Yahoo!ニュース

[甲子園]勝敗の分水嶺 第12日 横綱・大阪桐蔭がうろたえた準々決勝以降では初のビッグプレーとは

楊順行スポーツライター
夏の甲子園で見る筆者6回目の三重殺。不慣れだからスコアブックも汚い(撮影/筆者)

 大阪桐蔭4対3と1点リードの7回裏、それは起きた。

 大阪桐蔭は無死一、二塁と、突き放す絶好のチャンス。西谷浩一監督は、大前圭右の打席でバントを選択した。試合は終盤。1点を追加すれば相手に重くのしかかる。だが相手も、それを十分承知しているから、一塁手賀谷勇斗の猛チャージでプレッシャーをかけるだろう。

 そこで、確実に二、三塁に進めるために桐蔭が仕掛けたのは、投球と同時に走者がスタートを切るバントエンドラン。ここまでは、いい。だが……大前のバントは、ピッチャー前への小飛球となった。

 仲井慎はその前、田井志門のバントを捕りそこねているが、もともとショートを守っているからフィールディングは折り紙付きだ。ダイレクトで捕球して、まず打者がアウト。さらにすかさず二塁に投じ、二塁走者の海老根優大が戻れずにアウト、さらにさらにボールは一塁に渡り、一塁走者の田井もアウト。流れを変えるビッグプレー、三重殺の成立だ。

 この回のチャンスを逃した桐蔭は、続く8回も1死二、三塁で無得点。まるでゴトリと音を立てたように、歯車が回ったのか。下関、9回の攻撃だ。

小兵力士が横綱に食い下がるように……

 赤瀬健心がヒットで出ると、3万4000人を飲み込んだスタンドに拍手が自然発生する。昨秋の神宮大会、そしてセンバツと圧倒的な力を見せて優勝した横綱・桐蔭に対し、1点差で懸命に食い下がる下関への肩入れだ。横綱を相手にした小兵力士が、土俵際でこらえる姿に相撲ファンが拍手するようなものか。

 さらに二番・松本竜之介も三遊間を破り一、二塁になると、音量はさらに増す。続く仲井はきれいに送りバントを決め、1死二、三塁。一打逆転のチャンスは、それこそ7回の桐蔭がつくりたかったかたちだろう。

 そして……ここで打席には、5回にタイムリーエラーを演じている四番・賀谷。それでも、「お前のところにチャンスで回す」と仲間から声をかけられ、気持ちを切り換えた。「どういうかたちでも、まず1点」と、3球目の甘い直球をたたきつけると、打球は中前へ抜ける。2人の走者がかえり、これが逆転の決勝打となった。

 もともと坂原秀尚監督は「弱者が強者に勝つ野球」を信条とする。大阪桐蔭を相手にしてもひるむことなく、食い下がった。

 その裏の桐蔭にすでに反発力はなく、三者凡退。3度目の春夏連覇という空前の記録には、届かなかった。西谷監督は「うまく勝ちに結びつけられなかったのは監督の責任。子どもたちはなにひとつ悪いことなく、最後の最後までやってくれた」とかばったが、星子天真主将はいう。

「お客さんの手拍子にのまれそうになった。投げていた2年生の前田には余裕がなかったんですが、声をかけられず、申し訳ない」

準々決勝以降では史上初めて

 それにしても……大会史上9度目というトリプルプレー。10年に一度あるかないかという計算だからレア度は高い。典型的なのは、たとえば無死一、二塁(または満塁)で攻撃側がヒットエンドランを仕掛け、内野への強いライナーで走者が戻れないというケース。今回の例も、これに近い。

 直近では2013年の愛工大名電(愛知)が達成しており、これは聖光学院(福島)が無死一、三塁から仕掛けたスリーバント・スクイズが投飛となり、投手から三塁手、さらに一塁手へと転送されたもの。ただし名電はこの試合、3対4で敗れている。ほかの7例をあげておくと、

1927年 早稲田実(東京)○5対4静岡中

1963年 海星(長崎)●1対7大宮(埼玉)

1966年 平安(現龍谷大平安・京都)○9対0花巻北(岩手)

1993年 松商学園(長野)●2対3長崎日大

1995年 柳川(福岡)○4対0享栄(愛知)

2001年 松山商(愛媛)○4対3智弁学園(奈良)

2011年 明豊(大分)●1対7関西(岡山)

 下関国際は白星につなげたが、三重殺を達成したからといって、必ずしも勝率はよくないようだ。また、過去の8例はいずれも3回戦以下のラウンドで、準々決勝での達成例は初めて。ちなみにセンバツでは、残念ながら詳しい記録が残っていない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事