【コラム】日韓五輪男子サッカーの「24年」と「32年」。こちらばかり努力してると思うべからず。

直近で”五輪世代”の日韓戦が実現した2018年8月のアジアカップ。今回は実現せず(写真:ロイター/アフロ)

ああ、日本も期待通りに戦っていれば、昨晩まで五輪代表の話題で盛り上がれていたんだな。そんなことを思う。

26日夜、東京五輪アジア最終予選を兼ねたAFCのU-23選手権の決勝が行われた。

韓国1-0サウジアラビア。

すでに本選出場権を手にした両国が対戦した結果だ。韓国はこの優勝で88年ソウル五輪以来9大会連続の本大会出場に華を添えた。じつに32年に渡り、この大会での世界への挑戦権を保っていることになる。

いっぽう日本は96年アトランタ大会以来、24年間これを維持する。

五輪でのアジアからの出場枠は3もしくは4の時期が長い。そのなかで東アジアの2か国が四半世紀に渡り一度も出場権を失わない、という点は偉大だし、特異でもある。ここまで長くなると、「その座を失う恐怖」とも戦わなければならない。

今回、日本側にそれを想像させる事態が起きた。大会未勝利でのグループリーグ敗退だ。それゆえ監督への批判も手厳しい。

いっぽう、久々に日韓で大きな差がつく事態にもなった。なんだかんだで両国は、W杯でも五輪でも「少しだけ韓国が上回る成績を残してきた」というところだ。五輪に関して言えば、両国同時出場を果たした大会でのベスト8進出(グループリーグ突破)は韓国が4回で日本が2回となっている。

今回のタイでの日本については、「海外組がいなかった」「本大会では別のチームになる」というエクスキューズも可能だ。

いっぽう今回の最終予選に際し、韓国が招集レターを送った欧州組は「3」だ(実際に来た選手は「1」)。かのU-18W杯MVPイ・ガンイン(バレンシア/スペイン)も来なかった。

だからといって「日本のほうが若い欧州組が多い」「有望」という話ではない。

今回はその“逆の話”をひとつ。別に韓国を褒め称えよう、という話ではない、事実の再発見なのであしからず。

”五輪世代の大学生の数”の推移

それが何なのかというと「国内組の底上げ」だ。具体的には「五輪代表での大学生の数」の推移だ。

これは世界的に見ても日本と韓国のみが抱えてきた課題だ。世界のトップでは10代後半から20代前半でもうすでに「完成品」として活躍するプレーヤーも多い。その世代にアマチュアたる大学生としてプレーしているのでは、とうていそのレベルには追いつけないのだと。なかでも韓国では80年代にドイツで活躍したチャ・ボングン氏のエピソードが有名だ。現地で「高麗大出身」というと本当に驚かれたのだという。おまえの国では、サッカーでプロの道を選んだ者が大学に行くのかと。筆者自身、97年のソウル留学時には「韓国代表は、学歴だけなら世界一」という冗談をよく耳にした。

韓国がこの点で大きな問題意識を持った契機は、日韓戦にもあるはずだ。

99年9月。トルシエの率いるチームは国立競技場で韓国を4-1の大差で下した。日本の得点者は福田健二、平瀬智行2、遠藤保仁。99ナイジェリアワールドユース世代が加わり、唯一の海外組だった中田英寿も加わった。一方、この時A代表を含めると25年ぶりに日本に4点を決められた韓国のチーム構成はどうだったか。

当時の朝日新聞がこんな内容を掲載している。

●大学生中心

 22人すべての選手がプロリーグでプレーする日本に対し、韓国は高卒後、すぐにプロのKリーグ入りした20歳のFW李東国以外の19人全員が大学生選手。韓国では強化システムとして大学サッカー部が位置づけられているため、年齢制限のある五輪代表の場合、学生中心の編成となる。

出典:asahi.com

このときは「プロ対アマチュア」という状況だったのだ。日本は93年のJリーグ開幕を機にプロチームがより選手を受け入れる基盤が出来上がっていた。現に日本も92年バルセロナ五輪予選時には数名を除いてすべて大学選手だった。東海大の澤登正朗、順天堂大の名波浩らが中盤で幅を利かせていた。

