【慰安婦運動内紛】発端の会見で元慰安婦が語ったこと。不満、そして「日韓は隣国。若者の交流を」【全文】

元慰安婦の李容洙さん。写真は2019年の別の弁論時のもの。(写真:ロイター/アフロ)

5月7日の”暴露”から、連日韓国メディアで大きく報じられている。

韓国・大邸で行われた元慰安婦・李容洙(イ・ヨンス/91歳)さんの告発に始まる、一連の「慰安婦運動」スキャンダルだ。韓国国内最大の慰安婦運動市民団体「正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)」の代表だった尹美香(ユン・ミヒャン)氏が職を辞し、4月15日の国会選挙に出馬。革新系与党の比例代表で当選すると、30年間尹氏と活動をともにしてきた李氏が異議を唱えた。主旨はこういったところだ。

「慰安婦問題が解決していないのに国会議員になるべきではない」

「金銭的な問題もある。騙されてきたのを黙っていたが、堪忍袋の緒が切れた」

「若者をデモに駆り出すのはやめよ。ならば歴史教育館を造って日韓両国の若者が学ぶべき」

ここから一ヶ月近く経った6月3日も新たなスキャンダルが噴出し続け、関連の話題が国内最大のポータルサイト「NAVER」のリアルタイム検索で一位になった。予想外の反響、という見方もできる。

韓国では社会問題への国内関心度が「デモの規模」で計れる部分もある。これまで「慰安婦問題」は「少数が強く反応」という印象は否めなかった。慰安婦問題関連デモは最高潮時に2万人規模(こちらは主催者発表)。いっぽう2005年の「BSE(狂牛病)問題」では最高潮時に8万人(警察側発表)、2017年の「朴槿恵政権打倒」では42万9000人規模(同)だった。

ところが今回はこういった点が大きな関心を集めている。

元慰安婦が30年の活動での鬱憤を吐露した点。

これによって国会議員に当選したての元支援団体トップ(尹美香=ユン・ミヒャン氏)の金銭スキャンダルが次々と指摘されている点。

尹氏ほか革新系与党の議員14人が「保守メディアと未来統合党(保守系野党)など親日勢力の謀略劇」と主張。

これに対してまた保守政党、メディアから「親日派の対立構図を使うな」「カネの話は別」と反発が起きていること。

先の国会選挙で圧勝した「文在寅陣営」に風穴が空くのか。

すべては李容洙さんの言葉から始まっている。発端となった5月7日の会見で、いったい本人が何を話したのか。そもそものこの内紛問題のスタートは何なのか。改めて会見全文を。問題を論じるための「一次資料」としてぜひ。

李容洙(イ・ヨンス)1928年12月13日生まれ。91歳。韓国大邱広域市在住。社会運動家、人権運動家。2017年にトランプ大統領と面会。運動の象徴的存在でもある。1993年に慰安婦被害者として名乗り出た。これまで「16歳の頃(1944年)に台湾に強制連行され慰安婦となることを強いられた」と証言している。また近年のインタビューでは「16歳の時、日本軍の小屋に入ることを拒否していたところ殴られ、半殺しの状態になった」「そこを”ハセガワ”という21歳の将校に助けてもらった」「17歳の時ハヤカワという軍人にヤスハラ トシコの日本名をつけられた」とも。

活動への労いなし

(以下、出来る限り原文を生かしつつ、言葉を補完しながら訳します)

私は1992年から尹美香さんに(私も慰安婦であったという被害事実を)申告し、今日に至ります。(1992年に)挺身隊対策協議会博物館を建てる時(タレントの)パク・キョンリムと講義もしたんです。(ある時)挺身隊対策委員会の事務所に行くと、博物館(正式名称「戦争と女性の人権博物館」)になるという話でした。その時の私が話したことは「(私を)代表としないでほしい。恥ずかしい 」というものでしたが、それでも代表(のような)待遇はしてくれなければならないでしょう。しかし、そんなことは一度もありませんでした。

博物館が建てられた頃、私はアメリカにしょっちゅう通いました。120日決議案(下院の従軍慰安婦決議案)を通過させようと、ワシントンにも通ったが、誰も、お金は一銭も面倒を見てくれる人はいません。私は1992年度から飛行機に110回乗りました。米国に住んでいる同胞の皆さんが十匙一飯(協力)してくれた時も、ありがたく、申し訳ない感情でした。それでも、決議案通過させたことが、どのくらい嬉しかったでしょうか。しかし、おばあさんがそうして(米国で活動して)もひとつの(韓国の団体からは)歓迎もありませんでした。

