【アジアカップ】日本と対戦するベトナム代表監督は韓国人。朴恒緒(パク・ハンソ)が”そこにいる理由”

ベトナム代表監督の朴恒緒。2017年9月に就任後、ベトナム国内で英雄となっている(写真:松尾/アフロスポーツ)

「変わったおっさんやな~」

というのが、第一印象だった。これからアジアカップで対戦する相手の監督に失礼な表現だが、まあ当時は内心そう思った。

朴恒緒(パク・ハンソ)が初めて言葉を発する姿を見たときの印象だ。今から16年も前の2002年10月10日、釜山で行われたアジア大会準決勝。彼が監督として率いた韓国U-23代表はイランに相手にスコアレスからPK戦にもつれこみ、3-5の敗退を喫した。

優勝した場合のみ、選手が徴兵免除の恩恵を得られた。そりゃもう、韓国メディアからの集中砲火を受けた。監督たる朴は直前に行われた02年W杯ではヒディンクの下でヘッドコーチを務めていた。メンバーだって、パク・チソン、イ・チョンスらW杯組がおり、オーバーエイジにGKのイ・ウンジェがいた。それがホーム開催の準決勝で負けるとは。02年W杯組は大会の結果で徴兵免除の恩恵を受けたが、メンバー漏れしていたイ・ドング、後にJリーグでプレーするチェ・ソング、チョ・ビョングらが免除の機会を逃したのだ。

試合後の会見で、朴が何を喋ったかもよくは覚えていない。

ただ、小柄で目つきの悪いおじさんは、記者会見ではろくに記者団と目を合わせなかった。しかも滑舌がとんでもなく悪く、何を喋ってるのかもはっきり聞き取れなかった。このことだけをよく覚えている。

ちょっと彼について調べてみると、1959年生まれ、現役時代は中学校からサッカーを始めた。キャリアハイではラッキー金星(現FCソウル)でキャプテンを務め、1985年には主将としてリーグ優勝に貢献。MFとしてリーグのベストイレブンにも選ばれた。日本との縁は唯一の代表Aキャップが1981年3月の日本との定期戦(@東京・国立競技場。日本0-1韓国。日本の監督は川淵三郎)だったということ。さらに父が日本への留学経験があることくらいだった。

インタビューで接した印象。「とんでもなく優しい人」。

いっぽう、このおじさんはとても優しい人でもあった。

03年の夏頃だったと思う。『週刊サッカーマガジン』だか、『Number』だったか、ヒディンクのチームのことを描くノンフィクションの機会を得た。いや、アン・ジョンファンのストーリーだったかもしれない。もう忘れた。いずれにせよ、 朴恒緒にインタビューをする機会を得た。

どこかから連絡先を聞き(まあ当時の韓国はいとも簡単に選手や指導者の連絡先が入手できたものだ)、今はほとんど見ないFAXで申請書を送った。

数時間後、筆者の携帯が鳴った。

+82。

韓国からの着信だった。

電話口からあの滑舌の悪い声が聞こえた。

「取材のスタートを1時間早められますか?」

かなり驚いた。わざわざ国際電話で、相手から先に取材の可否を折り返してきてくれる人なんて初めてだった。今でこそ「カカオトーク」ですぐに折り返しをくれるサッカー関係の取材相手もいるが、後にも先方から先に電話をもらったことはない。ファーストコンタクト後、こちらから数時間後に連絡して伺いを立てるのが通常だ。

インタビューでは初見の日本の記者にとんでもない「お土産」を持たせてくれた。ラウンド16のイタリア戦前のヒディンクとのやりとりだ。

「あの時、もう目的を果たした(ベスト16入り)を決めたチームは一旦緩んだ雰囲気にありました。試合当日ですらそうで。ただ、ヒディンクだけは勝負に徹していました。試合の日の午前にメモを渡してきて。PK戦に入った際のキッカーのプランでした。AとBのふたつが記されていた。その両方にアン・ジョンファンの名前があったんです」

当時はAとBが誰だったかまで詳細に話してくれた。もう忘れたが。いずれにせよ重要なことは、アン・ジョンファンの扱いだった。彼はあのイタリア戦で4分にPKを失敗している。その後、ほとんど何もしないままピッチを彷徨っていた。しかし117分に突如ゴールデンゴールを決める。それは、ヒディンクが試合前から「アン・ジョンファンは替えない。PK戦でのキッカーに必ず起用するから」という確固たるプランを持っていたから生まれたものでもあったのだ。

そんなこと、韓国記者でも知らない。今でもこのエピソードを知っていることは、韓国メディア相手に自慢できる。よくぞ初めて会った日本人にそんなことを話したもんだ。「変なおじさん」はちょっと違う一面を見せた。優しんだけど不器用。広い場所で多くを相手にコミュニケーションをとるのは上手くないが、チーム内での選手との関係は違った面を見せるんだろうな。そんなことを思った。

