Yahoo!ニュース

ひとり親だからこそ考える「いい夫婦の日」

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
夫婦は、自立した個人同士が前提であるべき(写真:アフロ)

今日は、11月22日。「いい夫婦の日」だ。

いい夫婦の日」サイトを見ると、「『ふたりの時間』を大切にする日」とある。まさに、夫婦のパートナーシップの大切さを振り返る日ということであろうか。

ただ、現在ひとり親としてパートナーのいない筆者としては若干心苦しい日でもある。まぁ同じような思いを抱えているひとり親もおそらく多いことと思う。筆者はひとり親になって6年以上が経過し、当時小1と未就学児2人を抱える状況から、いまでは中1、小4、小2へと成長し、子どもたちもひとり親世帯としての生活のほうがすっかり長くなってしまった。そんな子どもたちにとって母親が家にいない環境の中で「夫婦」が果たしてどういうものなのかあまり理解できないに違いない。子どもたちに「今日は『いい夫婦の日』だよ!」なんてあえて言わないが。

ひとり親としての生活は決して楽ではない。筆者自身は家事・子育てが好きだが、毎日というのは正直しんどい。いまこうして生きて来られているのも不思議なくらいだ。NPOの仕事をしていても、ひとり親という状況が理解されていないと思うことや実際に過去に社会的ないじめを受けてきた実態も事実としてはある。そんな状態を現時点で乗り越えてこられたのも自分のマインドがポジティブであったことが大きい。積極的にいろんな人たちとつながることができたことで、なんとかひとり親としてもやっていけるという自信も付いてきた。

ただ、自分が突然、病気になったり、事故にあったりして働けなくなったときのことを考えると、不安な面は決して少なくはない。それでもリスクを取ってダブルワークをしているひとり親も中にはいる。筆者の場合は、幸いにして実家の協力が得られ、現時点で子どもたちの母親(元妻)が近くに住んでいて子どもたちとも頻繁に会えている状況なので、現状として「夫婦」というものに縛られなくてもいい状況。だから、夫婦の存在というよりも、パートナーの存在を考えることのほうが多い。つまり、婚姻へのこだわりが薄くなったということだろう。

もちろん、社会的にはようやくLGBTの理解も進む中で、「夫婦」にとらわれない家族の関係性を築いていくことが必要なのだと思う。

こうした自分の立場を前提として、改めて夫婦について考えてみた。

前提は、自立(自律)した個人であること。

高度経済成長期に確立をした男女役割分業主義は、家族というものが先にあり、個人は後回しにされてしまった。だからこそ、日本国憲法で男女が法の下に平等と謳われても、それをある意味無視することができた。家族という中で、男性は仕事、女性は家庭という役割が決められているので、男性は女性に子育てや家事を丸投げし、反対に女性は男性に仕事(収入)を丸投げしてしまった。

しかし、女性も働き続けられる社会に向かう中で、お互いに「ないもの」を埋め合う関係を続けていて果たしていいのだろうか。

埋め合う関係のままではなく、これからは自立(自律)した個人と個人の関係の下に夫婦を築くべきだ。基本的には、仕事にしろ、家事にしろ、子育てにしろ、お互いが責任をもって共同でこなせる(シェアする)中で作り上げていくのがこれからの夫婦の関係であり、家族の関係となる。

仕事を辞めて子育てに従事したいと思う女性がいても当然いい。しかし、そこに「お互いがその状況に納得ができているかどうか」が重要だ。もちろん待機児童の問題などもあり、仕事を諦めざるを得ない女性がまだまだ多いのが実情。こうした様々な条件が重なって納得できないまま、仕事を辞めざるを得ずに子育てにも前向きに取り組めないで悩んでいる女性が多い。夫は仕事が夜遅くて帰ってこないので、自分の気持ちをきちんと吐露できずに、夫婦関係自体に不満を持つことになる。離婚動機の1位は男女ともに「性格の不一致」になるのも頷ける。

しかし、経済力がないことを理由に女性は離婚に踏み切れない。また、踏み切ったとしても、離婚という結果を急ぐばかりに、協議離婚で養育費などの大事なことがきちんと決められないまま、苦しい母子生活に陥ってしまっているケースも多々ある。母子家庭を積極的に雇用している企業も増えてはきたが、まだまだ全体から見れば少ない。仕事を探すのも一苦労だ。

一方で、依然として、女性に家庭に入ってもらいたいと思っている男性も多い(仕事が忙しくて家庭のことには関われないというのが一番の理由だろうが)。結果、家事や子育てを女性に頼らざるを得なくなり、男性の自立を阻害してしまっている。家庭のことで自立をするとは、家庭のことに責任を持つということにほかならない。結果として、子育てに無責任な体質になる。婚姻関係を結んでも3組に1組が離婚している状況だ。離婚すればその多くが母子世帯となるが、別れたらより一層子育てに責任を持たなくなるので、8割が養育費を支払わない状況が生まれてしまう。なかなか収入が増えない中で、なかには経済的な理由により払えないという場合もあるが、収入があるのに養育費を払っていないのは、子育てに対して自立していない証でもある。

保護者欄に書く名前は・・・

子どもが3人もいると学校の手紙が大量に配布されてくる。小中と学校が異なっても、きょうだいで3枚も同じ手紙をもらうこともある。父子家庭では父親が見たり書いたりするのは当然だが、その手紙を見ているのが大抵は母親ではないだろうか。

しかし、「保護者」の欄に記名しなければならない場合、果たしてどちらの名前を書くだろうか。母親が手紙を見ているにもかかわらず、保護者欄には父親の名前を書くという母親も多いはず。もちろん世帯主だからと言って、父親の名前を書いている場合もあるかもしれないが、母親が書く場合は母親の名前を書くべきではないだろうか。もし、いま「保護者会」なるものがあって夫婦のどちらが出席しなければならないと言われたときに、「母親である私が出席しなければならない」と母親であるあなたが思ったならば、是非保護者として自分の名前を書いたほうがいい。

夫婦関係はあくまでも対等であるべきだ。小さなことかもしれないが、母親が自分の名前を保護者欄に書くことが、夫婦お互いが自立するための一歩であり、これからの夫婦のカタチなのではないだろうか。

どんなに夫婦関係を努力してもうまくいかないことはある。筆者自身もそんな状況に陥った人間として思うのは、その努力に対して一生懸命取り組んだ結果であるならば、これ以上悔やんでもしょうがないということ。だからこそ、ひとり親になることで生じる社会的なリスクに対してしっかりとケアできる社会にしなければ、夫婦だったことを悔やむ人は後を絶たないし、これから「夫婦」になろうとする人たちも躊躇してしまうことになる。DVで苦しんでいる妻(夫の場合もあるが)に対するケアはさらに重要だ。

一度きりの人生。苦境の中でもポジティブに生き続けることで次につながる道筋がきちんと生まれる社会にしていきたい。そのためには「夫婦」のあり方を再構築する必要があるのではないか。

「いい夫婦の日」をひがむひとり親の独り言かもしれないが。

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。2003年3月日本大学大学院法学研究科修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者を経て、12年7月から2年間ファザーリング・ジャパン代表。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、内閣官房「「就学前のこどもの育ちに係る基本的な指針」に関する有識者懇談会」委員、厚生労働省「子どもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。3児のシングルファーザーで、小・中・高のPTA会長を経験し、現在は鴻巣市PTA連合会会長。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

吉田大樹の最近の記事