【K-POP論】KARAハラさん追悼。韓国メディアが報じる彼女のたくさんの「明」の部分とともに。

2015年、韓国での楽曲「Cupid」のショーケースにて。@ソウル=筆者撮影

悲しい知らせについては、多くがその理由と背景を知りたがるものだ。なぜだ。どうしてそんなことになるのかと。

11月24日に訃報が報じられたク・ハラさんの件でもそうだ。SNSで攻撃を受けた件、元彼氏との裁判の件、支えてくれていた母を亡くしていた件、日本での状況の変化の件など。それらはもう、他の場所で多く報じられたのではないか。

ここでは別の話を。

少しでも美しく彼女を見送りたい。

韓国メディアがハラさんの歩みをどう評しているのか。

彼女が活動したグループ、KARA。自国では「韓国でも人気があるが、日本でより多くの人気を得ている」というイメージを持たれてきたのは確かだ。

いっぽうで今回の訃報に際し、韓国で改めて彼女の活躍が評価されている。

韓国で彼女がどう見られているのか。メディアの記事から抜粋、翻訳して紹介する。

中央日報「気の利いたセンスを披露」

中央日報は、KARAへの合流過程、活躍とともに「タレントとしてのセンス」を詳しく伝えている。韓国のテレビ番組で短距離走を走り、思いっきりずっこけるハラさんの動画は日本でもよく鑑賞されたのではないか。

ク・ハラ(28)は、2008年ガールグループ'KARA'のメンバーとしてデビューした。 2007年4人組として活動を初めたグループは翌2008年、メンバーのキム・ソンヒが脱退。その後、ク・ハラはカン・ジヨンとともにグループに新たに合流し、KARAは5人組となった。「ロックユー」「ハニー」「ミスター」「ルパン」などのヒット曲でファン層を拡大。ハラは健康で若々しい魅力により大きくアピールした。

KARAは、日本でも大きな人気を享受した。 2010年、日本で最初のシングルアルバム「ミスター」発売初週でアジアグループ初のオリコンチャートトップ10入り。現地デビュー3ヶ月にして日本ゴールデンディスク新人賞を受賞した。 2013年に日本の最大公演会場である東京ドームで韓国ガールグループ初の単独コンサートを行った。

個人としてのハラを大衆に認識させたのは、(歌手活動以外の)活発なバラエティ番組での活動だった。折々の特集番組で多彩なスポーツを消化。気の利いたセンスを披露し「ク・ヌンガム(能感=バラエティのセンスがあるという意味)」という新造語を作り出した。 「クサイン・ボルト」「ク・ヨナ」などのニックネームもあった。また「青春不敗」「KARAベーカリー」「日夜」「土曜日がいい」などを通じ、自他共に認める「芸能ドル(バラドル)」となった。女優としては、2011年の漫画原作ドラマ「シティーハンター」で主演級としてデビュー。 2015年、初のソロミニアルバム「アロハラ(ALOHARA)」を発表した。

出典:「中央日報」11月24日
本稿写真、すべて2015年「Cupid」ショーケース時のもの。筆者撮影
本稿写真、すべて2015年「Cupid」ショーケース時のもの。筆者撮影

「ノーカットニュース」はKARAとして得た人気ぶりを、日韓の細かいデータとともに紹介している。冒頭の「もう一つの星」とは、f(x)のソルリさんに続く訃報を指していると思われる。

もう一つの星が消えた。ガールグループKARA出身の歌手で女優のク・ハラが24日亡くなった。享年28歳。

ク・ハラは、2008年7月に発売されKARAの最初のミニアルバムからグループ合流した。りんごヘアー(※トップ部分を右か左の一方向に結ぶスタイル。結んだ部分がりんごの“へた”に見えることから)とさわやかな外観、ユニークな名前でたちまち国民に自身の存在を認識させた。KARAのメンバーとして「ロックユー」(Rock U)、「プリティーガール」(Pretty Girl)、 「ハニー」(Honey)、「ミスター」 、「ワナ」(Wanna)、「トッカットゥン マウム(同じ心)」、「ルパン」(Lupin)、「ジャンピン」(Jumping)、「ステップ」(STEP)、「パンドラ」(PANDORA)、「淑女になれなくて」(Damaged Lady)、「マンマ・ミーア」、「キューピッド」など2015年のミニアルバム第7集までの7年間の活動を続けた。

KARAは、国内だけでなく日本でも高い人気を享受したグループである。 2010年8月に発売した「ミスター」は発売直後、オリコンデイリーチャート5位となった。その年の9月に出したベストアルバム「KARAベスト2007-2010」は、発売1週間で5万枚以上売れ、オリコンウィークリーチャート2位を記録した。 2011年に発表した3つめのシングル「ジェットコースターラブ」では韓国のガールグループ初の週間チャート1位となった。

2011年、日本のモバイルサイト「レコチョク」で調査した「日本人が最も愛する韓国の歌手」1位となったKARAは、海外アーティスト初のオリコン2部門同時1位、トリプルプラチナ(75万枚以上売れたシングル アルバム)、韓国の歌手として最短期間でのシングル100万枚突破など、複数の記録を塗り替えた。 2013年には韓国のガールズグループ初の東京ドームで単独コンサートを開催する底力を見せた。

