夏こそ父と兄を超える! 平安・奥村真大
今大会は、親が甲子園で活躍した選手が多い。8強入りした筑陽学園(福岡)の1番・中村敢晴(2年)の父は西日本短大付(福岡)の主将で92年夏に優勝した壽博さん(44=日本文理大監督)。福岡大真(3年)の父は樟南(鹿児島)のエースで、94年夏の準優勝に輝いた真一郎さん(42)で、現在は筑陽のトレーナーとして選手たちをサポートしている。智弁和歌山の黒川史陽(3年=主将)の父・洋行さん(43)は、上宮(大阪)の主将で93年センバツ優勝を果たした。兄も日南学園(宮崎)で甲子園出場を果たしている。そして、龍谷大平安(京都)には、そんな彼らを上回る華麗な「野球ファミリー」の選手がいる。
3代甲子園の奥村ファミリー
平安の5番打者・奥村真大(まさひろ)内野手(2年)の一家は、滋賀では有名な「野球ファミリー」として知られる。父の伸一さん(50)は、1985(昭和60)年、86年と、甲西(滋賀)の3番・捕手で2年連続夏の甲子園出場。85年にはベスト4に進出し、86年の三沢商(青森)との開幕戦で、大会1号を打った。近大、プリンスホテルでも強打者として活躍し、現在は母校の監督を務める。
8歳上の兄・展征(23=ヤクルト)は、日大山形の主将として、2013(平成25)年夏の日大三(西東京)戦で先制本塁打を放って、山形勢初の夏4強入りの原動力となった。巨人からドラフト4位指名を受け、ヤクルトに移籍して一昨年から1軍でも活躍している。加えて、祖父の元国会議員・展三さん(74)は、51年前、甲賀(現水口=滋賀)の監督として、センバツに出場した。3代にわたって甲子園出場という家族は、全国でも珍しい。
「親子&兄弟本塁打」なるか
兄の展征が本塁打を放ったとき、親子本塁打は二例目とされた(もう一例は日大三の吉沢親子)が、「親子&兄弟本塁打」は甲子園では記録されていない。真大にはその期待も懸かり、実際に惜しい当たりもあった。初戦の津田学園(三重)戦では、延長11回、左翼線にあとわずかで本塁打という大きな当たり(記録は二塁打)を放ち、これが決勝打となった。盛岡大付(岩手)戦では、「手ごたえもあったし、いったかなと思った」(真大)という大飛球を打ち上げ、逆風に押し戻されて二塁打となった。31日の準々決勝で明豊(大分)に勝てば、父と兄に並ぶ甲子園4強入りとなる。
準々決勝敗退で父、兄に並べず
試合は緊迫した投手戦となり、継投策も決まって両軍ゼロ行進で延長に突入した。初戦とよく似た展開だ。真大は、第二打席で右打ちの巧打を見せたが、「対戦を楽しみにしていた」という明豊のエース左腕・若杉晟汰(2年)との同学年対決は、2三振1四球と分が悪かった。結局、この試合で真大は1安打に終わり、ミスが出た延長11回の2死から、平安がサヨナラ負け。父と兄に並ぶ4強入りを逃し、甲子園初アーチもかなわなかった。
収穫もあった大会 夏こそアーチを
この日は、今大会初めて伸一さんがアルプススタンドで応援。両親、祖父、姉が勢ぞろいして、ファミリーの末っ子に声援を送った。大会中は話していないという伸一さんだが、3月上旬の沖縄遠征では、「大振りになっている」とアドバイスしたという。
「課題の守備も積極的にいっていたし、よく頑張っていると思う」と目を細めた。真大も、初めて父が観戦するとあって張り切っていたと言うが、「(8強止まりで)全然、近づけていないし、いいところを見せられなかった」と唇を噛んだ。それでも、「140キロを超えるボールも打てたし、エラーゼロが一番うれしい」と、3試合連続安打と無失策だった今大会の収穫も口にした。そして、「負けは悔しいし、もっと練習して、必ず夏に戻って来たい。(本塁打も)狙って打てるくらいにならないと」と早くも夏に照準を合わせ、持ち越しとなった「親子&兄弟本塁打」と4強超えを誓った。