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多世代交流拠点としてのこども食堂

湯浅誠社会活動家・東京大学特任教授
山口県宇部市「みんにゃ食堂」には毎回400人近い参加者が集う(みんにゃ食堂提供)

子どもを中心に 多世代が集う

こども食堂は、子どもからお年寄りまで多くの世代が交流する拠点になっている。

――そう聞いたら、あなたは意外に思うだろうか。

実は、多くのこども食堂がそのような場になっている。

こども食堂は「子ども専用食堂」ではない。

「食べられない子、おいで」では、うまくいかない

こども食堂は、しばしば「食べられない子が行くところ」と言われるが、誤解だ。

仮にそうだとして、運営者はどうすればその子にアプローチできるだろうか?

運営者は、一民間人だ。

行政職員と違って、個人情報を持っていない。どこの子がいくらの所得の子か、わからない。

では、地域全体に向かって「食べられない子、おいで〜」と呼びかけるか。

そんなことをしたら、そういう子がいたとしても、行きづらいだろう。

親はなんと思うだろう。「ほら、行っといで」と言うだろうか。

うまくいくはずがないことは、誰でもわかる。

ましてや、子どものために一肌ぬごうとしているこども食堂の運営者たちがそんなことをするはずがない。

「どなたでもどうぞ」で1,400ヶ所増の3,718ヶ所

だから、運営者の人たちは「どなたでもどうぞ」と呼びかけている。

誰が来てもいい。おなかいっぱいの子もいるかもしれない。おなかをすかした子もいるかもしれない。家族で食べられている子もいるかもしれない。一人で食べている子もいるかもしれない。

「いいよいいよ、みんなおいで。みんなで一緒に食べようよ」と。

そして実際、地域の子どもからお年寄りまでが食べにくる。

結果として、多くの世代が交流する場になっている。

そうしたこども食堂が全国に広がっている。

その数、3,718。

1年間で全国で1,400箇所増えた。

(私が理事長を務めるNPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえと全国各地の地域ネットワーク団体の共同調査による)

こども食堂の運営者は、子どもの貧困問題に強い関心を寄せている人が多い。

しかし、現場の様子は、かつての「子ども会」のような、地域の多世代が集う場だ。

そのことが、こども食堂に新しい価値と役割を持たせるに至っている。

多世代交流拠点の5つの価値(バリュー)

主に5つある。

1)にぎわいづくり(地域活性化)

2)子どもの貧困対策

3)孤食対策

4)子育て支援、虐待予防

5)高齢者の健康づくり

多世代交流拠点の価値(バリュー)(筆者作成)
多世代交流拠点の価値(バリュー)(筆者作成)

1)にぎわいづくり(地域活性化)

地域で、多世代が交流する場が減った――全国どこでも、同じ話を聞く。

自治会活動もかつてほどにはできていない。子ども会もやれなくなった。

商店街が元気な頃は、まだお店の前が溜まり場になったりした。

しかし、それももう、ない。

子どもの声を聞かなくなった。

下手すると、人の歩いてる姿を見なくなった。

知りあいたいと思って、道で子どもに声をかけたら不審者扱い。おちおち声もかけられない。

そんな話を、全国で聞く。

そういうときに、こうした場ができる。

10月に鹿児島市・祥徳寺で開催された「こども食堂 秋まつり」には150名が参加。地域の子どもからお年寄りまでが、お笑い芸人のネタに興じた(筆者撮影)
10月に鹿児島市・祥徳寺で開催された「こども食堂 秋まつり」には150名が参加。地域の子どもからお年寄りまでが、お笑い芸人のネタに興じた(筆者撮影)

あ〜、それそれ。こういう場所、必要だよね〜と。

そのため、お寺や自治会が続々とこども食堂を始めている。

お寺や自治会は地域交流の場だったから。

それなら私たちの仕事でもある、と気づき始めたのだ。

鹿児島市・祥徳寺の「こども食堂 秋祭り」。夕暮れ時にぼんぼりが灯って、人々が集まって……。12月7日に秋田県で実施した様子も、むすびえHPにアップしている(https://musubie.org/news/1817/)
鹿児島市・祥徳寺の「こども食堂 秋祭り」。夕暮れ時にぼんぼりが灯って、人々が集まって……。12月7日に秋田県で実施した様子も、むすびえHPにアップしている(https://musubie.org/news/1817/)

2)子どもの貧困対策

月に1〜2度、こども食堂で食べたくらいで、食に事欠く子どもの課題は解決しない。

こども食堂に何度行こうが、お金を配ってくれるわけではない。

――その意味では、こども食堂は無力だ。経済的な貧困対策としては。

ただ、貧困はお金だけの問題だけではない

お金がない、つながりがない、結果として自信がない――この3つがないことを「貧困」と言う。

こども食堂では「お金」の問題は解決できない。

しかし「つながり」は作れる

つながりのなさは、ときにお金よりも深刻に「心の貧困」に結びつく。やる気の低下、あきらめの広がり、人間関係への不信……。

地域の多様な人たちとのつながりを作る多世代交流拠点としてのこども食堂は、ここに効く。

難しいことではない。見た目がコワくても「あ、この人やさしいんだ」という経験が1つ2つ3つ……と積み上がっていけば、5人目6人目に出会ったときに「この人も、見た目とは違う側面があるかもしれない」と思えるようになる。