尹美香(ユン・ミヒャン)1964年10月23日生まれ。 55歳。元正義連代表。現韓国国会議員。韓神大学在籍時に慰安婦問題に強い関心を持ち、市民団体の活動に参加。92年の監査役を皮切りに事務局長、事務総長を歴任。08年から旧「挺対協」のトップに就任した。毎週水曜日に日本大使館前で行われる抗議活動を展開するなど、慰安婦問題をリード。また国連に慰安婦問題を訴えたり、2015年の日本政府が拠出した和解金を慰安婦に受け取ったりしないよう説得するなど、海外でも活発に活動してきた。今回の内紛騒動では「関連施設の私用および金銭流用」「娘の米国留学資金疑惑」などが指摘されている

”挺身隊”と”慰安婦”。用語の混在も日本が解決できない理由のひとつ

それだけではありません。この(慰安婦支援)団体(の趣旨)は「挺身隊おばあさんとともにある市民の会」です。挺身隊というのは工場に行って来たおばあちゃんのことです。(団体の名称を)工場に行って来たおばあちゃんとしながら、慰安婦まで“売って”きたのではありませんか。私は慰安婦の活動をしてきましたが、今は(挺身隊の活動の一環に)入っています。日本がこれを区分しますか? これ(この団体の支援対象)は挺身隊として工場に行って来たおばあちゃんでもなく、慰安婦でもないんです。なぜこれをはっきりしないのですか? これを確かに区分した場合に、日本が解決することができるのです。これを確かに区分しないから、日本も右往左往するんです。このようなことにも責任があります。

挺対協と正義連  挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は、元々複数存在した慰安婦問題の支援団体のうち最大規模だった。2015年の慰安婦問題日韓合意の際、これに反対し、日本側が拠出する「10億円(韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が拠出)」を受け取らない運動のために各団体が合流。正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)と名称を変更した。

日本からの「10億円」。被害者への伝達方法に対する不満

2015年韓日協定(慰安婦問題日韓合意)の時のことです。10億円が日本から入ることは尹美香代表だけが知っていました。その後の、外交通商部(韓国外務省の対応)にも罪があります。被害者にも知らせないといけないでしょう。私が知っていたら(お金を)送り返していたはずなのに、団体の代表にだけ話をした。私は知りませんでした。

(2015年12月)28日に(情報が)公開された時に私はソウルにいました。挺身隊対策協議会の休憩所というところにいて、(情報が)公開される頃に外交通商部(省)長官ユン・ビョンセではなく次長だったでしょうか、その方が休憩所に来ました。私は胸ぐらを掴んでしまいそうでした。あなたたちは知っていたのではないか? 28日以前にもここに来ていたではないかと。10億円が入ってきたのでしょうが、知りませんでした。

私は「ナヌムの家(元慰安婦関連施設)」にもよく行きました。そこにユンという苗字の私と同い年のおばあちゃんがいるのですが、朝、食事しようと部屋に入ると「ちょっと来て」と言うのです。10億円が入って来てしばらくした時です。私に(対して)「私はがんが2箇所ある。肺がん、子宮がん。私はその10億円のうち、1億ウォンをもらわないといけない。息子にあげないと」(先が長くはないだろうからせめて子どもにあげたい)と言って泣くのです。「ならば(自分で)使えば?」と言うと、「自分では使えない」と。その後も「ナヌムの家」の所長は、この話(10億円の使い道)をしてくれませんでした。私はお金が、10億円がいつ入ってきたのか分かりません。

2015年の日韓合意後、年が明けて2016年1月上旬のデモ(水曜集会ではない)の様子。ソウル市内にて。筆者撮影
2015年の日韓合意後、年が明けて2016年1月上旬のデモ(水曜集会ではない)の様子。ソウル市内にて。筆者撮影

その他、細かい資金の用途への不信

おばあさんたちは自分の気持ちをもって(活動に)取り組んできたが、受け取ったものはありません。心ない人たちに利用されたと思っています。(10億円が)入ってくるということを知っておくべきでしょう。入ってくるということを知っていれば、返そうという話になるのです。そこで騙されました。このような状態なのです。些細な話で見逃してきたものも多いです。特にデモする時のことです。学生は遠くから来るじゃないですか。その十匙一飯(集めた小さな)のお金を団体は受け取ります。そのお金をもらったのならば、学生たちに食事を食べさせたらいいのに。私はこのことが、水曜日に(集会)に行く際に一番心が痛むものでした。

自分の「成果」が認められない

このように騙され、そしてまた騙されて生きながらも、私はそれでも「女性の人権活動家」としての誇りがありました。勉強をしてこなかった代わりに、見聞きして経験したことで...。これが私の哲学でした。私が大邱のホン・トンニュル総長の教育機関を出た時、その年の5月30日に名誉哲学博士をもらいました。私が今まで見たり聞いたりしていた(ものによる)、これがまさに取得した哲学博士ということを感じました。2018年か、2019年なのか分かりませんが、11月23日に全世界50カ国で「ウーマン(woman)」が選出されました。2000人の名簿のなかで、大韓民国からは李容洙が入りました。これがドキュメンタリーになったそうです。ドイツ、ベトナム、フランスの監督や韓国の監督です。これは誇らしいことではないですか。(しかし)一度も報道されていません。どれだけ立派なことですか。私は学べなかった無知の人なのに... 。

