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[ドラフト候補カタログ] 153キロ左腕、1位指名もあるぞ 山田龍聖(JR東日本)

楊順行スポーツライター
(写真:rei125/イメージマート)

 大事な大事な、都市対抗東京都2次予選の初戦。JR東日本の先発を任されたのは、サウスポーの山田龍聖だった。高岡商高(富山)から入社して3年目。「入社したときから、3年でプロ入りすることを目標にしてきたんです」という山田にとって、エースの証ともいえる初戦の先発は、今季の成長を示している。

 浜岡武明監督はこういった。

「ここ1カ月で、急によくなったんです」

 東京ガスとのその初戦。初回に3四死球などで1点を失ったが、2回からはキレのあるスライダーで7回までゼロを重ねる。8回、先頭にヒットを許したところで降板したが、7回を6安打2失点7三振。153キロという自己最速には及ばなかったものの、球速も147キロをマークした。チームは惜敗し、敗者復活戦に回ったものの、山田自身は修正能力の高さを見せている。

最強の大阪桐蔭から11三振!

 高校野球ファンなら、ご記憶の方も多いだろう。2018年夏の甲子園で、高岡商は佐賀商高、佐久長聖高(長野)に勝って31年ぶりに16強に進出した。3回戦の相手は藤原恭大(現ロッテ)、根尾昂(現中日)らがいて、結果的に春夏連覇を達成する最強の大阪桐蔭高。1対3で敗れはしたが、山田は超高校級打線から11三振を奪う完投で、一躍脚光を浴びたのだ。これが社会人野球の強豪・JR東日本入社につながるのだから、ひとつの転機だった。山田はいう。

「あの試合で注目してもらったので、自慢です」

 高岡商では、1年秋から公式戦に登板した。2年夏には、1学年上の土合伸之輔のリリーフで甲子園のマウンドにも立った。だが、東海大菅生高(西東京)を相手に「地に足がつかず、ボールも走らず、ボコボコにされて……野球をやっていて初めて、マウンドを降りたいと思いました」と、1回3分の1を6失点と炎上した。この屈辱は、大きなバネになる。2年秋には球速が140キロ台中盤まで伸び、富山工高戦では8者連続三振を記録するなど、27回3分の2を投げて42三振という堂々のドクターKぶりだった。

「松井裕樹(当時桐光学園高[神奈川]・現楽天)さんが、甲子園で22三振という記録を達成したじゃないですか(12年夏、対今治西高[愛媛])。あれを見ていて、ドクターKと呼ばれたらカッコいいなあ、と。ピッチャーにはそういう魅力も必要ですよね」

 高校3年になると、多少アバウトでも、ストライクを投げておけば打たれないと手応えを感じ、トップクラスの大阪桐蔭に通じたことでも自信がついた。

JR東日本からは好左腕がプロへ

 社会人でも1年目から登板機会を得、2年目は日本野球連盟の伊勢・松阪大会という大きな公式戦でもマウンドを経験。JR東日本といえば、田嶋大樹(現オリックス)ら高卒投手の育成に定評があるが、「球自体はその田嶋クラス」とはスタッフの評価。今季は、阪神入りした伊藤将司の後継左腕にと期待が大きかった。ただ、と山田は笑う。

「伊藤さんのように、チームを勝たせる投手になりたいですが、社会人では高校のようにはいきません(笑)。高校時代、日本代表のオープン戦で大学生と試合をしたときは、案外抑えられたんですが、その大学のトップクラスでも出られるかどうか、というのが社会人のレベル。コースが甘くなれば、すぐにやられてしまいます。それでも、入社してからの食事やトレーニング、走り込みでだいぶ体が強くなり、球の質は向上している。プロに行けるレベルにはあると思います」

 高校時代は、夏になると体重が落ちることに悩んだが、昨年は1年通して78キロ前後を維持。いまはさらなるトレーニングの成果で82キロにアップし、その分「球自体が強くなった」と感じている。高校時代までは、地元・氷見市の夜の海岸をよく走っていたという。

「人混みがあまり好きではなくて……。甲子園の開会式で、全チームが室内練習場に待機しているときに気持ち悪くなったくらいです(笑)。東京に来てからしばらくは、人の多さに苦労しました」

 いやいや、そうもいっていられないだろう。「3年でプロへ」という夢が実現したら、ファンにもみくちゃにされる日がくるかもしれないのだ。JR東日本は8日、NTT東日本との第2代表決定戦を控える。山田の前回登板は9月28日と十分間隔が空いたから、先発が濃厚か。仮にそこで敗れても、ドラフト当日の11日、セガサミーとの第3代表決定戦に回ることになる。

やまだ・りゅうせい●高岡商高→JR東日本●182cm82kg●左投左打●投手

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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