それが、オープンで積極的な性格をつくる。

こども食堂に来る子どもや大人から、私がもっとも多く聞く言葉は

「ここではたくさんの人と知り合える」だ。

それは、立派な貧困対策だ。

見たことのない大人も、実はコワくない。人への信頼感を育む、それも立派な貧困対策だ(むすびえ提供)
見たことのない大人も、実はコワくない。人への信頼感を育む、それも立派な貧困対策だ(むすびえ提供)

3)孤食対策

「ウチでは食べないものを、ここでは食べてくれる」――これも、こども食堂でとてもよく聞く言葉の一つだ。

一人ぼっちで食べるという意味での「孤食」を防ぐだけではない。

みんなで同じものを食べることで「個食」を防ぐ。

手つくりの食事で、好きなものばかりに偏る「固食」を防ぐ。

健康に気を配ったバランスのとれたメニューで、味の濃いものばかりを食べる「濃食」、麺類に偏りがちな「粉食」を防ぐ。

なぜかたくさん食べられて、「小食」を防ぐ。

「たいしたことはできないけど、毎回の食事には自信がある」というこども食堂は少なくない。

クックパッドのむすびえ公式キッチンでは、全国のこども食堂レシピの公開を始めている。

4)子育て支援、虐待予防

「こども食堂で、一番最後まで帰りたがらないのはお母さんたち」というのも、よく聞く「こども食堂あるある」だ。

どれだけ子どもを愛していても、毎日毎日顔を突き合わせていれば、いらつくときもある。

小さい子は、食べないし、じっとしてないし、こぼすし、食べ物で遊ぶし。

しかし、夫の帰りは遅い、いても自分が中心に対応するしかない、外食はたしかに作らなくてもいいが、周囲に気をつかう……。

お母さんたちがほっとできる時間と空間は、驚くほど少ない

でもこども食堂では、他の大人が見守ってくれている。

ボランティアのお兄さんお姉さんが一緒に遊んでくれる。

お母さんたちが「一息つける」場所になっている。

子どもたちを地域の大人が見守っていてくれる。それで、お母さんたちが一息つける。それが子育て支援・虐待予防になる(むすびえ提供)
子どもたちを地域の大人が見守っていてくれる。それで、お母さんたちが一息つける。それが子育て支援・虐待予防になる(むすびえ提供)

そうした場が増えると、親を甘やかせることになるという意見も、たしかにある。

保育園も放課後児童クラブも整備されていない中で、がんばって子育てしてきた世代が立派なのは、間違いない。

同時に「サザエさん」で、始まりから終わりまで、サザエさんとタラちゃん2人だけのシーンが続いたら、どうだろう?とも思う。

サザエさんが、いつも孤独に台所に立っていたら、どうだろう?