尹美香氏は慰安婦問題を解決してから別の場所に行くべき

30年前に私の(慰安婦の被害者だったという)申告を尹美香が受け取りました。30年を彼女とともに活動してきているが、(慰安婦問題への日本からの”謝罪”と”補償”を受け取るという)問題を解決すべきじゃないか。なぜ解決しないのですか。解決もせずに国会議員だか、長官だか、そういう場所に行く尹美香のことはよく分かりません。挺身隊対策協議会で一緒に問題を解決しようとしていた尹美香はその仕事をしないといけないと思います。今日(5月7日)の朝に(尹美香氏から)電話がかかってきました。「おばあちゃん、(自分が国会議員になって)これを解決しようとするんですよ」と言って。私は「国会議員尹美香は知らない。挺対協尹美香だけを知っている。なぜ挺身隊が慰安婦(の問題処理を)をするのか(※そもそもの用語の混在が解決されていないという指摘)」と答えました。

また、他の人から(正義連)理事長(イ・ナヨン新任理事長)が決まったとの電話が来ました。私はそのような人は分からない、と答えました。これは私が間違っているのですか? (元々団体トップだった尹美香氏は)解決しようとしたのなら、した後で(別の場所に)行かなければならないでしょう。私利私欲に夢中になり慰安婦問題の解決はなし。次に、どこか厳しい場所(国会)に行って、「今すぐに解決しようとする 」という。話になりますか? このような人が国会議員でしょうか。だめです。慰安婦問題の解決が必要です。国会議員はできません。

私に出会い、ありがたいことに、「女性活動家」になった人もいます。いいことですし、ありがたいことでしょう。しかし、尹美香という人は私に、「おばあちゃんは生きている(からいい)じゃないですか」と言いました。ある日、(私から)「なぜ、何のために、おばあちゃんたちの面倒ばかりを見るのか」と尋ねたんです。死んだおばあちゃんというのは、ただそれだけなの? 生きている時にやってあげるのが、人間であって、死んだ後に何をしてもらえる。(これ以降)そんな話(生きているだけましという話)はしないように言いました。

とにかく、このような問題(慰安婦問題)を解決すると言っておきながら、しないのかと尋ねたところ、「今解決しているところだ」と言います。私は尹美香が大統領になったとしても、そんなことは気にもしません。知りません。何から何まで共にやってきた人が、一緒に解決しなければならないと話しました。

毎週水曜日の定例デモへの疑問。もう終わらせたい

私の一番胸が痛むのが、水曜日の暑い日にも(学生が)両親からわずかながらに受け取ったお金を持ち出して、募金に協力することでした。私が一番胸を痛めているのです。私はそれを見て「これを(募金として)もらわないといけないの?」と言ったことがあるのですが、団体の人々はそのお金を善意だといって受け取っていました。あんまりだと思いました。

水曜日に学生が集会に出てくると、勉強ができません。私の考えです。私の覚悟です。私は水曜デモを終わらせようとしています。このために学生たちが心に大きな傷を負っていると思います。このデモを終え、日本、韓国間の若い人たちが往来しながら親しく過ごし、私への謝罪・賠償は(たとえ)少なくとも、百年でも千年でも(長く)謝罪・賠償を受けていかなければなりません。

2015年の日韓合意後、抗議デモを待機する若者たち。2016年1月、ソウルにて。筆者撮影
2015年の日韓合意後、抗議デモを待機する若者たち。2016年1月、ソウルにて。筆者撮影

「私が現状の慰安婦運動を締めくくる」歴史の教育施設設立を希望

私は年齢が高く、今、気力がありません。私はやるべきことはしました。始まりは金学順(キム・ハクスン=1991年に最初に自らが慰安婦だったと名乗り出た。1997年に死去)さんだったんです。最後は礼です。堂々とした被害者、神風の被害者李容洙が最後にやる(べき)ことです。被害者、堂々たる特攻隊被害者、神風の被害者李容洙の最後の仕事です。