時が過ぎ、2020年のU-23選手権での韓国代表の大学生の数は「ゼロ」だ。その間何があったのか。

96年アトランタ五輪以降の両国本選エントリーのなかの「大学生の数」を調べた。カッコの中は参考資料として海外組の数も記した(韓国は欧州組以外の海外組を含む)。

日韓五輪代表の”大学生数”の推移。筆者作成
日韓五輪代表の”大学生数”の推移。筆者作成

04年のアテネ大会時の数字にご注目を。大きな変化が起きている。

6から0へ。韓国で何があったのか

そこまで6人いた大学生がゼロになったのだ。

背景は01年を最後にKリーグのドラフト制度が廃止になったことにある。すると若い選手がこういう選択を行うようになった。

「プロに行き、18、19歳で実戦経験を積めない事態を避ける。ならば大学でしっかりと試合に出て、その後中退してプロチームに行く」

後にJリーグの仙台や磐田でプレーをするCBチョ・ビョングもこの道を選んだ。名門の延世大学を中退する際には大学側から猛反対があったのだという。韓国では一般的に「中退者もその学校の派閥」とみなされるため、日本よりもこの選択がやりやすい背景がある。02年W杯で活躍したイ・チョンスも大会後に高麗大から蔚山現代に進んだが、中退後も高麗大関係者として写真に収まっている絵を見たことがある。アメリカスポーツ型の文化である「ドラフト制」から自由獲得への変換の時期、「過渡期のやり方」が成果を見せたのだ。アテネでは日本はグループリーグ敗退だったが、韓国はベスト8進出を果たした。

いっぽう04年以降も「ほぼゼロ」という状態を保っている。ここにはKリーグのユースチームの存在も寄与している。

03年に国内では初めてポハンスティーラースがユースチーム制度を導入した。以降、09年にはすべてのチームが保有することになる。ここでも「過渡期のやり方」が功を奏する。

ファン・ヒチャン(ザルツブルグ)。Kリーグのユースチームが生んだ最高傑作のひとり
ファン・ヒチャン(ザルツブルグ)。Kリーグのユースチームが生んだ最高傑作のひとり

地域の名門校を「ユースチーム化」する。

ポハンは地元の名門「ポハン工業」にプロの指導者を派遣。クラブのインフラ使用を許可し、ユースチームとして強化した。後に南野拓実とザルツブルグでチームメイトになるファン・ヒチャンもここから羽ばたいた。同様にチョンナム・ドラゴンズは地元の「クァンヤン工業」をユースチーム化。ユース初の欧州組、チ・ドンウォン(現マインツ/ドイツ)を生み出した。スーウォン・サムスンはホームタウン内にメタン高サッカー部を新設した。

クラブとすればすぐに収益の出ない育成部門のコスト負担を減らすメリットがあった。

FCソウルユース/オサン高の練習風景。筆者撮影
FCソウルユース/オサン高の練習風景。筆者撮影

いっぽうで摩擦もあった。FCソウルは当初、市内の名門トンブク高をユース化していたが、OBなどから反発が出た。大会に「FCソウルユース・トンブク高」として参加することもあり、やはり自前の名前は残してほしいと。するとソウルは市内のオサン高を傘下とし、現在はOBのチャ・ドゥリが監督として指導に当たっている。

これは五輪世代の強化にしっかりと結びついている。2018年9月に韓国の五輪代表がシリアと親善試合を組んだ際、すでに26人の招集メンバーのうち14名がKリーグユース出身だったのだ。

韓国は”過渡期の政策”をうまくやった

韓国にはない日本の優れたシステムとして「特別指定選手」があるが、韓国も同世代の実戦経験積み重ねのために手を打った。2013年から「Kリーグでの23歳以下出場義務規定」を設けたのだ。試合のエントリーメンバーのうち、2人を23歳以下にせねばならず、1人を先発出場させなければならない。Kリーグ2部に関しては同ルールを「22歳以下」に設定し、若手への出場機会を増やす努力をしてきた。確かに「大学中退」が多発するというのは問題だという面があるだろうが……。

日本からこういった点について何を観るべきか。こちらは努力の結果、「欧州組が多くなった」というのは大いなる成果だ。Jリーグ発足とともに一斉にアカデミー部門の保有を義務付け、一気に変革を行った結果でもある。でもこれでいい、ということはない。周囲の国だって努力して、変わる。

特に韓国は日本と共通の問題に関して、違ったアプローチで問題を解決する。日本は93年のJリーグ開幕により、劇的に五輪世代の状況も変えることに成功したが、韓国は「過渡期の政策」をうまく繋ぎ、結果を導き出している。

確かに現在の日本五輪代表の欧州組が総集結すれば「史上最強」と謳いたくなるだろう。ただ、こっちがやった、と思ってもあっちもやっているのだ。今後も「24年」の時を持続したいと思うなら、そのことを思い知るべし。さもなくば負けた意味すらなくなる。