「前任校と甲子園で対戦した監督はだれがいるか、知ってます?」

 取材仲間に、そう訊かれた。高校野球ペディアと呼んでいいほどの、トリビアの宝庫である。ううむ……。

「一人は、高嶋仁監督。智弁学園から移った智弁和歌山で、2002年の夏に智弁と対戦しています」

 そしてもう一人が……東海大甲府(山梨)の村中秀人監督ということになる。東海大相模(神奈川)では、原辰徳(巨人監督)と同期のエースで甲子園に4回出場し、2年春には準優勝した。東海大からプリンスホテルを経て母校の監督に就任し、1992年のセンバツでは準優勝している。99年から甲府に移った。ややこしいが、その村中監督の東海大甲府が、東海大相模と対戦するのである。相模の門馬敬治監督もやはり同校のOB。ご丁寧にも村中監督の相模時代、コーチを務めていた時期もある。

「まさか……」が本当に

「まさか、当たったりしてね」

 センバツ抽選会直前の話である。取材に出向いた東海大菅生(東京)で、若林弘泰監督とそんな雑談をした。「東海大」のチームが3校出場するこのセンバツ。組み合わせは、隣県や同地区でも対戦すフリー抽選となったから、「東海大」同士が当たる確率も確かにあったのだ。たげどまさか、本当にタテジマ対決が実現するとは……。

 いわゆる兄弟校対決は、甲子園では過去に5回実現している。最初が、1972年春。日大桜丘と日大三がなんと決勝で激突した。しかも兄弟校というばかりではなく、同じ東京のチームとしてよく練習試合もしていた間柄で、このときはエースにジャンボ仲根(正広・元近鉄など)を擁した日大桜丘が、5対0で勝っている。以下、83年夏には東海大一(現東海大静岡翔洋)13対1東海大二(現東海大熊本星翔)、97年夏には佐野日大(栃木)2対1宮崎日大、99年夏は長崎日大5対0日大三(西東京)があり、02年夏は前述の智弁和歌山7対3智弁学園(奈良)がある。ユニフォームもほぼ同じ両者は。18年センバツでも両者が初戦突破し、お互いに次の試合を勝てば準々決勝で再戦……となるところだったが、智弁学園が惜敗して実現しなかった。13年夏は、日大山形7対1日大三。日大三は、3回も兄弟ゲンカをしているわけだ。

 夏の兄弟対決は、智弁以外はいずれも初戦での激突だったが、センバツ初戦での兄弟校対決は、史上初めてのこと。どちらも関東勢だから、もし今回が東西に分かれた抽選だったら、実現していなかった。実績では、春夏合計4回の日本一がある相模が上。だが両校は、昨秋の関東大会準々決勝でも対戦し、そのときは9回1死から甲府が逆転サヨナラ勝ちしたという因縁もある。

 組み合わせが決まって以降、社会人チームの取材で両校OBと顔を合わせると、だれもが「甲子園では負けませんよ」と意地を見せ、中にはこんな声もあった。

「甲府の村中監督は相模の門馬監督の先輩なのに(いずれも相模OB)、選手の勧誘で競合すると、門馬監督は一歩も引かないらしいですよ」

門馬監督ならやりかねない……

 タテジマ対決は、好試合になった。相模の先発は、大会直前に登録された石川永稀。門馬監督は「大会前の充実度から、私としては当然の先発」とうそぶくが、村中監督は「当然、エースの石田(隼都)君が先発だと思いました。関東大会の準々決勝で勝っているウチに対して、意表をついてくることはないだろう、と。対策も十分してきたんです。だけど、石田君の先発……まあ、門馬監督ならやりかねないか」と苦笑しきりだ。その石川と、甲府の左腕・若山恵斗が好投。1対1のまま試合は延長に入ったが、11回、相模の上位打線がついに若山をとらえて2点を勝ち越し。投げては、9回から石川を救援した石田が140キロ台のまっすぐを軸に3イニングを7三振で締め、相模が関東大会のリベンジを果たすことになる。

「あの負けで気づかせてもらったことも多かった。私はよく、タテジマのプライドと口にします。試合前は東海対決という意識はありましたが、始まってしまえば自分たちのプレーをするだけでした」

 と門馬監督。村中監督はこうだ。

「なんともいえない複雑な気持ちの対戦でしたが、自分が何回も投げたこの球場でなんとか勝たせてあげたかった」

 ちなみに。冒頭にあげた高嶋監督は前任校とは対戦したが、前任校でなおかつ母校と甲子園で対戦したのは、

「村中さんが初めてかもしれないな」

 と高校野球ペディア。どなたか、調べてくださいませんか。