今回はこのときの様子を振り返ってみたい。
2006年3月9日の金融政策決定会合では、無担保コールレート翌日物を、概ねゼロ%で推移するよう促すとした。
前回までの金融政策決定会合では、日銀当座預金残高が30~35兆円程度となるよう金融市場調節を行うとしており、3月に行われた修正は、日銀の金融政策の目標を、日銀の当預残高という「量」から、無担保コールレート翌日物という「金利」に戻すものであった。これは「量的緩和策の解除」と呼ばれた(賛成7反対1、反対は中原委員)。
中原委員は、現状の景気判断においては、多数意見と基本的に相違はないものの、消費者物価指数の実績が安定的にプラスであると判断するには、もう少し検証する方が良いことなどとしていた。
債券市場では福井日銀総裁(当時)の発言内容などから、3月9日もしくは遅くとも4月11日に解除されるとの見通しが強まっていた。このため、9日の解除決定発表後も大きな波乱もなく、落ち着いた値動きとなっていた。
このあとの4月と5月の会合では全員一致での現状維持。
7月14日の金融政策決定会合では、無担保コール翌日物金利を0.25%に引き上げ、いわゆるゼロ金利政策を解除した(全員一致)。
3月と7月の金融政策決定会合には、企画局企画役の内田眞一氏(現副総裁)が参加していた。
8月から12月にかけては全員一致での現状維持となったが、2007年1月の会合で異変が起きる。
議長案(当時の議長は福井総裁)が現状維持なのに対して、須田委員・水野委員・野田委員から、無担保コールレート翌日物を0.5%で推移するよう促すとの議案が提出された。つまり0.5%への利上げ案が出されたのである。これは採決の結果、反対多数(3対6)で否決された。
ただし、これで利上げの流れを作った格好ともなり、2007年2月の金融政策決定会合で、無担保コールレート翌日物を0.5%前後で推移するよう促すという利上げが8対1で決定されたのである。このとき反対したのは岩田副総裁(当時)であった。