しかしその後、彼についてはあまり噂を聞かなくなった。

06年と07年にはKリーグの新進チーム・キョンナムFCの監督に就任。4位の好成績を挙げたがフロントと対立し退任。その後、チョンナムの監督時代には成績が振るわず、2012年から15年には軍隊チームでKリーグ1部所属の「尚州尚武(サンジュ・サンム)」の監督に。

そこではシーズン途中にして連盟側が「無条件で来季の2部降格」を通達してきたため、なんと残りのシーズンを試合放棄してしまうこともあった。当時はAFC(アジアサッカー連盟)がKリーグに対し「完全プロではない軍隊チームが1部にいるのはいかがなものか」と指摘していたそうだが。その他、軍隊チームの在任期間にはなんと試合中にベンチで居眠りする映像が中継で抜かれてしまうというバツの悪い出来事もあった。

2016年頃からさらに動きが報じられることはなかった。3部リーグの昌原(チャンウォン)市庁の監督を務めていたのだという。

きっとコーチ向きの人材なんだろうなと思っていた。ヒディンクの下では、「選手とのつなぎ役として大きな役割を果たした」とされている。「監督になれない」のではなく、最初から「コーチに向いている人材」というのは存在する。そんなことを思うくらいで、気にもかけていなかった。監督以外の指導者キャリアは大したもんだった。フィジカルコーチ、コーチとして96年までアニャンLG(現ソウル)で活動。その間、94年W杯韓国代表にもフィジカルコーチとして帯同した。その後、新設クラブのスーウォン・サムソンに移り、草創期の躍進に貢献した。こういった実績から02年W杯のヘッドコーチとなったのだ。

開かれたベトナムへの道。ある選手の移籍から始まる。

それが、まさかアジアカップで日本の前に立ちはだかる監督として再び現れるとは。

それもベトナム代表の監督として。2017年9月に就任後、翌年1月のAFCのU-23選手権で準優勝(同国がAFC主催大会で初の決勝進出/朴はU-23代表監督も兼任)。8月のアジア大会ベスト4。9月のAFFスズキカップ(「東南アジアカップ」)で10年ぶりの優勝の結果を残し、ベトナムではすでに英雄扱いされている。昨年1月のU-23選手権の帰り道には、中国からのチャーター機が準備されたという。

昨年のスズキカップ優勝で盛り上がるホーチミン市内。Ayako Endo提供
昨年のスズキカップ優勝で盛り上がるホーチミン市内。Ayako Endo提供

話は2016年に遡る。現ベトナム代表の背番号6ルアン・スアン・チュオンが発端だった。 今回のアジアカップでも1戦目と3戦目に先発出場。ラウンド16では延長戦から投入されたMFだ。

彼が2016年シーズンにKリーグのインチョン・ユナイテッドに入団したのだ。この移籍はベトナム国内でかなりの話題になった。しかしチュオンはリザーブリーグでは活躍したものの、トップチームでは4試合の出場に留まる。インチョンはこの年降格の危機にあり、アジア枠の選手を試す余地があまりなかった。翌年は同じKリーグのカンウォンにレンタル移籍したものの、シーズンを通じて出場機会はゼロ。失意のままにベトナムに帰国することになった。

ただし、ベトナムサッカー界と韓国の縁はここで切れることはなかった。2017年9月、ベトナムサッカー協会から、ルアン・スアン・チュオンの移籍を取り持った韓国の若手エージェントのイ・ドンジュン氏にこんな依頼が入ったという。

「代表監督をリストアップしてほしい」

Kリーグでのベトナム選手は出場機会に恵まれなかったが、その間のこのエージェントのケアが素晴らしかったという理由から出てきた話だという。韓国メディアでは「ベトナム側は2020年東京オリンピックの出場を目指しており、そのなかで韓国や日本の監督を望んだ」されている。ベトナム代表監督の前々任者は三浦俊也(=元コンサドーレ札幌などで監督)だった。東アジアの監督にフル代表から任せ、長期的な強化を図ろうという考えだ。

韓国のエージェントは朴恒緒の存在を思い出し、そのプロフィールを即座にまとめた。このときのベトナム側からのフィードバックを、「月刊朝鮮」はこう記している。

「全ては素晴らしい。でもなぜ、そんな彼が3部リーグで監督をしているのだ?」

 