大邱に歴史館があります。ここもまた、挺身隊おばあさんと一緒に行動する市民の集まりです。李容洙は挺身隊なのか、慰安婦なのか? 堂々と慰安婦にとして名乗り出て戦いながら、なぜ「挺身隊」に属しているのか。このような話を何度も聞きました。それでも(元々は)何を言っているのか分かりませんでした。また、ソウルでもそうでした(活動の名称が混在していた)。挺身隊対策協議会、挺身隊協議会です。慰安婦ではありません。こう言いながらも、私はあのように(前述の通り)米国を、日本を、世界を回りました。この挺身隊市民の会からは、私一人(だけ)が行けない(行くべきではない)じゃないですか。(もっと多くの)人を連れて行くべきなのに、私は何とか(同行する人を)見つけて一緒に行きました。

私の覚悟は……挺身隊のおばあさんたちとともに運営する歴史館、その人はすべて横領を犯して出ていきました…(ここは建物が古く)雨漏りもします。デモもやめて、(新たに)教育施設を建てます。堂々たる教育を行い、正しい歴史教育を行い、両国間の人たちが解決させるためには、教育施設を建ててこれを大きくして、真の教育、適切な教育を行うことでしょう。これに関わる(べき)人たちが(参加する)、謝罪と賠償を引き出すためのデモはしたくありません。

なぜデモをして、なぜ大切な人たちが苦労するのですか。(若い学生たちは学校で)勉強をしないといけないでしょう。勉強をすべき時間には勉強をしないといけません。デモをしてお金(募金)をもらって、いったい何をするのですか? お金は何一つ使えることはありません。そんなお金を集めずに教育施設に来て、(各自が)少しばかりのお金(授業料)を払って、教授も先生もボランティア活動をしている人たちを招いてやるべきだと思います。私は大邸の歴史館をそうやって作ろうとしています。そうするためにもデモはしません。

日韓両国の若者が交流しつつ解決すべき

日本と韓国は隣国(日本、韓国の順序はママ)です。若い人たちは、お互いに活発に過ごさなければなりません。歴史問題は、そのように解決しなければなりません。皆さんは違いますか? そうしなければなりません。両国間の若い人が親しく過ごさなければなりません。謝罪・賠償は正しい歴史を知っている人が解決する(べき)役割でしょう。私はそのような覚悟をしました。だから(今は)心が楽です。この慰安婦問題は必ず、挺身隊対策協議会代表だった尹美香氏が解決しなければなりません。国会議員はできません。この問題を解決する必要があります。私が間違っていますか。若い人たちが行き来しながら会話をしてこそ問題が解決されます。

私は無知ですが、百回考えても、そうしてこそ問題が解決されます。念のため申し上げますと金学順が(慰安婦問題解決運動を)開始し、李容洙が締めくくります。今でも尹美香さんが一緒に問題を解決しようと来たのなら、一緒に活動します。しかし、国会議員はだめです。この問題を解決する前はだめです。

「誕生会」で集めたお金の用途、運動関連書籍での誤り

私はすごく汚れていました。それだけ(ここまでの話だけ)ではありません。ある人は大金をもらい……ホテルで(私の)誕生日のお祝いをしたが、その時に集まったお祝い金を、「挺身隊と一緒に(活動)するおばあちゃん市民の会」の歴史館館長、事務局長、代表という人(たち)が、東ティモールに1000万ウォンをあげたそうです。おばあちゃんたちに使わなければならないでしょう! 私を通じて集まったお金なのに。私の誕生日に集まったお金なのに、なぜ自分たちで勝手に(流用)するのですか? それでも黙っていました。今はもう騙されることはないでしょう。騙される気力もありません。

私は鏡を見て話します。ヨンス、あなたは立派だと。私はあまりに多く被害に遭ってきました。30年間ずっとそうなのだったら、「たくさん」と言っていいでしょう。それでも口にはしてきませんでした。(しかし)今、カメラの前で私は訴えます。

1993年から(元慰安婦関連の)本が出版されています。挺身隊対策協議会からです。それを6500ウォンで売ろうと。そこに出てきた証言は間違っています。私はそう言いました。なぜ売るのかと。

騙され続けた自分自身を不憫に思う

皆さん、繰り返しになりますが(私は)騙されるだけ騙され、利用されるだけ利用されました。今や気力のない状態ですが、それでも今日は薬をいくつか飲んで、倒れないようにしてきました。私が倒れたところで誰の知ったところですか? こんな鬱屈とした気持ち、悔しさを誰が分かってくれますか? 分からないでしょう。私は女性として、体ひとつで死に物狂いで生きてきたのに、なぜこんなに悲しい思いをしなければならないのですか? なぜこんなに認められないのですか? 堂々とした慰安婦の被害者なのに、なぜ挺身隊として売られなければならないのですか。明確な証拠はないでしょう。私はなぜ泣かなければならないのですか。私の立場が、自分自身があまりにもかわいそうです(了)。

この話を皮切りに内紛騒動が勃発している。今後も「尹美香氏の本件会見」「李容洙さんの2度めの会見」を訳して紹介していく。