VR空間で深まる議論、見えてきた未来の学会の可能性 ー学術団体主催のイベントを「cluster」でー

clusterで開催された『先生,質問です!』公開セッションの様子(著者撮影)

 新型コロナウイルス対策で各イベントや学会などが次々延期や中止となっている中、遠隔ビデオ会議システム「Zoom」などを用いて、遠隔でのイベント聴講や遠隔学会発表などが行われている。

 情報処理学会の全国大会でも新しい試みがあった。金沢工業大学での現地開催は中止となってしまったが、学会誌の中の『先生, 質問です!』コーナーの公開セッションについて、バーチャル空間イベントサービス「cluster(クラスター)」 を使ってバーチャル空間内で実施したのだ。

 clusterとは、参加者がバーチャルキャラクターになってVR空間でイベントを開くことができるバーチャルイベントサービス。加藤直人氏が創業し代表を務めるベンチャー企業、クラスター(東京都品川区)が開発した。加藤氏はもともと京都大学理学部で宇宙論と量子コンピュータを研究したエンジニアである。

 clusterでは、PCやスマホなどから自由にバーチャル空間にアクセスすることができ、好きなアバターで音楽ライブやeスポーツ大会などに参加することができる。もちろんVRデバイスからもアクセス可能である。また、アカウントを登録すればだれでも無料でイベントを作成することもできる。

clusterで開催することになった経緯

 学術団体主催のイベントをcluster上で行うのはまだ珍しく 、本イベントはIT関係者からも注目されていた。

「3.11(東日本大震災)の直後に、国際会議を開催する必要があったんですよ」 イベントの冒頭では、セッションチェアでもあり会誌編集委員長でもある東京大学の稲見昌彦教授が、cluster開催に至る経緯をこう振り返った。

 

 きっかけとなったのは、9年前の震災直後の国際会議だった。当時、稲見教授らはオンラインとオフラインが入り混じる国際会議をたった48時間で準備したという。その後、オンラインの学会を作ろうと、産総研の江渡浩一郎氏が中心となって立ち上げたのが「ニコニコ学会β」である。また、昨年(2019年)12月には、電気通信大学の大学院生である亀岡嵩幸氏ら有志 がバーチャル空間で「バーチャル学会2019」を開催した。

 今回、新型コロナウイルス感染拡大防止のため現地開催の中止が決定したとき、即座にバーチャル開催に切り替えられたのは、こういった経験の積み重ねがあったからとも言えるだろう。また、編集委員の一人で東京大学の大学院生である畑田裕二氏は、clusterでの豊富なイベント経験があった。畑田氏は、今回のイベントの配信を担当するとともに、初めてclusterを使用する登壇者に対するサポートも行った。

「大学の勉強は何の役に立つの?」

 『先生,質問です!』は、情報処理学会ジュニア会員(小学生から大学3年生まで) などから質問を受けつけ、各分野の専門家(ときには大御所の先生方)がそれに対して回答を寄せるという、会会誌の中の人気コーナーである。

 例えば、小学生から「人工知能が暮らしの中に入ってきたら授業も宿題もやってくれるかも。もしそうなったら僕らはどんなことを勉強したらいいでしょうか」 といった素朴な質問が寄せられる。その質問に、人工知能の研究者が真面目かつユニークに答えるのだ。バックナンバーはすべてウェブで無料公開してるのでぜひ読んでみていただきたい。

 本イベントでは、このコーナーのパネルディスカッションをclusterで行った。その模様はYouTubeでライブ配信し、clusterでのコメントとYouTubeのコメントをリアルタイムで拾っていく形式をとった。

 ここでは、Twitterから寄せられたある質問 と、専門家たちによる答えを紹介しよう。その質問とは、「エンジニアになりたいなら大学の勉強は何の役に立つの?」というもの。

 稲見教授からは、「学び方を学べるのが大学のメタな価値。そして、まとまった時間をえられる、仲間を得られる。そんな3つの役割が大学にはある」との回答。もちろん、自分が好きなことならどんどん自分で学習できる。一方、苦手なことなどは一緒に戦ってくれる仲間がいると自分の心が弱くても頑張れるというわけだ。

 東京女子大学の加藤由花教授は「履修した科目の知識やスキルを身に着けるだけでなく、カリキュラムとしてセットで学べるのは大きい。『この分野をマスターするならこの10冊を読め』というのがありますが、この1セットを学ぶと、情報科学をマスターできます、というのを大学が提供してくれています」と述べた。得意ではないけれど、本当は学ばないといけないという科目も含めてカリキュラムとして提供されていることで、学ばずに終わってしまうことを避けることができる。

