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【富田林市・河内長野市】三日市・多聞丸像から観心寺・楠妣庵・下赤坂城を経由し楠公誕生地まで歩いてみた

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

冬を迎えて毎日寒いですが、こういう時には車の走行を注意しつつ、山を見ながら町歩きするのがいちばんです。今回はどういうコースを歩こうかと思っていたら、楠木正成つながりを考えてみました。

南海三日市町駅前にある多聞丸像から観心寺、楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)、下赤坂城跡を経由して楠公誕生地まで、楠木正成つながりの道を歩いてみることにしたのです。

三日市町駅前にある多聞丸像です。加賀田に伝・大江時親邸があり、楠木正成の少年時代だった多聞丸が、毎日千早赤阪村にあった生誕地から観心寺や大江時親邸まで学びに行ったという伝承に基づくものです。

多聞丸像から最初に向かうのが観心寺です。

三日市町駅前にある南海電車をまたぐ橋の名前が「楠公通学橋」と呼ばれているものです。

楠公通学橋を渡ると、上り道になります。

急ではありませんが上り坂が続きます。歩道があるので安心です。

日東町・大師町と清見台を結ぶ陸橋です。「くすのかホール」と書いてありますが、今回の目的地楠公誕生地には「くすのきホール」があります。つまり一字違いのホールがあるわけです。

陸橋からさらに上がると、ピークに近づいてきたようです。

途中、神社があります。笠松稲荷神社です。新しいと思って鳥居を見るとなんと今年(令和6年)に新調したとあります。

以前の鳥居
以前の鳥居

以前は赤い鳥居でしたが、ひと回り大きな石の鳥居は、インパクトがあります。

葛の口バス停の前に出てきました。バス道沿いに観心寺に行きますが、ここは歩道があるので安心です。

途中丸山展望台の横を通って観心寺を目指します。

洋食のおとぎ屋さんを過ぎたあたりに、左に曲がる道があります。

バス道ではない左の道に入りました。この後は寺元の住宅地のようになっています。

寺元の交差点です。右に行けば観心寺、左に行けば楠比庵です。

右に寄り道します。観心寺の山門です。境内には楠木正成の首塚があり、山門の横には大楠公像がありますね。

いったん、先ほどの寺元交差点に戻り、楠妣庵に向かいます。河内長野から富田林に続くこの道は歩道がないので歩く際には注意しましょう。

上りが続きますが、中には急カーブがあります。サークル状になっているようにも見えます。

上りのピークが近づいてきました。すると「富田林市」と書かれた表示案内が見えます。

富田林市に入りました。振り返ると河内長野市の表示板があります。

境界線を越えたあたり、千早赤阪村の小吹台に向かう道に分かれています。富田林市最南端にある小吹台口バス停が見えます。

今回はそのまま道路沿いを甘南備方面に向かって下って行きますが、ここも歩道がないので、歩く時のおすすめは、以前歩いた小吹台バス停から甘南備までの遊歩道です。遊歩道は河内ふるさとの道にも指定してある道です。

下りも同じようにサークル状になっているカーブがあります。

山を下ってくるとコンクリートの会社が現れました。

さらに下ると主に左側に建物が現れます。右側は山になっていて緑に覆われていました。

まもなく、甘南備の中心部あたりに到達します。石川支流の佐備川沿いにある谷に開けた地域ですね。

開けたところに出てくると、嶽山山頂にある亀の井ホテル富田林の建物が見えました。

楠妣庵観音寺の入り口が見えてきました。

楠妣庵観音寺の入口まで来ました。

そして、すぐのところにあるのが楠母子像です。正成の妻・久子と、嫡男・正行の像ですね。

多聞丸像は新しく平成時代に建てられましたが、母子像は昭和時代、1935(昭和十)年に彫刻家の岩崎光仁師により作られました。なお、岩崎光仁は上野公園の西郷隆盛像などを手掛けた、明治時代の著名な彫刻家である高村光雲から直接指導を受けた弟子とのこと。

楠妣庵観音寺からは下赤坂城跡をめざします。甘南備からは南河内フルーツロードの上りを歩きます。

富田林、千早赤阪村あたりのフルーツロードには、残念ながら歩道がありません。車に注意して歩きましょう。ちなみに河内長野のグリーンロードには歩道があります。

坂を上って行くと見晴らしの良い場所に出てきました。富田林市立総合スポーツ公園と思われる施設が見えます。

上りが落ち着いてきました。千早赤阪村との境界線が近いようです。

富田林市と千早赤阪村との間には残念ながら境界線を占める表示板がありません。事前に調べたところ、画像にあるトラックのアルミ製の箱型の荷台のあたりが境界線のようです。

富田林の象徴と言えるPLの塔がはっきり見えます。

境界線付近に来ました。画像の左側のピンク色をした建物は老人福祉施設ですが、住所は千早赤阪村です。

千早赤阪村に入るとグランドが見えてきました。

下赤坂城方面に向かう遊歩道を歩きます。この道は基本的に車は通らないので安心して歩けます。

こうして下赤坂城跡に到着しました。

大きな石碑があります。下赤坂城を赤坂城、上赤坂城を楠木城という呼び方をする場合もありますね。

下赤坂城跡の周りには下赤阪の棚田が広がっています。注意書きがあります。

そのまま最終目的地である楠公誕生地を目指します。

楠公誕生地の敷地内にはくすのきホールと郷土資料館、隣には道の駅ちはやあかさかがあります。

ついに到着しました。右に曲がると楠公誕生地の入り口です。

楠公誕生地に無事に到着しました。

ここが楠公誕生地とよばれているところです。くすのきホールを建設する際に発掘作業が行われ、南北朝時代を中心とした楠木氏が活躍したころとほぼ同じ年代の出土品が出てたとのこと。楠木氏という特定はできないものの、当時の有力者の屋敷がこの場所にあったことは確実なのだそうです。

拡大しました。三日市町駅前にある多聞丸像の前から、観心寺、楠妣庵観音寺、下赤坂城跡を経由して無事に楠公誕生地に到着しました。

寄り道をしたので、3時間近くかかりました。画像の山は上赤坂城跡で、その先には千早城跡や金剛山があります。少し健脚者向けのコースですが、走らずとも歩いているだけで体が温まりました。楠木正成由来の道を歩いてみてはいかがでしょう。

三日市町駅前多聞丸像

住所:大阪府河内長野市三日市町

アクセス:南海三日市町駅から徒歩3分

観心寺

住所:大阪府河内長野市寺元

アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 観心寺バス停下車

楠妣庵観音寺

住所:大阪府富田林市甘南備

アクセス:近鉄富田林駅からバス 甘南備バス停下車

下赤坂城跡

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村

アクセス:近鉄富田林駅からバス 森屋バス停下車

楠公誕生地

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村

アクセス:近鉄富田林駅からバス 千早赤坂役場前バス停下車

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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