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「攻めの吉田」競馬番組に貢献した吉田均トラックマンが逝去

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
吉田均さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます(写真/kim)

 10月5日、競馬トラックマンで競馬解説者の吉田均さんが10月3日に亡くなられたことがわかった。

 産経新聞社の競馬専門紙「競馬エイト」が創刊された1971年から在籍し、トラックマンと呼ばれる競馬の専門記者として亡くなる直前まで現場で仕事をし続けた。

 「攻めの吉田」というタイトルコラムのとおり、的確に攻める予想スタイルには定評があり、その新聞を代表する本紙予想を長きにわたって務めており、さらに競馬評論家の大川慶次郎氏が亡くなった後は競馬番組「スーパー競馬」のメイン解説を担当した。

サイレンススズカが優勝した1998年の毎日王冠

 吉田均さんは冒頭とレース後の解説に登場/カンテレ競馬公式

■吉田均さんが所属した競馬エイトの公式アカウントが追悼

 吉田さんは亡くなる直前まで、いつもどおりJRA美浦トレセンで調教の時計を計測していたそうだ。同じ競馬エイトに所属する後輩トラックマンである佐藤ゆきあきさんがXで吉田さんが亡くなられたことがわかった10月4日(金)の朝の出来事を書き記している。

競馬エイト トラックマンの佐藤さんの追悼文
競馬エイト トラックマンの佐藤さんの追悼文

 吉田さんが長きにわたり「競馬解説の顔」としてテレビに出演されてきた影響力の強さは、つの丸氏の漫画「みどりのマキバオー」にて「競馬八」の「守りのよしよしだでお馴染みのよしよしだひとびとしさん」としてそっくりなキャラクターが登場していたことからもわかる。

 個人的には吉田さんはグラスワンダーに重い印を打っていた印象が強く残っている。当時の美浦トレセンは馬場と厩舎が南と北に分かれており、グラスワンダーは北馬場の厩舎の馬だった。あの頃は厩舎のあるほうの馬場を使うのが基本だったが、南にしかないウッドチップコースを使いたい北の馬は南に出向いて調教したりしていた。グラスワンダーもウッドチップコースで追い切られることが多く南に出向いていたが、吉田さんは南の調教時計を取る時計班だったのでグラスワンダーの良い時も良くない時も継続的に見続けていたのだろう。サイレンススズカ、エルコンドルパサーらのGI級の豪華メンバーが揃った1998年の毎日王冠でも「強い」グラスワンダーを本命に推していた。フジテレビの青嶋達也アナウンサーとのテンポのいい掛け合いもとても印象的だった。

 筆者自身も同じ会社の夕刊フジで競馬予想をしていたので、イベントや番組でご一緒させていただく機会にも恵まれた。切れ味がいいのに優しい喋り口調を初めて生で聴いたときはドキドキしたものだ。
 心より吉田均さんのご冥福をお祈り申し上げます。

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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