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[高校野球]センバツ出場当確の大島。146キロの快腕・大野が目ざす離島勢3校目の白星!

楊順行スポーツライター
2年ぶりに開催される明治神宮大会は11月20日開幕(撮影/筆者)

 なんでも、松井稼頭央ファンである父の命名らしい。大野稼頭央。鹿児島・奄美大島にある大島高校の左腕エースだ。

 大島は、いま開催中の秋季九州大会で決勝に進出。来春センバツの出場をほぼ確実にしたが、その原動力となったのが大野だ。鹿児島大会の大島は、県内の離島の高校として初めて優勝し、九州大会にコマを進めた。大分舞鶴との1回戦では、大野が延長10回を4失点完投も引き分けとなったが、大野は翌日の再試合も2失点で完投を演じている。

 そして、中1日の準々決勝。相手は2010年に春夏連覇も達成している強豪・興南(沖縄)だったが、最速146キロのストレートに90キロ台のカーブも交えて緩急でほんろうし、散発6安打の完封勝利。大島はベスト4入りを果たし、この時点で来春のセンバツ出場が確定的となった。21世紀枠で出場した14年に続き、2度目の晴れ舞台だ。

 僕は取材には行っていないが、新聞報道によると大野はこう語ったという。

「甲子園に一歩近づけてうれしい。(先制タイムリーも打ち)今日は100点満点です」

 奄美大島の龍南中では、3年の夏に龍郷選抜チームで離島甲子園に出場した。陸上競技でも、三段跳びや駅伝で県大会に出場したというから、身体能力は抜群だ。大島では、2年春の県大会全6戦中5戦に登板し、細身ながら4試合完投というタフネスぶり。鹿児島中央との1回戦では15三振を奪って2安打完封するなど、計45回を50三振9失点でベスト4入りに貢献した。この夏は3回戦止まりも、秋は準決勝で樟南、決勝で鹿児島城西という強敵を破ると、初めての九州大会でも堂々の試合ぶりだ。

エース登板回避も決勝進出!

 有田工(佐賀)との準決勝では、1週間500球の球数制限もあって大野が登板を回避しながら、最大5点差を逆転勝ち。決勝進出に大貢献したこの好左腕が、センバツでも大注目されるのは間違いない。

 この大島、そして今年のセンバツに出場した大崎(長崎・大島)を含め、過去離島からの甲子園出場は8校ある。洲本(兵庫・淡路島、1953春、75夏、86春、12春★21世紀枠)、久賀(山口・周防大島、62春、99夏)、隠岐(島根・隠岐島、03春★)、八重山商工(沖縄・石垣島、06春夏)、佐渡(新潟・佐渡島、11春★)、小豆島(香川・小豆島、16春★)。それでも、100年を超える高校野球の歴史でのべ11校だから、離島からの甲子園行きはかなり難易度が高いといっていい。

 その理由としてはむろん、離島ならではの制約がある。都道府県庁所在地のある"本土"までの、距離的・金銭的負担。かつて21世紀枠で出場したときの大島を取材したが、鹿児島市で公式戦があるとしたら、フェリーで片道11時間かかるという。勝ち進めば宿泊費もよけいにかかるから、運賃の高い空路などもってのほかだ。八重山商工を率いて甲子園に出場した伊志嶺吉盛氏からは、それ以前、学童チームの監督時代でも「子ども一人に、遠征費だけで年間100万円は親に負担させたね」と聞いたことがある。

 それ以外にも部員不足、練習相手不足。そしてなにより、そういうハンデから自由になりたいと、有望な子ほど島から出ていくケースが多いこと——。

 たとえば淡路島などは、明石海峡大橋で本土とつながっているから、離島のハンデからは比較的自由だが、それでも島出身の近本光司(現阪神)は社高校に進学するなど、有望な素材の本土流出は避けられない。古くはたとえば、300勝投手・別所毅も淡路島の出身だ。もっとも関西学院大時代の近本は、島からキャンパスまで毎日通ったらしいけどね。

離島の優勝は洲本だけ

 それが、大島の場合。もともと2000年代には、クラブチーム・オール奄美が九州大会で上位に進出するなど、島内では野球が盛んだった。プロ野球選手の自主トレ、社会人野球のキャンプ地にもなり、高度な野球を目にする機会もある。14年のセンバツに出場したときには、中学生たちに「奄美から甲子園へ」という意識がある程度浸透していた。小学生だった大野も、龍谷大平安(京都)に敗れたそのときの試合を、大島野球部OBの父とアルプススタンドで観戦している。

「かっこよかった。自分もここでやりたいと思った」。高校進学時は島外の強豪からも声がかかったが、仲間にも誘われて島から甲子園を目ざすと決めたのだ。

 過去、甲子園での離島勢は、53年春に洲本が優勝した以外は、06年の八重山商工が春1勝、夏2勝しているだけ。洲本には加藤昌利(元近鉄)、八重山商工にはエース・大嶺祐太(現ロッテ)という飛び抜けた存在がいた。ということは——来春のセンバツは、大野稼頭央が本当に「飛び抜けた存在」かどうかの試金石かもしれない。

 ワタクシゴトながら——過去、奄美を2度訪れたが、いずれもトンボ帰りで田中一村記念美術館も、西郷南洲流謫跡(所在地は龍郷町。大野の家の近くか?)も見ていない。ゆっくりと取材に行きたいものだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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