Yahoo!ニュース

パク・チソン 英で指導者に 再出発の地QPRが「意外に思える理由」

(写真:Action Images/アフロ)

韓国サッカーの英雄パク・チソン(40)の指導者キャリアスタートの報が伝わってきた。

古巣のQPR(クイーンズパークレンジャース/イングランド2部リーグ)で、U-16チームのコーチを務めながら、まずはUEFAの指導者Bライセンス獲得を目指すのだという。

2014年8月に現役引退後、マンチェスター・ユナイテッドのアンバサダーや、大韓サッカー協会のユース戦略本部長、Kリーグ全北現代のアドバイザーを務めていた。

そのスタートの地がQPRというのは意外な印象だった。

本人の現役時代、2012-13シーズンに在籍した。その時期は完全なる「暗黒時代」と認識されてきたからだ。

2012年8月の入団時から、ちょっと噛み合っていない印象もあった。2011-12年シーズン後、マンUのアレックス・ファーガソン監督はそこまでの3シーズン平均でリーグ戦16試合程度の出場に終わったパクに対し「出場機会を多く与えられなくて申し訳ない」と告げたという。

パク・チソンの父、ソンジョン氏は後に当時の状況を「中東のチームへの移籍を考えていたところ、QPRからオファーが来た」と明らかにしている。マンU時代の年俸水準を満たすクラブは限られていたのだ。

余談だが、2012年7月にマンUからの移籍説が盛り上がった際、パク本人は「2002年W杯10周年記念フレンドリーマッチ」出場のためにソウルにいた。各メディアが移籍先を探り合う状況のなか…QPRの当時のマークヒューズ監督は堂々と仁川国際空港から入国し、パクに会っていた。なんと、韓国メディア全社が情報を”落とした”のだった。

その後イングランドでマーク・ヒューズ監督ととともに入団会見に臨むパク・チソン
その後イングランドでマーク・ヒューズ監督ととともに入団会見に臨むパク・チソン写真:ロイター/アフロ

在籍した1シーズンでは、全38節のうち、20試合出場に終わった。うち先発出場は15試合、途中交代での出場は5試合。アシストを3つ記録しただけだった。

当時、チーム側からの期待は非常に大きかった。チャンピオンシップ(2部)からプレミアに昇格したばかりのチームにあって、主将を任された。さらにポジションもマンU時代の「守備的ウィンガー」ではなく、MFの中央に。韓国代表でのチームの中軸」と似たものを求められたのだ。

しかし、結果は厳しいものとなった。

2部昇格を勝ち取ったメンバーと、昇格後加わったメンバーの亀裂は大きく、試合前にキャプテンのパク・チソンがロッカールームからピッチに出ていく通路で孤立する映像(チームメイトがついてこない)も、韓国のネット上で拡散されたりもした。

パク自身も10月から欠場が目立ち始め、11月24日に自らを招き入れたマーク・ヒューズ監督が更迭されるとより立場が厳しくなった。新任のハリー・レドナップ監督は「キャプテンを誰にするかまだ決めていない」と発言。出場メンバーも2部時代からの選手を中心にする方針を取った。

チームは12月15日の第17節にしてリーグ戦初勝利。この時パクは3試合連続でエントリー外とあっては、挽回も難しかった。

2013年3月、当時イングランドでプレーした吉田麻也と競り合うQPR朴智星
2013年3月、当時イングランドでプレーした吉田麻也と競り合うQPR朴智星写真:ロイター/アフロ

結局チームは1シーズンで2部に降格。降格決定後の5月21日にパクに替わって主将となったクリント・ヒルが「ビッグクラブ出身者に大きく失望した」とまで発言。韓国メディアはこれを「パクへの直撃弾」とこぞって報じた。

QPRでの時間はこの年限りで終わった。翌2013-14シーズンはオランダのPSVにレンタル移籍し、そのままQPRには戻らず引退。古キズであるヒザの具合が思わしくないことが理由だった。

それでも、指導者キャリアのスタートの地がQPRとなった理由は…韓国のスポーツメディア「スポータルコリア」のサッカー担当キム・ソンジン記者はこう言う。

「当時のレドナップ監督との関係は良くなかったとされていますが、クラブとは良好な関係だったことの証ですよ。現役時代の晩年も快くオランダのPSVにレンタルに送り出しています。クラブのオーナーでもあるマレーシア人のトニー・フェルナンデス氏の存在が大きい。氏は数ヶ月前にもSNSでパクとの写真をアップしています」

そして、決定的な理由がもう一つ。

「パクは引退後(QPRのホームタウン)ロンドンで生活していますから。確かに韓国では『指導者のスタートはマンUじゃないんだ』という点は意外に受け止められました。しかし、わざわざロンドンからマンチェスターまで通うこともなかったのでしょう。良好な関係にあるクラブが近くにある。よい話だと思います」(キム記者)

本人はどちらかというと、引退後のキャリア設定についてはのんびりしていた印象だ。マンU時代から父には「早く指導者研修を始めろ」と言われていたそうだが、2014年に引退後は休息する時間をしっかりと取った。2018年秋に本人にインタビューしたが近況を聞くと「うーん、ロンドンで子どもを育てています」と話していた。

それでも若年層に関与することへの関心はうかがわせていた。自叙伝には「将来の夢は週末ごとに自分の子どもが応援するKリーグチームのサポーター席に行くこと」と記した。韓国では郷里水原にて自らの名を冠したサッカースクールを運営している。

さらには今回の就任に際し「欧州と韓国のクラブシステムの差に問題意識を感じてきた」と話している。それはユース世代からの育成を指していると思われる。パクは就任の背景についてさらに「トップチームにも関わるクリス・ラムジー氏がU-16も指導するという点に関心を覚えた」という。

引退後7年めにして、いよいよ「本格始動」の感もある韓国のレジェンド。韓国メディアでは早くも「欧州クラブの監督就任」への期待が飛び出しているが、果たしてどんな道を歩むだろうか。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。フォローお願いします。https://follow.yahoo.co.jp/themes/08ed3ae29cae0d085319/

吉崎エイジーニョの最近の記事