エージェントは一瞬、答えに詰まったが、こう答えたという。

「故郷のチームだから」

事実に違いないが、こじつけでもあった。要は国内ビッグクラブでは監督として成功しきれず、そこにいたのだが。

ベトナムサッカー協会関係者は即座に韓国を訪れ、交渉に入った。朴自身も東南アジアに強い興味があったが、交渉のなかでこの点を伝えた。「今は昌原市庁の監督としての契約があるから、すぐには就任できないかもしれない」。この義理深さはむしろベトナム側に好印象を与えたのだという。

ベトナムサッカー改革のポイント。規律・食生活・そしてスキンシップ

 

では、朴はベトナムに渡って何をしたのか。

チームの戦い方は、5-4-1からカウンターを徹底するスタイルだ。相手の分析も丹念に行う。ただ、戦術を採り入れただけではチームの変わりようはない。それを選手にどう伝え、実践させていったのか。

規律を植え付けること。この点は当然考えた。朴は「東亜日報」の取材にこう答えている。

 

「食事の時間にスマホの持ち込みを禁止しました。ベトナムに来てみて、チーム内の一体感が少し不足しているように見えた。韓国だとトレーニングが終われば、キャプテンが『頑張ろう』という風に締めくくり、それぞれが自省の時間を持ったりするのですが……ここではみんなが『バイバイ』といってそれで終わる。ベトナムの選手たちには『俺たちはサッカーだけではなく、暮らしも共有しないといけない。そうであってこそ友人になり、愛着も生まれ、試合でもエネルギーになる』と伝えました。さらにメモに『食事の時にもスマホばかりを観てていいのか』と書いて、『みんなで会話しようと伝えました』。違反したら罰金だと」

いっぽうで、生活の”根本的な変革”にも取り組んだ。食生活についてだ。

「スタミナとフィジカルコンタクト。この点を考えました。ベトナムの選手たちは思ったよりも悪くはなかった。でも韓国よりは不足している。後半70分以降の体力を考えたらやはりふだんの栄養面から考え直さなくてはならなかった。だからフィジカルコーチに1ヶ月分の食事メニューを立ててほしいと頼みました。『そんなことを言われたのは初めてだ』という反応でしたよ。彼らはよくフォーと豚肉を揚げたものを食べている。それだけでは足りない。追加でサーモンのサラダ、ステーキ、さらにベトナム料理だけではなく、洋食も食べるように勧めた」(朴本人。同上)

韓国メディアはこの変化を「ベトナムサッカーのタンパク質革命」とも報じている。朴は海外遠征、合宿時のホテルのグレードアップなどベトナムサッカー協会側にリクエストしたが、費用などの問題で受け入れられない部分もあった。ただ食事だけはこだわったのだという。また選手の食への意識を変えるため、合宿時にはすべてのメニューについて栄養素を説明した。選手たちが食べたことがないものもあったため、これについても説明。すると「代表に来て食事がよくなるなんて!」と選手は喜び始めたのだという。

 

規律を与え、生活習慣を変える。最後はこれだ。

「スキンシップですよ。ロッカールームで選手を慰める方法にこれを使っています。意思疎通が簡単ではないぶん、これに合わせて簡単な英語で話をして」(同上)

ベトナムでの活動では、当然通訳がいるものの、選手たちと言葉は通じない。しかも朴は元々口ベタ。この点が逆に功を奏している。

日本戦の前日に。「相手の層の厚さはすごい。しかし我々は団結している」

迎える日本戦。朴は試合前日の会見でこう口にしている。

「日本とサウジアラビアのラウンド16の試合をスタジアムで見た。日本に驚いたのはウズベキスタン戦から選手を90%入れ替えたが、そこに出てきた選手たちがほぼ欧州の名門クラブ所属だということだ。層が厚く、能力と経験が素晴らしいと思った。専門家が見てもベトナムが勝つ可能性は低いと思う。でも我々は日本との”戦争”に勝つために、コーチングスタッフ・選手が団結している。恐れずに戦う。確かに選手時代、代表選手として一度だけプレーした試合の相手が日本だった。そういった韓国と日本の関係よりも、今はベトナム代表監督としての役割に焦点を合わせて戦っている。森保一監督との交流はない。アジア大会でベトナムと同じホテルだった、という程度。彼のことは日本の若い優秀な指導者だと思っている」

まあ、対戦相手の監督なんて、日本のテレビ中継でもサラッと映る程度だろう。テロップで軽く紹介されるだけで。ただ彼がそこにいるのはこういったことの証なのだ。

人の優しさなんて、ときに喧騒のなかでふっと吹き飛ばされることもある。そういうもんだろう。でもきっと、その優しさが合う場所というのはある。優しさにも、合う、合わないがある。

60歳にして、新たに合う場所を見つけた。彼がそこにいる理由だ。22時からの日本のテレビ中継にサラッとでも映っている事実についての。