【 #実名報道 】障害者「だから」匿名? 問われる報道機関の姿勢と異化してきた社会

(写真:ロイター/アフロ)

相模原市の「津久井やまゆり園」で2016年に入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人罪などに問われた元職員、植松聖被告の裁判員裁判が始まりました。

事件発生時から、また今回の裁判においても、被害者の名前は一部の人を除き匿名化されています。

匿名は逆差別ではないのかといった指摘に対して、これまで警察や報道機関からのはっきりとした見解・説明はなされていません。

また過去には、障害のある人が加害者である事件においても、匿名報道となるケースがありました。

私は、報道側の判断の中に「障害者だから一律に匿名」というバイアスがかかってしまっているのではないかと疑問に思いました。匿名報道の判断に妥当性はあるのか。報道の実名・匿名を巡る法的論点も整理した上で、考えたいと思います。

障害のある人を匿名報道とする法的根拠は?

報道は、社会の重要なニュース・出来事・事件・事故にまつわる事実や背景を調査し、正しく、広く伝えることで私たちの「知る権利」を保障するものです。

事件報道においては、その実態を把握し、伝えるためのさまざまな情報の断片があり、被害者・加害者の実名もそのピースのひとつとなり得ます。障害のある人が事件の加害者や被害者となった場合の実名・匿名報道はどのように考えられるのでしょうか。

まず、事件の「加害者」の報道についてですが、匿名とすべき基準が法で定められているのは、少年法61条による未成年犯罪の実名公表禁止についてのみです。

少年法 第六十一条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

出典:e-Gov法令検索 少年法

加害者が障害者であった事件報道について、少年法のように実名報道を直接的に規制する法律はありません。ですが、加害者に精神障害や知的障害があった事件報道では、責任能力を問えないかもしれないとして、最初から実名報道を控えるケースや、最初は実名報道をしていたが、精神鑑定結果が出たタイミングで匿名報道に切り替えるケースなどがあります。

刑法39条における「心神喪失状態」であると裁判で判断された場合、「刑事責任能力」を持たず責任を問えないため無罪となる可能性があるからです。

一方で、やまゆり園の事件については、論点が「報道」以前の段階にあります。

警察が報道各社に対しての情報共有の段階で、すでに被害者の情報を「匿名化」していたことです。

新聞協会は、「実名発表」が直ちに実名報道に結びつくわけではなく、書かれる側の痛みと公共性や公益性とを比較しながら匿名か実名かの判断をその都度している、実名が発表されても必要な場合は新聞社や放送局の判断で匿名にしているケースも少なくない、と述べています。

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/118.html

しかしやまゆり園のケースでは、警察や県から「実名発表」がなされず、報道機関はその判断に追従するかたちで、実名報道を選択しませんでした。

やまゆり園の事件は、犯罪の手法、犠牲者の人数や事件現場の凄惨さから、大きな心理的負荷や不安を遺族に引き起こす事件であったでしょうし、実名公開を希望しないと遺族が考えることも無理もないと私は思います。

しかし一方で、難しい問いが残ります。

「現場が障害者入所施設であったこと」「被害者が知的障害者であったこと」は、その遺族の感情・判断にどこまで影響したと考えればいいのでしょうか。他の事件と比較して、どのように考えればいいのでしょうか。

障害者の匿名報道、どう考えるべき?

被害者の実名公表を望まない、遺族お一人お一人の感情自体は理解し、尊重されるべきことと思います。

加害者に刑事責任能力が問えず無罪となった場合、本人の利益を守るためにも、報道上の配慮は必要でしょう。

ですが、だからといって報道側が、事件当事者が障害者であるというだけで「一律に」匿名報道とすることに、問題はないのでしょうか。

被害者の匿名報道については、やまゆり園の事件の際にすでに多くの議論がなされたため、本稿では多く触れませんが、知的障害を理由に特別扱いをするのは逆差別ではないのかといった指摘に対して、警察や報道機関からのはっきりとした見解・説明はなされていません。

加害者の匿名報道についてはどうでしょうか。刑法39条を踏まえて報道側が自主規制をしているのが現状ですが、そこに思考停止はないでしょうか。

刑法第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。 2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

出典:e-Gov法令検索 刑法

加害者に障害があったからといって、全ての人が心身衰弱であるとは限りませんし、そもそも、精神鑑定や裁判結果が出る前に、加害者の障害の有無といった情報にどこまで触れる必要があるのでしょうか。

障害や病気、在日外国人、依存症やセクシュアルマイノリティなど、いわゆる社会的マイノリティと呼ばれる属性を持つ人が事件の当事者となった場合、報道の切り取り方によっては、そのマイノリティ性が事件の要因となったようなイメージを助長し、同じ属性を持つ当事者へのスティグマ(偏見)を助長するリスクがあります。近年では、当事者団体・市民団体から「薬物報道ガイドライン」「LGBT報道ガイドライン」などが提起されています。

引用: LGBT法連合会「LGBT報道ガイドライン」
引用: LGBT法連合会「LGBT報道ガイドライン」

しかし、精神疾患や発達障害、知的障害に関しては、実名・匿名のケースによらず、加害者の背景情報としてそうした診断名が簡単に報道されることが往々にしてあります。事件について報じる上で、診断名は本当に必要な情報なのか?それを読者に伝える意義はあるのか?十分に吟味されないまま、あたかもその障害が事件の原因であったかのような、当事者への偏見を助長するような報道も、少なくありません。

刑事責任能力を理由に、ただトラブル回避的に匿名化をする以前に、専門家との連携やガイドラインの策定・運用がないまま、安易に障害情報を公開する、報道機関の姿勢が問われる必要があると思います。

障害者を「集団」として異化してきたのは誰か

私たちが生きる現在の社会の反映として、今回このタイミング、この事件において「障害者の匿名化」という結果に着地したことは、これまでのあり方を改めて考え直す機会なのではないでしょうか。

「障害者遺族の意向」を理由に、他の事件と異なる「ものさし」で一律に匿名化を決めた警察。

そうしたダブルスタンダードに対しての議論は生まれつつも、結局はなし崩し的に黙認することとなった報道と世論。

そこにはやはり、やまゆり園で暮らしていた方々のような重度の障害のある人たちを「異質」な集団とみなし、一人ひとりの多様性に目を向けてこなかった、あるいはそうした機会や環境を十分につくってこなかった私たち社会の問題が現れているのでしょう。

当事者や家族、周囲の人々、同じ事件に対しても常に多様な声があり、個々人の思いも揺れ動きます。そんな、たくさんの個人の総体として「社会」があります。

事件の匿名報道を巡っては、私の周りにいる障害のある当事者である知人・友人も、さまざまな思いを語っていました。

「個人としてではなく、ただ一塊の『障害者』として淡々と扱う。そんな報道のあり方こそが、雑然とした人間としてのあり方を覆い隠し、植松被告が陥ったような、偏った障害者への視線を生んでしまっているのではないか」

「匿名化報道は、障害のある当事者や家族の暮らしについて、まだまだ知られていないこと、関心が薄いことの反映ではないか。そうさせてしまっている社会に対して、自分に何ができるだろうか」

匿名か実名かという結果だけでなく、障害者という「だけ」で扱いに差が出る現状、その背景にある、私たちの内から偏見や差別にこそ向き合わなければならないと、私は考えます。

◇この記事はYahoo!ニュースとの連携企画記事です。大きく報道される事件が発生するたび、氏名や顔写真の報道を巡って議論が過熱しています。なぜ、実名報道でメディアとユーザーは対立してしまうのか。考えるヒントとなる記事を不定期で連載します。