2015年には初のソロミニアルバム「アロハラ」(Can You Feel It?)を出し、ラッパーのGIRIBOYがフィーチャリングしたタイトル曲「チョコチップクッキー」で活動した。ク・ハラはその後、Webムービー「足音」とドラマ「ジャグラーズ」のOSTも発表した。

出典:「ノーカットニュース」11月25日

KBS「KARAの救援投手」

地上波の公営放送「KBS」もニュースで訃報を知らせた。短い表現ながらも、「ク・ハラ」の名前の個性をしっかりと伝えている。

ク氏は2008年にガールズグループKARAの追加メンバーとしてデビューしました。

KARAにとってク・ハラはその名の通り救援投手のような存在でした(韓国語で”クハラ”は”救え”の意味)

「りんごヘアー」の17歳のク・ハラはシンドローム級の人気を得ました。

彼女の合流によって勢いに乗ったKARAは翌年「ハニー」で初の歌謡ランキング番組で1位を獲得。「ミスター」「ジャンピン」などを続けてヒットさせました。

出典:「KBS NEWS」11月25日
筆者撮影
筆者撮影

また、「クッキーニュース」は見出しでハラさんの歩みを称える記事を掲載した。彼女の優れた運動神経についても言及している。

「韓流2世代」導いたク・ハラ、安らげる場所に

彼女は2008年にグループKARAのメンバーとして芸能界にデビューした。一年前に4人組としてデビューしたKARAは初代メンバーキム・ソンヒが脱退。ハラとカン・ジヨンを新しいメンバーとして受け入れた。

デビュー当初、KARAは近い時期に活動していた「少女時代」「ワンダーガールス」に押され大きく注目されていなかった。KARAは自らを「生計型アイドル(生活を切り詰めている様子を公開するアイドル)」として売り出した。いっぽう、ハラ・ジヨンが加入以降に発表した「ロックユー」(Rock You)、「プリティーガール」(Pretty Girl)、「ミスター」(Mr.)などが流行。徐々に人気を築いていった。

ク・ハラは、当初は人形のような容貌で目を引いたが、優れた運動神経と強い勝負欲でさらに注目を浴びた。 SBSの「拳を握って少林寺」、KBS2「青春不敗」などのバラエティ番組で活躍し、韓国放送関係者の「ブルーチップ(優良株)」に浮上した。

日本での人気も爆発した。 2010年「ミスター」で日本に正式にデビューしたKARAは、発表するアルバムごとにオリコン週間チャート上位圏に入り、日本の年末の代表的音楽番組「紅白歌合戦」にも招待された。 2013年1月には韓国の女性歌手として初めて日本の東京ドーム単独公演も行った。

出典:「クッキーニュース」11月24日

日本でのク・ハラさんは「YouTube第一世代のアイコン」ではないか

韓国では2013年の東京ドームでの単独公演への称賛が多い。一方ハラさんの日本での歩みについては、こんなことを思う。

韓国では「韓流第2世代」という表現もあるが、日本にとってのク・ハラさんは「YouTube 第1世代のアイコン」ではないか。アメリカで始まった同プラットフォームが世界的シェアをぐっと高めたのが2010年だった。この年、ちょうどKARAが日本デビューし、日本でガールズグループのブームが起きた。KARAはその中心にいた。

そこまでネットの動画といえば「画質が悪いし、途切れるし、データ量を多く消費する」というイメージだった。そんななかでKARAは「ネットで観ない限り、情報が探せない」という状態にあった。何せアーカイブの多くは韓国にあるのだ。一方で、YouTubeを観さえすれば、動画を多く掘り起こせるという状態は日本での人気をより強固なものにした。

筆者撮影
筆者撮影

また、日本で放映されたドラマ「URAKARA」のなかでひとつ、鮮烈に記憶するハラさんのセリフがある。メンバーが本人役で出演。各回でメンバーそれぞれのキャラクターを生かしたストーリーが展開された。

ハラさんの回は「韓国に旅行に来た日本の自信過剰なプロゴルファーに、ハラさんがアタックする」というものだった。冴えない日本のプロゴルファー役が「なんで俺なんかに声をかけたんだ?」と聞くと、"ハラ"はこう答えた。

「だって、あなた一人で晩ご飯食べてたでしょ!」

今でこそ「ホンパプ」といって一人で夕食を食べる習慣が出てきた韓国だが、元来は「食事の時間こそ、みんなでワイワイやるもの」「そうしてこそおいしい」という考えが日本より強い。ドラマのセリフで、しかも本人役によるものだが、彼女のキャラクターがとてもよく感じられた。同時に、ああやって日本の地上波という大きなステージで、POPなかたちで韓国の文化を伝える手法は2010年当時ではエポックメイキングだった。

グループを2度ほど取材した機会もあるが、ご本人とは多くの言葉を交わすことができなかった。いっぽう、いちファンとしてソウルに観に行った2013年6月15日の韓国ファンミーティング(@サンミョン大学内ホール)では驚くべきシーンを目にした。

楽曲の途中でハラさんはステージから降りて客席に向かった。

席にいた韓国の女性のファンと肩を組んだのち、マイクを渡した。

なんとその女性ファンは、ハラさんと肩を組んだままひとフレーズをマイクを通して歌い上げたのだった。女性ファンと残り4人のメンバーの「合唱」というかたちになった。

ハラさんの優しく、遊び心があり、オープンな性格を垣間見た瞬間だった。

安らかに。そして美しいままの記憶で、永遠に。

筆者撮影
筆者撮影