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ヤクルトの若武者・内山壮真の星稜高時代は……

楊順行スポーツライター
2019年、星稜高2年時の内山壮真(写真:アフロ)

 ヤクルト・内山壮真は9日のオリックス戦、2回に先制二塁打を放つと、捕手としても二回り近く年上の石川雅規を5回1失点と好リード。攻守に活躍し、交流戦首位キープに貢献した。

 先制点の場面には、

「坂口(智隆)さんが四球でつないでくれたので、逆方向を意識して、強引にいかずに打つことができました」

 と、これも18最年上の先輩を立てる。それにしても……星稜高からプロ入り2年目である。初の一軍キャンプ入りから始まり、開幕戦で一軍捕手デビューするといきなり初安打初打点。正捕手の中村悠平がケガから復帰してきても、ここまでフルに一軍に帯同している。2日のロッテ戦でも、同点の8回に決勝の3点二塁打を放つなど、勝負強さが頼もしい。

「若い選手の成長するスピードには、僕も驚かされる。捕手というむずかしいポジションですが、考えながらプレーができるというのは野球選手として大事なこと」

 とは高津臣吾監督だ。気になるのは、激務のポジションからくる疲れだが、星稜高の林和成・前監督によると、

「下級生のときから練習量は一番。高校時代から、本当に体幹が強かった」

 体幹の強さには、理由がある。富山・上市町育ちの内山。父・彰博さんは2019年、アジア・オセアニア空手道選手権大会で優勝するなど、数々のタイトルを獲得する空手家で、上市町で道場を開いている。その影響で内山も、2歳から道場に通っていた。小学校4年では、全国大会の16強に入っている。

「空手の経験で、体幹の強さや体の切れが身についたと思います。空手は止まっては動く、止まっては動くという競技で、静から動が多いですから、力の出し方は空手と似ていると思います」

 と内山はいう。だが空手と並行し、小3からは祖父・高山鐵男さんが監督を務める滑川東部スポーツ少年団で野球を始めると、プロ野球選手が目標になった。

空手で養った体幹と動態視力

 かつて高校時代に取材したとき、内山はこんなふうに話している。

「中学に進むとき、地元に残って硬式のクラブチームで、という考えもあったんです。でもおじいちゃんは、"中学から硬式でプレーするのは、ケガのリスクもある"。当時はまだ体が細かったですし、中学は軟式で、と考えたんです。そのころテレビで、星稜が甲子園に出場しているのを見て星稜中の存在を知り、プロを目ざすことを考えると、全国的な強豪の星稜に進みたい、と……」

 ちなみに高校では寮に入ったが、その中学3年間は実家からの通学。

「朝は5時半に起き、学校に着くのが7時40分、家に帰ってくるのはだいたい9時ころで、慣れるまではけっこう大変でした」

 と振り返るが、移動の車中では大谷翔平の本を読み、目標達成のための9マス思考に刺激を受けたという。

 その中学時代は、2年春と3年夏に日本一に輝き、U15代表でも、17年のアジア選手権優勝。捕手としてベストナインと本塁打王(5試合2本)を獲得している。高校でも、入学直後から定位置を獲得すると、1年夏から三番・ショートとして甲子園を経験した。内山はいう。

「高校に入って軟式から硬式に変わっても、すぐに慣れました。そもそもバッティングは、軟式より硬式のほうが簡単なんです」

 一般的に、バットに乗せる感覚が必要な軟式球より、当てるだけで飛んでくれる硬球のほうが容易という。それにしても、入学直後から強豪の主軸に座るのだから、ナミじゃない。さらに、1年秋からは四番を任された。

 星稜の打撃指導では、右打者なら早めに左足を上げてタイミングを取るのだが、体の強さがないとなかなかむずかしい。3年になっても板につかない選手も多いのだが、それを入学直後から易々とやってのけるのは、やはり体幹の強さだろう。ボールを長く見て、広角に打ち分ける動態視力も、空手のおかげかもしれない。

 19年には、1学年上のエース・奥川恭伸(現ヤクルト)で夏の甲子園準優勝など、高校時代は開催された甲子園での4大会(20年夏の交流大会含む)すべてに出場した。小柄ながら、2年夏の甲子園では打率.385、2本塁打を記録し、高校通算では34本塁打。もし3年時にコロナ禍がなく、通常ペースで試合を行っていれば、星稜の偉大な先輩・松井秀喜さん(元ヤンキースなど)の60本を越えていてもおかしくない。

 高校時代には、こんな話も聞いた。

「奥川さんが高校生のとき、何回かキャッチャーとしてボールを受けたことがあるんです。ほかのピッチャーとは、球の質が全然違っていました。プロに入ると、その奥川さんよりワンランク上の投手と対戦するわけですから、もっとスイングスピードを上げないと、スピード感についていけません」

 その奥川が9勝とブレイクしたのは、2年目の昨年だった。いま奥川は、上半身のコンディション不良で戦列を離れているが、今季のヤクルトには同じ星稜の後輩・内山がいる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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