私だったら、気が滅入ってしまうと思う。

フネさんや波平さんがいて、カツオやワカメもいて、サザエさんもタラちゃんも元気に過ごせている。

しかし今、三世代同居は減った。タラちゃんにとってカツオやワカメは叔父叔母だが、叔父叔母と同居している家族など、もうあまりいない。

だったら地域の人たちがその役割を担ってくれたほうが、サザエさんも元気にどら猫を追っかけられるんじゃないか。

「地域のちゃぶ台プロジェクト」ーー宮崎市は、こども食堂を地域に広げる取組みをそう名づけている。

サザエさんちのちゃぶ台を家族で囲める人たちは、もう多くない。

だったら地域で囲もうじゃないか、ということだ。

「地域のちゃぶ台プロジェクト」ロゴ。宮崎市提供
「地域のちゃぶ台プロジェクト」ロゴ。宮崎市提供

だから大丈夫。

こども食堂は、家庭力を下げない。むしろ、上げる

5)高齢者の健康づくり

以前、子どもを受け入れるようになった高齢者サロンに行ったことがある。

まだお昼で、子どもたちは来ていなかった。

会場は、おおまかにおじいちゃんグループとおばあちゃんグループに分かれていた。

おばあちゃんグループは、よくしゃべり、笑っていた。

この人たちは、子どもがいてもいなくても、関係なく楽しそうだと思った。

しかし、おじいちゃんグループは違う

会話が続かない。

誰かがポツンとしゃべっても、誰も拾わない。

スルーされたのか、と思ったころに、また誰かがポツンと。

間合いも、話の中身も、関連しているのかしていないのか、よくわからない。そんな感じだった。

その雰囲気が、2時ごろに低学年の子たちが来だすと、変わる。

まず、子どもたちが「ネタ」になって、おじいちゃんたちの会話が続くようになる。

走り回っているのを見て、「ああ、あぶねえな」とか。

あるおじいちゃんは、子どもたちから「あの人は、一緒に卓球をやってくれる」と認定されているようで、子どもに「また卓球やって!」とせがまれていた。

「しょうがねえな」と言いつつ、顔はうれしそうだ。

こういう光景を見ていると、「遠くの孫より、近所の子」という言葉を思い出す。

このおじいちゃんは、きっと子どもたちの卓球の相手をすることに、気持ちの張りを感じているだろう。

人生100年」と言われるようになった。

高齢者の健康づくりは、世界最高・最速の高齢化率に達する日本の最重要課題だ。

高齢者だけを対象に、介護予防体操をするのもいいだろう。

同時に、子どもと関わる中で元気になる高齢者もいる。

国民全体の健康づくりを支えるためには、こうした子どもとお年寄りが関われる場を、もっと積極的に増やしていく必要がある。

70代女性が作り手の中心になっている「朝ごはんやさん」(大阪市)。高齢者が重要な担い手になっているこども食堂は少なくない(筆者撮影)
70代女性が作り手の中心になっている「朝ごはんやさん」(大阪市)。高齢者が重要な担い手になっているこども食堂は少なくない(筆者撮影)

求められているのは「人をタテにもヨコにも割らない場所」

上記5つの他にも、防災や地域への愛着形成など、多世代交流拠点の価値は、さらに広がる可能性がある。

こうした多様な価値を持てる最大の理由は、こうした場が「人をタテとヨコに割らない」点にある。

行政サービスは違う。

高齢者や障害者のデイサービスにしろ、学校・保育園・放課後児童クラブにしろ、行政サービスは、対象を年齢や属性で割る

その上で所得で割る。年収いくら以下の世帯は何割負担、とか。

言ってみれば「人をタテとヨコに割る」ことで初めて成立するのが、行政サービスだった。

タテとヨコに線を引き、碁盤目のこのマスの人たちにこのサービス、とやってきた。

その線引きは、明確にターゲットを定め、効率的にサービスを供給する上では欠かせない。

しかしそれゆえに、多様で複合的な価値は期待できなかった。

あたりまえだが、高齢者のデイサービスには高齢者しかいない。保育園には園児しかいない。子どもとお年寄りが「ともにある」ことのシナジー(相乗効果)は、そこでは生まれようがなかった。

「効率」よりも「集いやすさ」

他方、こども食堂は民間人が運営するボランタリーな場だ。

大事なのは、「サービスとしての効率性」よりも「集いやすさ」だ。

そして集いやすさは、人をタテとヨコに割らないことで生まれる。

入口で「あなた、介護要支援のチェックシートを受けていますか」と問われる場には、行きにくい。

入口で「あなた、学校で就学援助を受けていますか」と問われる場には、行きにくい。

だから問わない。

「どなたでもどうぞ」と言う。

その結果として、多様な価値を生み出す場になる。

限定しないから、広がりを持てる

奇妙だが、必然

そして今、私たちの社会は、人をタテとヨコに割ることで成り立っているさまざまな行政サービスの限界にぶちあたっている。

「碁盤目のこのマスにいる人たちにこのサービスが必要なことはわかってます、でもお金がありません

増え続ける高齢者、減り続ける子どもたち。その一つ一つにサービスをあてがっていくことの限界が、すべての分野で語られている。

そこに、多世代交流拠点としてのこども食堂が、民間ベースのボランタリーな活動として、広がっている。

奇妙といえば、奇妙だ。

行政サービスの限界を痛感してこども食堂を始めました、という人を、私は知らない。

国や自治体の財政状況を心配してこども食堂を始めました、という人も、私は会ったことがない。

みんな、子どもたちにお腹いっぱい食べて元気になってもらいたい、笑顔になってもらいたい、たいしたことはできないけど、ごはんを作って一緒に食べることならできる、と始めているにすぎない。

しかしそれが、今の日本社会の課題に対する一つのソリューション(課題解決策)を提示している。

奇妙だが、それが必然、とも思う。

民間の人たち、市井の人々が、行政や制度・政策を意識せずに作ったからこそ、これまでの制度の限界を超えることができている。

そして「必要なのに、なかった」からこそ、行政はほとんど後押ししていないのに、人々の共感を得て、勝手に、爆発的に、広がっている

イノベーションとは、そのようにして起こるものなのだろう。

多世代交流拠点としてのこども食堂が、私たちの暮らしの風景を変えていくかもしれない。

子どものために、と地域の人々が集まる。それは同時に、子どもに地域をつなげてもらっているとも言える。「子どもを真ん中に置いた地域づくり」が人々を惹きつけている(むすびえ提供)
子どものために、と地域の人々が集まる。それは同時に、子どもに地域をつなげてもらっているとも言える。「子どもを真ん中に置いた地域づくり」が人々を惹きつけている(むすびえ提供)
社会活動家・東京大学特任教授

1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)、『子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。

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