 また、武蔵野学院大学の上松恵理子准教授は、「日本のグローバル化は進んできているものの、海外の大学と日本の大学の違う点として、海外は学び直しをする学生が非常に多いということが挙げられる。社会人入学という言葉も日本にはあるが、海外の大学は8~9割が社会人入学という大学もあります。今後は、一通り大学で学んで、社会に出て、そのあとでまた大学や大学院に入ってみようかな、という時代になってくるでしょう。そういった点で、大学はいろんな活用の仕方があると思う」と述べた。

 さらに、東京大学の川原圭博教授はこう答える。「新型コロナウイルス感染拡大防止対策で、今まさにオンライン授業などが議論され始めています。座学の科目は遠隔会議システムを使えばこれまでと同じような環境で学べそうです。板書も手書きやホワイトボード機能などでできそうですね。『では、実験科目は』となると、情報系のプログラミングなら遠隔でもできるかもしれません。でも、『これってどうなっているの?』など隣の人に聞けることが大事ですよね。電気系や機械系なども、はんだ付けをして実際に燃やしちゃったりとか、そういう経験をしないと本当の意味でエンジニアにはなれないのではないでしょうか。そんな議論を毎日しているところです」。

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、オンライン授業や自宅学習ツールが一気に広まっている。今、本当の意味での学びとは何かを考える時期に来ているという状況が浮かび上がった。

学びについて議論が深まった質問(著者撮影)
学びについて議論が深まった質問(著者撮影)

 その他にも、「技術発展に伴う不安をどのように取り除くといいか、未来に不安はあるのか」「情報技術で未来の食事はどうなるか」など様々な質問に答えていき、あっという間に時間が過ぎていった。

パネル成功のカギは司会者にアリ

 このように、clusterでのイベントは成功したと言える。

 参加してみて感じたのは、VR空間でのパネルディスカッションが成功したのは、司会を務めた湯村翼氏(情報通信研究機構)の手腕も大きい。clusterでは、スライドを映してその内容について説明をするというのは問題ない。だが『先生,質問です!』イベントでは、パネルディスカッションならではの難しさがあったという。

 湯村氏は「誰に回答してもらうか、指名するのが難しいですね。目の前にいれば、表情を見てこの人が答えてくれそうだなとか、アイコンタクトでお願いすることもできます。今回は、回答できる人にはビックリマークを挙げてもらいました」という。

 また湯村氏は「ほかの回答者と重ならないように立ち位置を移動してください」「誰が回答しているのかわかりやすいように、回答している最中はぴょんぴょん飛び続けてもらえますか」など、参加者にわかりやすく伝える工夫を次々に提案。これらのおかげで参加者はとてもわかりやすく見ることができた。

「学生の方は赤いライトを、社会人の方は青いライトを~」という司会:湯村氏の言葉にライトマークを押す参加者たち。(著者撮影)
「学生の方は赤いライトを、社会人の方は青いライトを~」という司会:湯村氏の言葉にライトマークを押す参加者たち。(著者撮影)

 一方、こういった学会イベントの一部として使う場合ならではの課題も見えてきた。途中、ある回答者の方が発言に合わせて、5Gが普及した際のイメージムービー(総務省が制作)を流してくださる場面があり、聴講者としてはとてもわかりやすかったが、これはあらかじめいくつか動画を準備してアップロードしていたものの1つだという。「clusterの会場に表示させるには、ファイルをアップロードしてからでないと映せません。今回流した動画もあらかじめアップロードしてあったものです。例えばYouTubeへのリンクを張ったりできるといいですね。また、今何について話しているかなどテキストで簡単に入力して表示できるようになると、さらにわかりやすくなりそうです」(湯村氏)。

「参加している」という臨場感はバッチリ

 私は、リアルな学会に1人だけ遠隔ロボットで参加という体験をしたことがある。このときもYouTubeLiveなどでの生中継のスライド発表映像を見るよりは、ロボット参加で自らが主体的に参加している感覚があったのだが、clusterはみんなが バーチャル空間にいるので一体感、臨場感がその時よりも勝っていたように感じた。自宅からアクセスしたため、横で見ていた子どもたちも楽しかったと言っていた(下の写真)。参加者もみな、日本各地、職場や自宅からとそれぞれの場から自由にアクセスしていた。

イベントを見る筆者と子どもたち
イベントを見る筆者と子どもたち

 今後、こういった遠隔イベントはますます広がっていくだろう。そして、それらのツールのうちのどれを選択し、どのように使いこなすかによってイベントの参加体験そのものが変わってくるのかもしれない。

(この記事はJBPressからの転載です。)